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つい先週のある日、まだまだ明るい夕刻5時半頃、友人の夫が2019年型ホンダ125CCのモーターサイクルに乗っていたところ、突如25歳の若者が運転するトラックが前方でUターンをし、そのトラックの側面に激突して即死した。51歳。愛妻と四人の子供たちに孫三人。下の子供はまだ中学生ほど。
教育委員会委員で、その前は、生徒に親しまれ、慕われてきた教師だった。残された家族を思うと、息をするのも辛い。経済的には、彼はサイドビジネスで土地不動産関係にも携わっていたので、そう心配することはないのが、せめてものこの世的な救いかもしれない。家族を愛した働き盛りの彼が、思い残すことはおそらく数限りないことだろう。去られた家族は、最愛の大黒柱を突然失い、打ちひしがれている。
先日の京都アニメィション・スタジオでの惨劇は、ひとりの男がかくも無残に人々の命を容赦なくもぎ取られるのかと唖然とし、またその犠牲者の多さにも震え、誰もの口をつく言葉は、「何故?」である。その答えは、この世を去るまでわからない。狂気に至ったわけは、そのうちに明るみにでるかもしれないが、何故今このように命を奪われなければならなかったのか、何故それが愛する人でなければならなかったのか、その答えは、あってないに等しい。誰にもわからない。そして今その答えは得る時ではないのを悲しみのうちに知る。
信仰を持つ者は、損失がほんの一時的なことであると理解するが、その境地に到達するのは、(キリスト教徒でも)決してたやすいことではない。それでも少なくとも悲しみが、光のない洞窟ではなく、トンネルにすぎないと根底で理解する所に救いがあるのだ。トンネルの向こうには、明かりさす出口があり、そこに、愛する人が待っているとわかるからである。特に信仰を持たなくとも、それをうっすらと感ずる人はいる。
私は何をしたらいいのだろう。夫を亡くした友人に何ができるのだろうか。決して「泣かないで」や「時が。。。」などとは言うまい。やはり私はいつもそういう時にすることをするだろう。それは、以前のブログにも書いたが、深い悲しみのうちにある方には、話したいことを話したいならば、いつでもお聞きします、とメモをつけて食事を持って行く。泣くだけ泣いて、気の済むまで泣いて、疲れたら私の肩に頭を置けます、とも。弟が逝った時、夫も子供達も、私が話したい時だけ、話を聞いてくれた。泣きたい時には、夫が胸を貸してくれた。そこで私は千の慰めを受けた。
アニメ京都の多くの若い才能を持った方たちが、一人のキチガイのために尊い命を亡くしたという事実、言葉もありません。そして、ご家族の方たちをわが身に置き換えるとその悲しみは想像することができます。慰めには言葉はいらないと言うか、言葉で表せるほど、浅くはないと思います。あまりうまくは表現できませんが。
言っておられました。この言葉にある深い絶望に胸を刺され、
言葉もありませんでした。
歳を取っての別れであっても、信仰によって、しばしの別れと
知っていても、実は、心の中にある慟哭は変わりません。
イエスさまも、涙を流してくださった事ですものね。
「言葉もない」は本当ですね。去る人は、この世に思いを残し、去られる人は同じ思いがはっきりと痛みとなりますから、容易に未来どころか明日さえ考えられません。でもその痛みをこらえて少しでも息をつける時、ほんのかすかに光る出口を見いだせるのでしょう。そこへいつ到達するかはわかりませんが、そのかすかな灯りを頼りにやっと歩いていけるのだと思います。それにしても、「先週の今頃は、まだ。。。」という考えに浸り勝ちで、しっかりしなきゃ、と自分を叱咤激励して、やっと一歩踏み出せるようになり、そうするとその一歩は月面の一歩よりもずっとずっと偉大な価値のあるものだと思います。
慟哭を心のうちから少しでも出すことで、目から梁が取れ、涙にかすむとしても、前を向けるのでしょう。だから、悲しい時は、泣くことだと思います。一人でも、どなたか胸をお貸しくださるならば、二人で、三人で。泣いて泣いて涙も涸れるという表現は、「これで立ち上がることができるかもしれない」という兆しを運んでくるように思えます。キリストの贖罪を思う度、涙が流れてくるのは、そういう兆しがやってくるのを可能にしてくださったことに関係あるからなのでしょう。