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21日木曜日の午後五時でキャンパスは閉められ、職員もいままでの様々な祝日を今月の終わりのために貯めてあり、十日ほどの休暇に入った。その前日の水曜日の朝、一人の女子学院生が不安そうな面持ちでやってきた。インドからの留学生で、コンピューター・エンジニアリングを専攻しているのだが、一度disqualification(総合成績平均が2.99以下になると大学院基準失格)に陥り、その後猛勉強をして、戻っている。また今学期落とされるのでは、と不安でならないと言う。結局必要な手続きをすませば、続行して卒業まで行けそう、とわかり、安心してオフィスを去った。
コンピュータ・エンジニアリングである。難しい専攻科目で、留学生の身には、さらにたいしたチャレンジである。たいへんに感じがよいお嬢さんで、彼女が帰る時、思わず私は、「私もお祈りしているから、頑張ってね。」と言わずにはいられなかった。老婆心。おせっかい。それでもこの学生には、どんな励ましの言葉も必要だと思ったのだ。そして本当に私は彼女の成功を祈る。
彼女はこれで安心して、この休暇インドに里帰りできる、と言っていた。その旅たるや、20時間以上で、西海岸から、まずロンドンに飛び、そこから北部インドへ飛び、やっと自宅のある町に着くそうだ。彼女が帰宅する時のご両親やご家族の嬉しいお顔がふと想像できて、「お気をつけて、久しぶりのインド、楽しんでね。」とまた一言付け加えた私。
不真面目な学院生もいないわけではないが、真面目にこつこつと勉強している留学生も多い。私も経験があるから、成功を切に願う。お国へ戻り、お国で活躍する若い人たちである。いつもよいことがありますようにと、願い祈っている。 というわけで今日12月24日クリスマスイヴのクリスマスカレンダーは、祈る、である。
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祈りの力は、侮れない。いままでいくつか、祈りの答えを得たり、見たり、聞いたりしたし、その力は世間が思う以上に強い。それでも、祈りの答えを得たことはない、と言う人々もいる。あの有名なビリーグラハム氏の引用をすると:
神は祈りに答えられます。ある祈りには「そのとおりだ」と答えられ、
ある祈りには「そうではない」と答えられます。
しかし、答えられない祈りはどうなるのでしょうか。
それは多分、あなたの祈りに疑いがまじっていたからかもしれません。
あるいは、その祈りが自分の利益を求めすぎたためかもしれません。
また、あなたは、あなたにとって最善ではないものを神に求めていたかもしれないのです。
多くの人々は、「私は熱心に祈ったのに何も起こらなかった」とがっかりした調子で言うでしょう。
また、ある人は、「私はいやしを求めたのに、まだ病気で苦しんでいる。」
「私はお金を求めたのにまだ、与えられない」
「私は導きを求めたのにまだ、深刻に悩んでいる」
「友達を与えてくださいと祈ったのにまだ誰も見つかりません」
「私は神様に良い家庭を与えてくださいと祈ったのに、ご覧ください。
私たちの家の中は不幸と混乱でいっぱいです。」と。
祈りが答えられないのは、きっと何かそこに特別な理由があるからだと聖書は言っています。
あなたの祈りが答えられないのは、あなたが神に従っていないからかもしれません。
ことわざにあるように、「だだっ子は何もかもうまくいく」というわけにはいかないのです。 http://music.geocities.jp/manabu_way/study/ht_st_pray.html
特にキリスト教徒でなくとも、祈ることはどの宗教にもある。そして命の危険に直面した時には無神論者はいない。恐怖や不安に面した時、人は、「藁をもすがる」気持ちで祈る。そしてその「藁」が最上の救いの方法であることを知ることがある。祈りについてもっと知りたいとお思いならば、お近くのキリスト教会でお尋ねすることもお考えあれ。
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