まあ、3歳!! あなたも老いましたね!
歳を重ねる、ということを端的に言い表した古(いにしえ)の人々の言葉は、茶室で外の蝉時雨を耳にしたり、秋雨にひっそりと打たれているバラの花を雪見窓越しに臨むような気持ちにさせる。そんな言い方は、まるで長嶋茂雄氏の世界のように、「つまりどういうこと?」となるだろうが、そう、「犬の散歩に行くといつも迷子になって、犬だけ帰ってきていた。」と同じことである。
「年齢は問題よりも心の問題です。 あなたが気にしなくとも問題はありません。」と、マーク・トウェインは申したが、実際はアール・ウィルソンの申したことがより身近に聞こえはしないだろうか。
中年以上になるとは、あなたの衣服がもはや着られないときであり、そこで変更すべきは衣服の寸法ではなく、あなた自身である。
マーク・トウェインは、私の大好きな作家の一人だが、彼は別に、よし、後世のために我が名言を遺そう!、としていたわけではないところが、好きな点でもある。 彼が残した言葉は、つい微笑んでしまうような、現実的な、そしてその通り、と思える事ばかりである。
友人たちが「若く見えるよ」と誉めだしたら、あなたが年をとったしるしだ。
48歳より前に悲観主義者になる者は物事を知りすぎ、48歳を越えてもなお楽観主義者である者は物事を知らなさすぎる。
私はしっかり後者に入りかけている。
若いうちはどんなルールにも従っておくのが良い。どうせ歳をとればルールを破る力が手に入るのだから。
つまり「老いるが勝ち」。
野球についてはまるで知識など皆無の私は、それでも幼い頃から長嶋茂雄氏については知っている。そして合衆国のニューヨーク・ヤンキース選手Yogi Berraヨギ・ベラも知っている。彼は長島氏より以前から名言(迷言)の数々を遺している。何冊もの本にもなったほどである。そして彼の次の言葉が歳を重ねることへの究極かもしれない。
“Never make predictions, especially about the future.”
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決して予測などしないことです、特に未来については。
なるようになる、のが人生ならば、老いも然り。今日生きているだけでも大したものである。
と、3歳のベテラン・シェフも申す。