60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

たくましき仙台の仕事人達

2011-03-26 08:58:20 | 震災後の日々
今日は、午前中
気になっていた人達に携帯電話をかけた。


☆会社が水に流された人。。

地震の時、会社にはいなかったけど、会社に車を取りに帰って、逃げた。
三井のアウトレットの前あたりで渋滞になったところ、海の方から津波が来ているのが見えて
必死で迂回したり、なんなりして、津波においかけられながら逃げて逃げて逃げたところ
津波からどうやら逃げられた。怖いというより、必死だったとのこと。。
今は、会社がないので社長宅に行って、いろんな手続きしてるって。。。

この人、肝っ玉のすわった元ヤンキーだけど、本当に強運の持ち主やわ!!
ほんまに力強い!!


☆会社の一階が波にさらわれた人。。

地震の時、会社の二階で助かった。会社の車の大半は流されたけど、
今は残った二階で、残った車でいろんな片づけをしながら営業再開しているとのこと。

こんな時でも、声はツヤツヤと元気!!
底力感じるわあ。。。


☆自宅の一階に波があがった人。。

地震の後、帰り道でやっぱり津波が来るのを迂回して、助かったとのこと。
その晩は多賀城の避難所で過ごしたって。
「地震保険って、だめねえ。一階使えなくなっても、一部損で5%しか出ないんだってねえ」
と、既に保険会社に不満いっぱい。
自宅の周りは戦争跡みたいだと言ってたけど、
「気長にがんばるわ」と力強い声。


ああ、よかったわ。
誰も誰も動けなくなってる人はいなかった。

みんな、二年ぶりだけど、
「ひさしぶり~~」「元気~~」と反対に元気な声に励まされた。

そうだった、そうだった。
つきあってた仙台の仕事人達は、転んでもタダでは起きないくらいたくましかった。



沿岸の人って、元からすごくたくましいのよね。
こういう時はメールより声を聞くと安心します。



さあ、私もまた、がんばるわ!!




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震後に活躍したもの

2011-03-25 10:05:48 | 震災後の日々
また、水が止まった。
昨日夕方、チョロチョロお湯を必死で少し貯めて、13日ぶりにお風呂に入った。
洗髪、体拭きはしていたものの、やっぱり少しの湯でもお湯に体をつけられるということは
日本人にとって、かかせないことだと思う。
お風呂好きの私にとっては、本当に生き返った思いだった。
なので、今日水が止まっても、満足感がある。。。

また水を汲みに行けばいいだけだもん。




大地震から二週間が経った。
この二週間で、我が家にあってよかったものを思いつくまま、書いてみます。


☆ ローソク
☆ 懐中電灯 ヘッドランプ
   停電中の灯りは生命線です。ローソクは部屋の灯り。懐中電灯、山用のヘッドランプは夜のトイレに行く際などに
   一部屋一つはいるでしょう。うちでは懐中電灯二つが生きてました。山用のヘッドランプは両手が空くので
   とっても便利でした。

☆ ラップ
☆ 紙コップ、紙皿
   洗い物の水を節約する為に便利でした。

☆ シュラフ、断熱マット
   アウトドア用のものがあって、停電中、暖をとれないリビングにマットを敷き、シュラフにくるまってました。

☆ ポリタンク、空きペットボトル
   生活用水用に二缶、飲料水用に一缶と、その他各種空き容器が給水に活躍しています。
   ポリタンクがあっても、わが町では、最初は一人2ℓ、今は一人18ℓの給水制限があります。

☆ カート
   ポリタンクをくくり、給水に活躍しています。台車があれば、それも役に立つ場面が多いと思いました。

☆ 自転車二台
   ガソリン節約のため、子供たちの自転車が活躍しています。
   大きなカゴ付き、荷台付きが、給水、買い物の時に役立ちます。
   開いたホームセンターでは、自転車が飛ぶように売れてました。

☆ カセットコンロ、ボンベ
   停電中の必需品でした。地震直後は手に入らなくなりました。

☆ お米、乾麺
   お米、乾麺があると、とっても安心します。産直の店でお米を買い足せました。
   粉類も、本当は在庫があったらよかったのに・・と思ってます。

☆ ラジオ
   乾電池をいつも入れていました。停電の時の唯一の情報源です。
   息子が学校で作っていた、災害用の手巻き充電のラジオは、グルグル回し続けるのがちょっと大変でした。

☆ ペーバー類
   並んでトイレットペーバー、ティッシュペーバー買い足しました。
   何かと活躍します。

☆ マスク
   旦那が公民館でインフルエンザをもらってきました。暖かいし、放射線の問題もあり、マスクは必需品です。



とにかく、停電中の時は、いつになったら復旧するか、とっても不安になりました。
ボンベも、食料も限りがあったので、先が読めない時はとっても不安です。
ローソクは地震の日、もらったものがなければ在庫はほとんどなかったし、
ラップや紙皿も並んで買い足しました。
ガソリンもバンの方は、たまたま、あまりなく、軽自動車には四分の一ぐらい、バイクもそんなにガソリンが入ってなくて
三日目ぐらいでしたか、5時間かけて軽にガソリンを20リットル入れられた時は、とってもほっとしました。
こういう時は、ガソリンを食う燃費の悪い車は役に立たない気がしました。


十分な用意をすべて整えておくことは不可能です。
着の身着のままで家を離れた人には、全く役にたちません。
お年寄りだけのご家庭では、水汲み、買い物などは大変な重労働です。

これからもどこで、誰が被災することになるかわからない時、
ご自分の場合の、ほんの少しの参考にしていただければなと思います。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安が与えること

2011-03-24 09:05:40 | 震災後の日々
我が家の蛇口から、水が出だした。
この地域へのダムからの送水管が壊れて、地震以来水道は止まっている。
飲料水の給水車に並ぶ日々だったのだが、
昨日あたりから、蛇口から水がチョロチョロ出だした。

予定では、29日にならないとうちの地域への送水はできないはずなのだが、
同町内でも水が出ている地域もあり、いろんな人の意見の調整を行い、
少し、送水してもらえているのかもしれない。
なので、出ていた水もいきなり止まったりしている。

でも、出ている時に即座に、水が貯められて、
給水車に行かなくてもいい・・というのは
とっても助かる。

町のホームページでは、まだ水はこの地域は出ないことになっていて、
何がどうなっているのか・・わからない。


こういう状況下では、事態は刻々と変わっていく。
一度出した判断も、状況によって、どんどん変わっていく。
良くも悪くも、どんどん変わる。

東京の計画停電も、放射線混入の水や野菜も、すべてが把握できて
一斉に周知できる段階ではなくとも、とにかくわかるものだけを、
しなければならない範囲で告知していく。

私のように、状況に応じて疲れすぎないよう、
「目下できることしか考えない」と思う人と、
頭の中で不安が広がる人がいると思うが、
体調への影響は、大きく違ってくると感じている。

放射線のことも、宮城の数値はあまり発表されない。
悲惨な被災地で、水道や野菜に放射線の値が通常より多いから
摂取しないでください・・・とは言えないからか・・と少し勘ぐったりするのだが。。。
知ったところで、できることは少ないけどね。。

放射線は、甲状腺にたまりやすく、小児の甲状腺ガンを引き起こすことがあるとのことだが、
ガンという病気も、とっても不思議な病気で
長年スパスパたばこを吸っていても、絶対肺がんにならない人もいる。
個人、個人によって、全然違うのだ。
良くはない事でも、すべての人が同じことになる・・・ということがなかなか言えないと聞く。
でも、良くはない事は、念のための告知をしなければらない。

今の放射線の値は、乳幼児を除いて
原発近辺でなければ心配はいらない。。。
そういう数値だということを、信じる他ないもんね。

心配、不安・・・恐れ・・
そして、がんばりすぎ。。
その気持ちが長期間に及ぶと、
人の体に与える害は、計り知れない。

とにかく、正しい情報を、わかる範囲で得て、
自分の立ち位置で、とりあえずの気持ちを建て直して判断していく。
そのことがとっても大切で、
被災地のど真ん中にいる人達の中からでさえも、その事を教えられるのである。

とにかく、ゆっくり寝ることが大切です。
その環境は、是非にでも作らなければなりません。

快眠、快便!!

これ、とっても大切ですね。。。!!




※写真は、お友達の岐阜の綾ちゃんが強力粉とドライイースト送ってくれたので
食パン焼きました!
パンが全然買えないので、開いているパン屋さんは大行列です。
食パン焼き立てを、この肝心な時にダウンした車をよみがえらせてくれたご近所さんに持っていき、喜ばれました!!
ありがとよ!!! 綾ちゃん!

たくさんの遠くの友達から心配いただいたり、
何でも言うて!、何か送る、
何もできんとごめんよ~の言葉いただいて
本当にうれしかったです。
ありがとよ!!! 友達たち!!!









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乳幼児連れの方は、関西はいかがですか

2011-03-23 16:49:33 | 震災後の日々
今、避難所にいる人の数は宮城県内だけでも20万人強。
最初、35万人だったので、15万人ぐらいは、避難所を出て、親戚の家に行ったりしていると思う。

昨日、大阪出身の、村井宮城県知事が、その人数の人の仮設住宅を用意して、入っていただけるには
一年かかるので、今の避難所生活を続けていることは到底無理だから、
他県にでも一時移住してほしいとおっしゃっていた。

他県の公営住宅などで、人間らしい暮らしをして
仮設住宅ができるのを待っていてほしいとのことだろう。


今週末か来週には、ガソリンが少しは行き渡る。
それを待っている人もたくさんいると思うけど。。

今日、私は二軒のスーパーで買い物をしてきた。
入荷してくるものもあるけど、
棚にあったものは、ほとんど売りつくされている感じ。
元の棚いっぱいの商品が戻る日は、いつになるんだろうと本当に思う。
小さな赤ちゃんを抱いて並んでいた人もいた。

他県に行ってほしいと言っても、
仕事がある人は、そうもいかないだろうから、
行けるのは、専業主婦と子供、お年寄り。
今すぐ安全な所に行かなければならない人達だ。

ただこの時期、お父さんと家族が離れ離れになることに不安を感じる人も多いとも思われるなあ。
余震がこれだけ多いんだものね。
いつまた、どこで大きな地震があるかもしれない。。。
私なんかも、全く油断できないと思っている。。

でも、でも、この際だから
お子様連れの方などで、
実家や親戚宅に長く避難できなかったりする方は
関西の方に一時避難されたらいかがかな・・と本当に思う。
放射線の不安からも、逃れられるしね。


身内の話によると、
大阪の方は、東京からも人が避難してきていて、人が膨れ上がっているらしい。

東北の皆様には、慣れないでしょうが、人は本当に優しく、明るく、面白く、とってもいい所です。
この際、環境の整っていない、乳幼児連れの方は
どうぞ一時的に関西へ行ってみるのも選択肢にいれてみてはいかがでしょう。。。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

途方もない被害

2011-03-22 08:42:26 | 震災後の日々
こんにちワン、
ありがとウサギ!!
私は今日も元気に朝を迎えています。



地震から、10日以上過ぎて、なんだか夢見てるような日々だったと気づく。
私なんかでも疲れがたまってるのがわかるのだから、
家に帰れない人達の疲れは、察するに余りある。

時が経つにつれて、仙台市、多賀城市、塩釜市の、私が仕事で担当していた地域も
広く波につかり、波が来てなくても、仕事場が崩れているところも多いことがわかってきた。

漁業関係者もそうだけど、
この地震で家族を失った人、家を失った人、
そして、仕事の場を失った人は途方に暮れている。

生き残っていても、どうやって暮らしていこう・・ということになる。

担当していた車屋さんや整備工場も、車も店も流されたり、工場がグチャグチャになっていたり。
途方に暮れているはずだ。
そうでなくも、経営は元々どこも苦しかったのだ。。

娘が最初に勤めていた病院も崩れて天井が抜けていて、
病人収容どころか、入院していた人達も搬送されていったとのこと。
看護師さんたちも自宅待機で、今月のお給料が入るのか、来月はどうなのか。。
今、すぐの暮らしを心配しなければならなくなっていると言う。


仕事場を失った人のなんと多いことか。

仕事場が残っていて、頑張らなきゃと思うのと、
仕事場が残っていなくて、どうやって頑張ろうか・・と思うのとでは
天と地の差があるはずだ。

だからと言って、自分だけここを去るなんてことも考えない。
まだ多くの人が見つかっていない。

逃げ場を探す気持ちになんて至らなくて
茫然としている人達がめちゃくちゃたくさんいることがわかってくる。

そうやっている間に健康を害していく・・なんてことをなんとしてでも防がなければと思うけど、
その人数の多さといったら。。。。

そういうことがわかってくる。

復興なんてことには、まだまだ至らない。
東北の太平洋側が大きく傷んでしまった。
その全容は、考えるだに恐ろしいくらいだ。

そのことに、やっと思いが行って、
ただ、ただ、
言葉がないのである。


とにかく、生き抜く気力を届けたいなあ。。。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする