ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

一緒の時間

2020-12-21 | クリスマス

Hallmark: Charles M. Shultz

 

 

 

この世では、決して避けられないことの一つは変化するということかもしれない。次のようなことわざがある。「変化ほど常に変わらずあるものはない。」

人は一生を通じて,変化に対処しなければならない。喜ばしい変化も,そうでない変化もあり、例えば愛する人の死,予測しなかった病,大切にしていた物を喪失してしまう、など,生きていると、ゆっくりとやってくる、あるいは突然現れる変化もある。

夫と私は40年ほど結婚しているが、新婚時代を思い返すと,当時と今の私たちの生活がとても大きく変化したことに気づく。結婚した時、傍らにいてくれた,双方の愛する両親や祖母は、もういない。長い間に私たちの生活を喜びで満たしてくれた5人の子供は,成長し、それぞれの家庭を築いている。今では私たちには9人の孫もいる。

おおよそ全ての人の人生は,似たような変化をたどるものだ。人生で経験する変化で、私たちと他の方々が経験する変化を比べると,その変化は細部がちょっと違っているにすぎない。時は決して私達を待たず、絶え間なく進み,それに伴って、変化が訪れる。

死すべき世での人生は,全ての人に与えられた唯一無二の機会である。長く生きれば生きるほど,一生の短さを悟るという。様々な機会は訪れては去る。この世での短い人生で得られる教訓の中で、最大の重要な教訓の一つは,何が大切で、何がそうでないかを分けることだろうか。

自分のしたいことを全部するだけの時間を持ちたいと,現実的ではない将来をあれこれ計画している暇があるうちに,人生で最も大切な事柄を見過ごし、やり過ごしてしまうかもしれない。そうではなく,今,人生に喜びを見出さなければいけないのではないだろうか。

アメリカ人作家メレディス・ウィルソンが書いた『ザ・ミュージックマン』(The Music Man)で, 登場人物の一人,ハロルド・ヒル教授の警告的なセリフがある。「明日のことばかり考えていると,ふと気づいたときには,空っぽの昨日ばかりだった,ということになりますよ。」

今日何かをしなければ,明日になって思い起こす価値のある事柄は何もないということになる。

こんな話を聞いたことがある。ある雑誌にアーサー・ゴードンという人が投稿したものである。

「わたしが13歳,弟が10歳くらいのときのことです。父がサーカスに連れて行くと約束してくれました。しかし昼どきになって電話が入り,急な仕事で,父は町に行かなくてはならなくなりました。わたしと兄は,サーカスには行けなくなったと言われてがっかりすることになるだろう,と心の準備をしました。しかし父は〔受話器に向かって〕こう言ったのです。『町へは行けません。それに先立った先約があるのです。』

テーブルに戻って来た父に,母がほほえんで言いました。『サーカスはまたいつか来るでしょうに。』

父は答えました。『そうだね。でも,子供時代は二度と戻って来ないんだよ。』」

私達夫婦も含めて、空の巣族と言われる人々の多くは,しばし寂しさを覚え,子供が幼かったあの頃をもっと楽しんでおけばよかったと半ば悔やむことがある。専業主婦・母で、5人の子供を育てる「事業」にどっぷりと浸かっていられた時代が懐かしく、タイムマシーンがあったなら、と思うのは私だけではないだろう。しかし、時は進んで行くもの、過去を思い悩み続けず,今日,今ここでできることに最善を尽くすべきだとは、頭は理解しているが、心が追いつかないこともある。それでも将来を楽しい思い出で満たしたい。

今,子育て中の方は,大事だと思っている家具や食器や装飾品に、神経質になり、家中に散らかり放題の玩具,たった今きちんと畳んだと思うまもなく崩れていく山のように現れる洗濯物、子供のクレヨンによる廊下の壁の「芸術」、そんなシーンが何千回と繰り返されて、ため息と涙さえこぼれてしまう日もあることだろう。けれど、 こういった光景は、実はあっという間になくなってしまい,そのことに信じられないほど大きな寂しさを感じるようになるものだ。娘や息子たちに、それを私はいつも言う。

生活していればストレスは息をするようにある。ストレス解消に最善を尽くして対処すべきだが、ストレスのせいで,最も大切なものをないがしろにはしたくない。それなのに、「自分が家族をどんなに愛しているかは,皆は十分知っているはず」と思い込み、一人でそう決めてかかっていることがある。知らせなければならないのにそうしない。ウィリアム・シェークスピアは言った。「愛情を示さぬ方は,愛さぬことと同じことだ。」

愛情のこもった言葉をかけ,その愛情を示したからとて後悔することは決してない。そのような言動が,大切な人や家族との関係から除外されるなら,いつか後悔する日が訪れる。久しく連絡を取っていない友に手紙を送り,我が子を抱き締め,親を抱き締め,もっと「大切に思っている」と言い,いつも感謝を伝えたいものである。「日本人にはそうした習慣はないし、恥ずかしい」と敬遠しているうちに、 友は遠くへ去り,子供は成長し,愛する人は逝去してしまう。 愛する人々の姿が消え,後悔しても遅い。

アンクル・トムの小屋の作家、ハリエット・ビーチャー・ストー女史が言った、「墓前に流された哀絶の涙には,伝えなかった言葉や,やり残した行いが込められている。」と気づいて、悔やんでも、時既に遅しであろう。

携帯電話やコンピューターやアイパッドやテレビを消して、一週間の1日だけでも家族と共に時間を過ごして、家族が最も大切だと言うことを最も大切な家族に示したいものだ。友や家族に愛を示すことは、今日である。「明日」はいくらでもあるものではないのだから。

 

ー2008年10月付けのトーマス・モンソンの講話からの抜粋。緑の部分は私の考え。

 

下のヴィデオはアップル社のコマーシャルで、その要旨は、姉妹仲も悪く、また一見祖父と孫たちには、愛があるとは感じさせない祖父宅で、孫達は古いヴィデオを見つけ、それが祖父母の結婚式のものだと知る。孫達は古い写真やアイパッドで撮り、このクリスマスの食卓で現在の家族全員を撮る。そしてそれを編集し、祖父へのプレゼントのアイパッドに入れて、クリスマスの朝、祖父に渡す。妻を亡くした祖父は生前の妻をその中に見る。

 

 

 

 


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