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「さようなら」彼女は元気よく歌うかのように言い、あたかも私が知人に過ぎないかのように私の頬に軽くキスをした後で、彼女の新しい寮に跳びはねるように向かった。 若い女性。 大学1年生。 もう私の赤ちゃんではないのだ。
娘のあまりにカジュアルな別れは私をぐさりと刺した。
立ち去ろうとしたとき、子供の叫び声を聞いた;「マミイ!」
何年も聞いたことがなかった言葉。
私が振り向く前に、彼女はもう私の腕の中にいて、その顔は私の首に埋められていた。 その瞬間に何も言う必要はなかった。 私は彼女がいつでも私の小さな女の子であることを知っていた。
ージェイミー・ラーソン
今頃は、どちらかと言うと、だんだん卒業式の時期になりつつあり、私の働く大学院(大学)も来月初旬に卒業式がある。高校なども其の頃である。時期的に新大学生は、あと四か月ほどで家を出て、大学のある町へ行くものだが、今日偶然に二つのエッセイを読んだ。それはどちらも子供を大学へ行かせる親の心情を描いている。一つは上記のもの。もう一つの作者は、あの俳優ロブ・ロウである。
今アメリカでは二名の女優を含むアイビー・リーグなどの有名大学への不正入試スキャンダルが発覚し、世間で騒がれているが、一人は15,000ドル、もう一人はその娘二人のために$500,000も出してそれぞれ有名校に裏口入学させたという。女優だけではなく、アメリカの富裕なそして有名な人々が加担した不正である。ロブ・ロウの息子二人は、長男がデューク大学、次男がスタンフォード大学を卒業している。先月半ば、ロブ・ロウと長男は、すぐにSNSで、自分たちはこのスキャンダルの範疇にはなく、長い間の努力の積み重ねと地道な勉強で入学し、卒業したのだ、と書いている。
確かに、決して安くはない個人教授(家庭教師)や有名大学入学準備コースを俳優の父親の持てる金銭的余裕の恩恵で活用したが、と、認めるが、合格に達するには、不正や裏口などせず、やはり自分の努力以外の何物でもない、と言い切っている。そう願いたいものだ。
そのロブ・ロウが息子を大学の寮へ連れて行った時のエッセイは、上記のエッセイと同じくノスタルジックで、子を思う気持ちに溢れている。若い時いわば、わんぱくで知られていた俳優の目にも涙、である。聞こえのよくない評判で散々な過去を持つ俳優は、50を過ぎてなんと丸くなったことか。子供を持って、初めて家庭を大事にする、というありきたりなことに気づき、妻と一緒に二人の息子を大事に育ててきた様子が一瞬にして目に浮かんだ。それは初めて子供を大学の寮へ連れて行くごく普通の市井の親と変わらない姿である。
合衆国で、子供を大学へ連れて行く、というひとつの儀式は、親にとっても子供にとっても人生の節目であり、一種の「卒業式」でもある。母親は救急用具をきちんと箱に用意し、緊急食糧(つまりM&Msやスニッカーズを少々)も忘れず、洗濯洗剤や清潔なベッドリネンを狭い寮部屋のあちこちに工夫して詰め込む。父親は、手持無沙汰気に部屋をさっと見て、窓外の景色にコメントし、ダイニングホールのありかを子供に聞き、ミールティケットをまずは三か月分ほど買ってやり(あるいはそれ用のクレジットカードに入金)、図書館の自習室の具合など子供と話す。ルームメートとなる若者をさりげなく観察し、気に入ればルームメイトと仲良く協力してやっていくように、と付け加えるのも忘れない。
二昔ほど前ならば、切手のすでに貼ってある封筒と便せんのセットを渡し、少なくとも週一回は家に書くように、などと言ったのだろう。今ならば、個人個人のコンピュータはあるし、スマートフォンの携帯電話は、子供たちの手から生えている。新しい生活へ向けて多少の不安を抱えながらも、子供は、希望がどんどん膨らむのも感じている。簡単ではあるが、最後の一緒の食事も済ませたし、必要な日曜雑貨もそろえたところで、親は、お暇を告げて立ち去る。建物を出てふと後ろを振り返ると、部屋の窓から、子供が手を振っている。そうして夫と私は家路につくのだ。お互いに「お疲れ様」と言いあい、「あの子が帰ってくる感謝祭が楽しみ」などと言うのだ。