vinecc.org
最後まで諦めず、最後まで後退せず、最後まで信念を失わない
もう16年ほど前、大統領になる前に、ドナルド・トランプ氏の”The Apprentice”というリアルテイ・ショウのTV番組があり、期待にそぐわない(幹部)見習い社員は、重役会議室の会議でトランプ氏から、”You are fired!”(あなたはクビです!)と言われる、痛い番組であった。
現実に、このパンデミックで、職を失った人々は数えきれない。家庭を持ったばかりの若い父親、大きな家族を抱える壮年期の父親、上の子供がやっと高校生になったばかりの二児の母親、などなど私の周りにはたくさんいる。勿論その人々の落ち度ではなく、大抵が勤め先が経営不振・破綻、閉店・閉業、人員整理となったからだ。このような時期に失職するのは、心痛の至りだ。
先週のある朝、食卓に広げてあった新聞にハーヴェイ・マッケイ氏のコラムの題名を見た:「馘首は良いことかもしれない」。 マッケイ氏のコラムについては、以前書いたが、Harvey Mackayハーヴェイ・マックケイ氏は、1932年生まれの実業家で、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー作家、アメリカ合衆国の新聞雑誌連盟のコラムニストである。彼のコラムは経済・実業についてだけではなく、人間関係や生き方の指南と言えるほど、しばしば読み終わって何か一つ習うのである。
そのコラムはマッケイ氏の著書、”We Got Fired!...and It's the Best Thing Ever Happened to Us"(私たちはクビになった!…そしてそれは今までで最善のことである)は、彼が29人の著名な人々の失業後の目を見張るばかりの人生の跳ね返り成功体験記である。ここでは3名の経験について抜粋する。
パット・ミッチェル女史は、PBS(合衆国の寄付による公共放送)の史上初の女性社長でCEOに就任したが、彼女はそれ以前Look(ルック)という雑誌の調査・編集者であった。ルックは、1937年から1971年まで発行されていた合衆国の雑誌だが、経営破綻をして、パットは解雇された。それ以外なんとか経済的に繋いで仕事を転々としたが、彼女は語る:「決然とした態度でいることです。諦めないと決断することです。私の履歴書をご覧になるとお分かりですが、一つのところから今の位置まで直線で飛躍してきているのではないのです。気に染まないし、自分の希望に沿わない仕事もしましたし。でも、逆戻りはしていません。」彼女は続ける。「学ぶ機会を逃さずにいることです。気にもかけなかったスキルをその後重宝することが多々あるからです。」
パット・ミッチェル
Photo: NPR.org
バーニー・マーカスは、チェーン店ハンデイ・ダン住宅改善センター会社の社長だった時、親会社が経営破綻し、彼自身の会社は破綻せずにいたにも関わらず、親会社によって文字通り社長室から追い出され、そのドアにはつっかえ棒が釘打たれた。自身にはなんの咎もなかったバーニーは、不当性を訴えようとしたが、良き助言者のおかげで、訴訟を取りやめ、前から望んでいたことをすることにした。それは自身の会社を設立することで、1978年誕生したのが、The Home Depot(ホーム・ディーポ=ホーム・センター)である。ホーム・ディーポは、全米最大手のホーム・センターであり、バーニーは、住宅改善商店の定義をすっかり換えた。
バーニー・マーカス
Photo: breitbart.com
国際テニス連盟の定めた4大大会を完全制覇したビリー・ジーン・キングは、なんども職業上の後退を余儀なくされたことがある。そんなキングは、こう言う:「信念を持つこと、そして自分を信じることです。あなたがどう感じていようといいのです。人に助言を求めることを恥じないことです。私にはなかなか助けてとはいえない恥ずかしさがありましたが、人々はあなたを助けたいと言うことを知りました。技術を開発し、尽力することです。」
どんな競技においても、年間賞金$100,000以上を獲得した初の女性であるキングは、付け加えた。「真の満足感は、遅れてやってくると理解することです。一獲千金のような短期の見返りを期待する社会に住む私たちです。忍耐を知り、そのスキルを磨いて、自分の得たいものを得るのです。多くの労力と汗ですが、それを喜んですることが大切です。」
history-talks.com
ビリー・ジーン・キング
以上の人々の例は、あなたの立場には直接関連しないように見えるかもしれないが、しばし立ち止まってお考えになってみてはいかがだろうか。この人々は自己憐憫に陥り、なけなしの金銭をはたいて訴訟を起こし、苦汁を舐めながら、将来の求職活動を汚染して行くことを選択しなかった。彼らは違う道を選んだ。自らの強さを利用して、先へ進むように鍛錬していったのである。
教訓:厳しい時は続かないが、タフな人々は続く。
私の夫がまさにそういう生き方をしてきました。夫は事情があって2度3度と転職しましたが、今75歳の高齢になっても仕事がとぎれないのは過去さまざまな仕事をこなしてきたおかげだと言っています。その当時は決して順風満帆ではありませんでしたが、それが現在役に立つという幸運に恵まれているのは夫が決して諦めなかった結果だと思います。