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ステイシーと父親、ブルゲンラントのブドウ園で。
その1の続き
ステイシーは、彼女が発見した家系図について母リナリーに知らせようと電話をすると、滅多に泣くのを見たことがなかったのに、母親は、話を聞くと涙を流した。母と娘は何百マイルも離れていたが、この瞬間二人の傷ついた心が結びつけられたのだった。そしてそれは癒しの瞬間であり、ステイシーが彼女の家族遺産というべきものを取り戻した瞬間であった。
家族の歴史がステイシーの人生に浸透すればするほど、彼女は目的意識と自分が誰であるかへの理解をより深めた。彼女は系図DNA検査を受け、FamilySearchファミリーサーチ(データベース)を通して、ハンガリー、イギリス、フランス、スコットランド、アイルランドそしてさらにはエジプトにまで自分の家族の系統を辿った。彼女は、生涯農地で苦労した農民や一生を贅沢に暮らした王や女王などの人々の末裔であった。そして愛、優しさ、苦しみ、精神的な病、そして真の人間性が自分の家系図に流れていたことが、彼女が彼女である意味をもたらしているとわかった。
もっと知りたいという気持ちで、ステイシーは夫と父親と一緒にハンガリーとオーストリアに家族に関する記録を探し、先祖が歩いていた村を歩くことにした。ブルゲンラント州として知られる地域では、彼らは歴史資料館や教区資料室での調査に時間を費やし、まだデジタル化されていない先祖の出生、結婚、そして死亡記録を探した。彼女が記録を調べている時、彼女は感情に満たされた。
「どれほど貴重な人生があり、それが本当にどれほど短いのかということに圧倒されました。私がページをめくっていくうちに、これら全ての世代の人々(先祖)が私のそばを通り過ぎていくようでした」とステイシーは言った。 「私たちは自分たちの人生の細部にわたって決断、感情や感受性などにとても巻き込まれていますが、一歩後退して、人生全体を表す日付を見て、本当に重要なことを考えてみるのはすばらしいことでした。」
この見方をしたからと言って、鬱病の苦しみは消えなかったが、喜びと悲しみの両方が前世代の人々の経験の共通部分で、そでも彼らは最も困難な状況下でさえも繁栄し続けてきたのを彼女は目にした。 あるハンガリーの高祖母の話が特に彼女に勇気を与えた。
「私は、高祖母マリアと強い愛情の結び付きを感じました。彼女は25歳のときに一人でアメリカにやって来ました。彼女がその旅をするためにどれだけの勇気がなければならなかったかを考えと、すごいことだと思うのです。」
今、ステイシーは、試練に直面する時、彼女の祖母(高祖母)について考える。昨年末、ステイシーは、新しいライフスタイルのブログ、Royal Hungarian(ローヤル・ハンガリアン)を作成するという新たな道を切り開くために仕事を辞めるという困難な決断を「マリアおばあちゃんのように勇気を出して」下した。ステイシーは、時折彼女が由来する強さを物理的に思い出させるものとして彼女の祖母、マリアの娘、がしていた金のロケットを高祖母を思い起こすために身に着ける。
自分の精神的健康を積極的に管理し続けているが、今やステイシーの目は世界を違ったように見ている。 彼女はもはや外を見て、自分が誰であるのか、そしてなぜ彼女がここにいるのか不思議に思うことはない。 彼女は希望、善、人生の目的を見ている。 自分の過去を断片化されたものとして見る代わりに、自分が切れ目なく続く鎖につながることを見ている。
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2018年9月のハンガリーとオーストリア訪問の旅でステイシーが見つけた家族に関する記録の数々。
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ステイシーのハンガリーの高祖母マリア・ミリシッツ、左から二番目,1892年の写真。右写真は左のマリアが手に持っている祈祷書。