「音韻」は面白い。
全ての外界の刺激が等価に感受されたら
とてもじゃないが生きていけない、わけで
いらないものを選ぶ、というか、
これは区別する必要なし、としていく、のが
何かを身に付けることなのだろうし
それを音声的に考える音韻論は、面白い。
イスタンブールもインドもトンガも
みんな「ん」に聞こえなきゃ、日本語母語話者的には困る。
でも「m」「n」「ng(書けない)」を区別する言葉もあるし
日本語も平安時代は区別してた、と時間軸で考えれば
音韻史、になる。
基本はそれだけのこと。
用語やらをただ覚える勉強ほど、つまらないものはない、ので
面白さ、をまたは、面白さの可能性を提示できたら、・・なあ。
全ての外界の刺激が等価に感受されたら
とてもじゃないが生きていけない、わけで
いらないものを選ぶ、というか、
これは区別する必要なし、としていく、のが
何かを身に付けることなのだろうし
それを音声的に考える音韻論は、面白い。
イスタンブールもインドもトンガも
みんな「ん」に聞こえなきゃ、日本語母語話者的には困る。
でも「m」「n」「ng(書けない)」を区別する言葉もあるし
日本語も平安時代は区別してた、と時間軸で考えれば
音韻史、になる。
基本はそれだけのこと。
用語やらをただ覚える勉強ほど、つまらないものはない、ので
面白さ、をまたは、面白さの可能性を提示できたら、・・なあ。