今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

11月は

2005年10月31日 | 仕事
明日から新シフト。(火)15時出、(水)14時出、(木)14時出、(金)15時出、(土)14時出と、自分で決めたシフトながら鬱々となります(笑)。
木曜日は休むつもりだったんだけど、サッカー・天皇杯の試合が昼間に集中してるので助っ人出勤。試合がほぼ同時に終わるのでスコアを出すのが大変なんです。

明日は1日で映画の日だけど、特に観たいものなし。11月は何本観られるかな。





日曜日の夜

2005年10月30日 | オフ
あす月曜が休みなので、夜更かししてもいいんだけど、なぜか眠くなる9時30分。「あるある大事典」も中途半端に眠ってしまいました。

何時間かして目が覚めたんですけど、11時30分過ぎだったかな。点いたままになっていたテレビの画面を見ると、リリー・フランキーがギターを弾いていた。サラリと組んだ足の形が良くてシビれた。何だか知らないけど、マジ惚れちゃったみたい・・・。おっかしいなぁ、全然タイプじゃないんだけど。

生協の白石さん

2005年10月27日 | Weblog
最近、テレビや新聞で密かな話題になっている「生協の白石さん」。私は先日テレビでその存在を知りました。

そのニュースというのは、東京農工大が大学のイメージアップに多大な貢献があったとして、生協職員の白石さんを表彰した、というものです。テレビでは顔が分からないようにボカシが入っていましたが、男性であることはわかりました。

なぜこんなに人気が出たかというと、生協の学食や購買に対する意見を募る「一言カード」というものが東京農工大にはあるそうなんですが、明らかにふざけて書かれたものに対しても、マジメに回答してくれるからなんだそうです。

テレビのニュースではこんな回答が紹介されていました。
『Q.愛は売っていないのですか?』
『A.どうやら、愛は非売品のようです。もしどこかで販売していたとしたら、それは何かの罠かと思われます。くれぐれもご注意ください。(白石)』

思わず座布団1枚あげたくなるような回答じゃないですか。11月にはなんと本も出るそうです。電車男、鬼嫁などブログから生まれた本も最近は出ていますが、生協の一言カードからも本は生まれるのですねぇ。

東京タワー

2005年10月26日 | 映画&本&音楽&TV
この本を読むまで、リリー・フランキーと言う人は名前ぐらいしか知りませんでした。汐留地区のイベント情報誌「GO! SHIODOME PRESS」で、リリーさんが取材していた「シオドメノオトメ(汐留の乙女)」という記事があったなぁ・・・って、それぐらい。

九州・小倉で生まれたリリーさんは激しい性格の父親と、何をおいても息子一番の母親、そして自分のことを初めての長編にしました。
このお母さん(以後オカン)は、リリーさんの父方の祖母、つまりオカンにとっては姑である人との折り合いが悪かったので、リリーさんを連れて小倉から自分の実家のある筑豊へ移り住みます。この時以来、父親と暮らすことはなかったそうです。

私がこの本を読んで最初に泣いた場面。それはリリーさんが大分の高校へ進学する時、列車でオカンが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、手紙を読む場面です。「自分のことはなにも記さず、ただボクを励ます言葉だけが力強く書いてあった。そして“母より”と締めくくられたその便箋と一緒に、しわしわの1万円札が1枚出てきた。ボクはおにぎりを食べながら涙が止まらなくなった。」

このお母さんはリリーさんが大学進学で上京したあとも九州に残り、いろいろな仕事をしながらリリーさんに仕送りを続けます。リリーさんといえば、東京で自堕落な生活を続け、もうホントにひどい生活。そんな中でも病気になったと言えば、オカンは朝一番の新幹線で駆けつけてくれる。

そんなオカンがガンになります。手術は成功するけど、住む場所は気兼ねのいる家で、リリーさんは思いあまって東京で一緒に暮らすことを提案します。

本の後半はオカンが亡くなるまでの数年間のこと。
自分の葬式代として互助会に毎月3千円ずつ掛けて70回分、10年間コツコツ貯めた50万余の定額貯金証書、これらは「死んだら開けて」と言われていた粗末な紙箱から出てきたものでした。

リリーさんは「この金、ボクはよう使いきらんばい。死んだ後、迷惑かけんごと気を使いよってから。なんで、そんなことばっかり気にするん。-中略-オカンみたいな年寄りが自分の葬式のためにコツコツ切り詰めて毎月3千円ばかしをひぃひぃ言うて払いよる。27万で人に迷惑かけんでええと思うて安心して死んどるのに、そういう年寄りの気持ちを互助会とか葬儀屋はどう思うとるんかね」と語り続けます。

料理がうまくて、明るい気丈な性格のオカンはリリーさんの友人たちにも「ご飯食べて行きなさい」と言って食事の世話をするので、いつもお宅はにぎやかだったそうです。そんな友人たちからオカンはフランキーさんのママ、ママンキーと呼ばれていました。

亡くなって数年。「今でもボクは淋しいでたまらんよ」と呟き、一緒に行こうと約束していた(今となっては位牌となってしまった)オカンと、リリーさんは東京タワーの展望台へ初めて昇ります。

「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。」

藤沢周平の世界展

2005年10月25日 | オフ
朝は肌寒いけど、昼間はまだまだ汗ばむほどに暑くなる時がありますね。カラリと晴れた午後、京王線芦花公園駅から歩いて5分ほどのところにある「世田谷文学館」へ行ってきました。


渋谷へ出て、井の頭線で明大前まで。そのあと京王線に乗り換えたのですが、立ったまま本を読んでいたら、ひと駅がずいぶん長い(顔を伏せていたから駅が次々通り過ぎるのに気付かなかった)。着いた駅は調布でした(汗)。アッという間に調布まで来られてしまうんですねぇ。意外に近い。


『藤沢周平の世界展』は直筆原稿や、最近映画化された「蝉しぐれ」関連の展示がありまして、見終ったときには1時間半が経過していました。見応えあったなぁ。亡くなってまだ10年経っていません。もっと早く知っていれば、ご本人にどこかでお目にかかるチャンスもあったかもしれない。

 文学館の横には錦鯉の泳ぐ池が。 ←手前から1本ずつ「世」「田」「谷」「文」「学」「館」と入っています。

帰りはまた渋谷まで出て、表参道から千代田線に乗り換え、綾瀬までずっと座って本を読むことができました。今読んでいるのはリリー・フランキーの『東京タワー(オカンとボクと、時々、オトン)』です。

最初はユーモアたっぷりに書かれていた自分とオカンの生活。大人になってからのリリーさん(リリーさんと言っても女性ではありません。九州男児です)の母親に対する気持ちが切なくて、何度もジーンとしています。そろそろ終盤なんですが、もう途中から本を閉じてしまいました。感動する小説は世の中にたくさんありますが、実話に勝てるものはありません。この後の数ページは油断できない・・・そんな予感がします。

勤務シフト表作成

2005年10月23日 | 仕事
11月分と12月分のシフト作成は私の担当です。

21日に締め切って、今日23日にできあがりました。メールチェックもブログもほったらかしにしないととてもできません。

8つの時間帯と他の部署へ出張の2シフト。合計10のシフトに9人を振り分けます。
前回はちょうど腰痛で苦しんでいた2月だったので、パソコンデスクに向かっても、座卓に向かっても、どちらもツラくてツラくて、途中でどうとでもなれ!とぶん投げたような記憶が・・・。

今回苦心したのは出勤日数が全員22日なので、早出と午後出を11日ずつにすること。私は早出が好きなので、バックれて早出を多くもらおうかと思いましたが、いざとなるとできないもんです。

来月の今頃は12月分でまた四苦八苦しているんだろうなぁ。

さて、肩の荷が下りたから、これからブログの更新・・・と思ったけど、今週は早出。ホントはもう布団に入ってなきゃいけないのよ~。

べったら市

2005年10月20日 | Weblog

江戸時代から続く日本橋小伝馬町のお祭「べったら市」。本日は夜の勤務なので、出勤の前にブラリと見物に行ってきました。

小伝馬町の2番出口を出ると、提灯が見えます。角を曲がると「寶田恵比寿神社はこの先右へ20m」という横断幕が見えました。まずはおまいり。


とても小さな神社。お正月の「日本橋七福神詣」で何度か来たことがあります。お賽銭を投げて経済の神様にお願いムニャムニャ。“黄金かえる”の根付を記念に買いました。

さて「べったら市」。私は20代のころ、この近辺で伊藤忠系列のデータ処理会社で働いていたことがあるのですが土地鑑はキレイさっぱり消えうせていました(苦笑)。当時はお昼を、焼きそば・焼き鳥・お好み焼きなどで済ませた覚えがあります。そういえば写真もありましたっけ。あの写真どこへ行ったかなぁ(遠い目)。

べったら漬けは一人暮らしの私には大きすぎるし、これから出勤する身には匂いも気になります。やっぱり仕事の後、露店でいろいろ食べたり飲んだりしたあと、べったら漬けをお土産に家路につく・・・というのがいいですねぇ。



夜のべったら市の特徴として、スーツ姿のビジネスマンが多いというのは有名ですが、もちろん昼間も多いです。さすがにお酒を飲んでいる人は(私は)見かけませんでしたが・・・。

私はこのあと、三越前まで歩いて銀座線で新橋へ出るつもりだったんですけど、時間がちょっと早すぎるので少し歩くことにしました。
途中で「おお、これがコレド日本橋か」と、中に入りしばし休憩。2階の正面に「BANANA REPUBLIC」が!
まだ日本に店舗がないころ、ハワイのお店によく行ったな~。プランタン銀座にオープンしたことは知っていたけどコレドにもあったんですね。日本にお店がない頃、ハワイで1枚29ドルほどのTシャツが、東京では1万2000円だったこともあります。

コレドを出たとき、13時45分。まだ1時間ほどあります。このまま歩くか~ということで日本橋→京橋→銀座→汐留と歩き倒しました。途中、6丁目の「スエヒロ」でお弁当を買ってネ。



蝉しぐれ

2005年10月19日 | 映画&本&音楽&TV
上野セントラルで『蝉しぐれ』を観賞。午前11時から始まり、終わりが13時20分ごろ。仕事が14時からなので、映画館を出てからがちょっと慌しかったかな。

『蝉しぐれ』は藤沢周平の代表作です。そして『蝉しぐれ』と言えばこのシーンというのがあります。それは、文四郎とふく、この二人が初めてお互いを意識する、蛇に指を噛まれるシーン、切腹した父の遺骸を文四郎が大八車に乗せて急な坂を上る際、ふくが泣きながら後ろから押すシーンがそうです。私はこのシーンで、文四郎のダラダラ汗と同じくらいの涙が流れました。

しかし、解せないのは『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』の両作品が山形弁のセリフだったのに『蝉しぐれ』は標準語だったことです。方言で喋るからこそ下級武士の生活の生々しさが出るのに、この点だけは非常に残念。

文四郎役の市川染五郎はいい男だけど、意志の弱そうな唇をしていてアップになるたびに気になりました。隠し子騒動があったり、恋人の寺島しのぶに黙ってこっそり別の女性と結婚してしまうような男ですから、どうも好きになれません。

<閑話休題>

2時間ちょっとという上映時間でどうしても削らなければならなかった場面もあったようで、NHKのドラマ版と比べると緻密さに欠けます。映画、またはドラマと小説は別物だと割り切ってみても、映画しか観ない客にこの物語の良さが分かってもらえるのかなぁ。

そのNHK版より、小説の方が素晴らしいのは当然ですが、藤沢さんはこの小説の連載(新聞小説だった)には退屈していたとか。そんな作品が代表作と言われているんだから世の中わかりませんね。

10月30日まで世田谷文学館で「藤沢周平の世界展」をやっています。派手な作家ではありませんが、一度その作品の魅力に触れた人には、さらに深く知ることのできるいい機会ですから、お出かけになってみてはいかがでしょう。

◆蝉しぐれ公式サイト ⇒ http://www.semishigure.jp/top.html 

◆世田谷文学館 ⇒ http://www.setabun.or.jp/