今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

快晴

2006年05月25日 | Weblog
昨日、1丁目の銀座テアトルシネマへ行くとき、汐留から歩いていきました。
所要時間15分~20分ぐらい。ちょうどカミナリがゴロゴロしていた時間帯で、雨も強かった。

8丁目、7丁目、6丁目と歩いたあたりで、既にチノパンの膝から下がぐっしょり濡れて重たくなってます。

それでもレイトショーの『RENT』は結構な入りじゃございませんか。映画が終わった頃には、びしょ濡れだったチノパンもすっかり乾いてサッパリ。夜になって雨も上がり、有楽町駅へ向かう私の足取りは軽く・・・と言いたいところですが、水を吸った靴が重く私の足を締め付けていました。

映画が終わったのが午後11時25分。綾瀬から終電かなと思っていたけど、終電の一つ前に間に合いました。

そして今朝は快晴。湿度も低く気持ちのいい1日でした。こんな日が1週間ぐらい続いて欲しいな~。

レイトショーで『RENT』

2006年05月25日 | 映画&本&音楽&TV

午前中に『ぼくを葬(おく)る』を観ようかなと思っていたのですが、終わったあと仕事が始まるまで30分しかないので断念。仕事のあと、銀座テアトルシネマのレイトショーで『RENT』を観ました。
 以前観た『シカゴ』『オペラ座の怪人』『プロデューサーズ』がクラシカルなミュージカルなら『RENT』はロックなミュージカルで、テーマもエイズ、同性愛、ドラッグと少し重いものです。

オープニングは舞台版へのオマージュとも言えるシーン。整列したメンバーが「Seasons of Love」を歌う場面から始まります。

52万5600分をあなたは何で計りますか?で始まるこの歌はとても印象的で耳に残ります。

これといったストーリーはなく、エイズに苦しむ若者、恋人を亡くす哀しみ、創作に身悶えする若者たちの群像劇なんです。
当時(1980年代後半)はHIVが世間に知られるようになった時代で、詳しい原因がわかっていなかっただけにその恐ろしさは今と比べようもないほどでした。

創作の苦しみというのは、凡人には分からないものですよね。私だったら自分にその才能がない、とすぐに諦めがつくけど、彼らは違う。自分には才能があると信じて疑わない。それが若さと言えば言えるけど、家賃(RENT)が払えないほど貧乏でもけして夢を諦めない。

台本・作詞・作曲を手がけたジョナサン・ラーソンは1996年1月25日、『RENT』のプレビュー前夜、大動脈瘤破裂で亡くなりました。映画のなかでメンバーの1人、ロジャーが「たった1曲でいい、自分が納得できる音楽が生み出せたら死んでもいい」と歌う場面があります。これはジョナサンの叫びでもあったのでしょう。35歳で亡くなった彼は、売れない作曲家でした。『RENT』の住人の1人1人が彼の分身だったのかもしれません。


道を尋ねたその人は・・・

2006年05月25日 | Weblog

昨日は朝から蒸し暑い日でした。

会社へ向かって汐留の地下道を歩いていた私は、向こうから歩いてくる人に声をかけられました。その人は台場へはどう行ったらいいかと英語で尋ねてきたのですが、私はじーっと顔を見ていました。だって、次長課長の河本(こうもと)にそっくりだったんですもん。
 女性なのに河本顔。しかも眼鏡。私、いっぺんで楽しくなっちゃいました。

その場所はちょうどゆりかもめの新橋駅と汐留駅の中間点ぐらいだったのですが、汐留駅への行き方を教えてあげました。階段を下がって上がってエレベーターで・・・と言ったら、すかさず「UP STAIRS?」と言ったので「YES!」と答え、まるで漫才のような息の合い方でした(笑)。

そのあと彼女は大仰に肩を落として、後ろに控えたご両親と思しき2人に何事か言っていましたが、それは何語かわかりませんでした。でも、きっと分かりにくい汐留エリアであっちへ行ったりこっちへ来たりで何度も往復したんでしょうね。かなり眉間にシワが寄ってましたから。でもホントに河本そっくりだったな~。