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1991年にニューヨーク州北部で生まれたZippy Chippy、ズィッピー・チッピーは、競争馬サラブレッドの王族血統を持って生まれてきた。誕生時この馬の将来の成功は確約されたかのように見え、1964年にカナダ産馬として初めてケンタッキー・ダービーを制したサラブレッドで20世紀で最も成功した牡馬ノーザン・ダンサーの再来かと期待されていた。ところがこの馬には、燃えるような闘争心は見当たらず、むしろ花の好きな平和なあの牡牛、フェルディナンド・ブル*だった。レースに勝つためではなく、100連敗したことで記録を保持し続けた。
*「牡牛のフェルディナンド」(Ferdinand the Bull)は1938年製作のディズニー・アニメーション映画。原作はマンリー・ローフ・文、ロバート・ローソン絵の絵本『はなのすきなうし』(日本では光吉夏弥訳で岩波書店から発行)。
牡牛のフェルディナンド (1938年ディズニー)
この馬は勝利に近づくことさえもなかったが、それなのに、多くの人々の心を獲得したのは何故なのか。
ズィッピー・チッピーは、2022年4月15日に、引退馬牧場で、その31年の生涯を終えたが、100戦100敗という肩書きのつくこの馬を多くの人々は愛してやまなかった。 先月5月6日にはニューヨーク州のグリーンフィールドセンターでは、この馬の友人やファンが多く集まって最後の敬意を表した。
Ron Thompsonのフェイスブックから。
ズィッピー・チッピーの追悼式
ケンタッキー・ダービーの優勝者であるノーザンダンサーの孫であり、競馬ロイヤルファミリーに生まれたズィッピーは当初、史上最高の競走馬の一頭であった可能性があった、もしレースの開始時にだけ、他の競走馬と共に走り始めたならば。
ところがズィッピーは、誰も(人も馬も)が何故そんなに急いでいるのかを完全には理解していなかったらしく、その結果、参加していたすべてのレースで負けたため— 100レース中100敗(または、マイナーリーグの野球選手との駆けっこに負けたことを数えると101敗)ということになり、史上最悪の競走馬の記録を打ち立てた。
1995年に1988年型フォード社のトラクターと引き換えにズィッピーを譲り受けたオーナーで、トレイナーでもあったフェリックス・モンセラーテは、ズィッピーを家族の一員として扱い、忠実な仲間意識があった。 数年前故人となったが、モンセラーテは、決してこの馬を否定せず、諦めなかった。
「ズィッピーは私の息子のようなものです。私はこの馬が本当に大好きなのです。彼が走るたびに、私の気分を良くさせてくれます」と生前モンセラートは「CBSサンデーモーニング」に語った。
オーナー亡き後、ズィッピーは、ニューヨーク州北部のキャビンクリークにあるオールドフレンズ引退競争馬農場でその余生をこの4月15日に逝くまでのんびりと過ごした。
「勝つことが当たり前で、すべてである競馬で、ズィッピーは負けることは普通のことだと教えてくれた」と感傷的にその馬を愛した人々は言う。 常に己を持ち、己の哲学(馬の)に基づいて生きてきたズィッピーに、多くの人々は皆自分自身を見ているかのように見ていたのだった。ズィッピーが何を望んでいたとしても、彼はいつも自分自身であり続けた。
Zippy Chippy / Credit: Samantha Decker
レースに勝ったことのない馬は多くの心を勝ち取った。
ケンタッキー・ダービーで、重要なのは馬のスピードだ。 しかし、ズィッピーは、優勝のバラの花束を求めて走る以上のことが人生(馬生)にあることを私たちに思い出させてきた。 時々、ただ立ち止まって花の香りを嗅ぐ余裕が良い場合だってあるのだということを教えてくれたのだ。
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フェリックス・モンセラーテと彼の馬ズィッピーは、おそらくサラブレッド・レースで最も堅固な関係があった。
どういう心境だったのか…。
ズィッピーの、明らかにレースが分かっていない様子が
ユーモラスだったのかもしれないですね🌸
思うのですけど、自分だけが、競争なんかしなくていいやと思うだけではダメで、
それを認める他人がいないと成立しないと思うんです。
(嫌なことを言ってごめんなさい。)
多様な価値を認めてあげられるよう、頭を柔軟に
しておかないといけないな、とこの記事を読んで思いました。
米国はいろんな人がいて、すごく揺れているだろうなと思います。
日本も他人事みたいに言ってる場合ではないのですけど、
独裁国に物申せるのは米国くらいしかないので、
頑張ってほしいと、手を合わせる気持ちで願っています。
またの記事を楽しみにしてますね😊