今朝、区の地域行政センター地域福祉課から電話があり、77歳の母の介護保険認定の認定調査日の連絡を受けた。
3年前より、だいぶ衰えが見える母であったが、昨年は杖歩行の状況から、歩行器使用になるほど足腰は弱り、記憶や行動を見ても、こちらからみると「認知症」ではないかと思うほど、奇妙な行動、発言が増えた。
心配になり、日医大の老人科で受診をしたが、幸い「認知症」の診断までにはいかなかったが、「この先そうなる傾向はあります」との医師の判断で、今は薬を服用し、月に一度の定期的受診を強いられている。
もう20年前に父は他界しており、それからずっと一人で過ごしてきた母。もう少し若い頃には仕事もこなし、孫の面倒も見ていたが、今では月の半分は実家で一人で過ごし、残り半分はこちらにきて生活をしている。
自宅にいる際は、足腰が辛い為、キッチンに立ち料理をする事もほとんどなく、食事は店で購入している。
「誰かの世話にならず、もう少し一人で気楽にいたい」という母の言葉を尊重し、現状に至るが、家にこもって一人でいる事により、認知症が進行する可能もあるので、なんとかデイサービスでも受け、少しは気分転換にでもなれば・・・・と、昨年初めて介護保険の申請をした。
前回も認定調査員の調査を受け、「要支援」の認定を受けた。結局、デイサービスを依頼する施設の選択がしきれず、サービスを受ける事なく、今回2回目の申請、調査を受けるかたちになった。
実家で、母と自分が同席で調査を受ける事になるが、母本人はなんの調査で、調査を受けてその先どうなるかは一切理解していない。
何度も説明をしているが、すぐに忘れてしまうのである。
説明をした時はちゃんと理解し、本人は「そんな介護や支援は必要ない」「デイサービスって何?」「自分はまだまだ大丈夫」といった感じだ。
実際、支援がなくともなんとか生活は出来るであろうが、こちらとしては、生活云々は基より、デイサービスを受ける施設で、同じ年代の仲間とのお喋りや、介護師達と少し体を動かしたり、会話をする事で、リフッレシュ、そして脳の活性化に繋がれば・・・・という思いがある。
そんな話をするとちょこんと首を傾げる母。「別に必要ではないけどね~」とあまり気が進まない。
正直、自分はまだそこまで老いていない、「老い」を認めたくない部分もあるのだろう。それは、きっとどの方も通る道なのだとは思う。
実際、本人は希望をしないが、身内の心配や、身内の事情で、介護や支援を必要とするケースは多いと思う。最初は無理に行くかたちでも、慣れる事により、楽しみが増えたり、生きがいを見つけたり、ときっと時間が経てば本人も望んでいくかたちになる場合もある。
ただ、最初の一歩の踏み出しである今回、母は「なんで支援?」と疑問に思う中、勝手に事を進め、調査日に母の最近の状況や、困った点等を調査員に報告しなければならないのは、時に辛く感じる事がある。
母は調査員に「自分で自炊もできる」「薬もきちんと処方どおり飲める」「歩くのもまだまだ大丈夫」と、自分はまだ元気なんです、と懸命にアピールする後、全てを否定していかなければならない事に、なんとなくどこかに居たたまれない気持ちが湧いてくるからであろう。
ただ、悲観的になってもそれは母にも自分自身にも良い事ではないので、事実は事実として伝え、過程はともかく、母が少しでも「楽しい」と思える事をみつけられる場を探していく事が、自分から母への一つの親孝行だと思う。
3年前より、だいぶ衰えが見える母であったが、昨年は杖歩行の状況から、歩行器使用になるほど足腰は弱り、記憶や行動を見ても、こちらからみると「認知症」ではないかと思うほど、奇妙な行動、発言が増えた。
心配になり、日医大の老人科で受診をしたが、幸い「認知症」の診断までにはいかなかったが、「この先そうなる傾向はあります」との医師の判断で、今は薬を服用し、月に一度の定期的受診を強いられている。
もう20年前に父は他界しており、それからずっと一人で過ごしてきた母。もう少し若い頃には仕事もこなし、孫の面倒も見ていたが、今では月の半分は実家で一人で過ごし、残り半分はこちらにきて生活をしている。
自宅にいる際は、足腰が辛い為、キッチンに立ち料理をする事もほとんどなく、食事は店で購入している。
「誰かの世話にならず、もう少し一人で気楽にいたい」という母の言葉を尊重し、現状に至るが、家にこもって一人でいる事により、認知症が進行する可能もあるので、なんとかデイサービスでも受け、少しは気分転換にでもなれば・・・・と、昨年初めて介護保険の申請をした。
前回も認定調査員の調査を受け、「要支援」の認定を受けた。結局、デイサービスを依頼する施設の選択がしきれず、サービスを受ける事なく、今回2回目の申請、調査を受けるかたちになった。
実家で、母と自分が同席で調査を受ける事になるが、母本人はなんの調査で、調査を受けてその先どうなるかは一切理解していない。
何度も説明をしているが、すぐに忘れてしまうのである。
説明をした時はちゃんと理解し、本人は「そんな介護や支援は必要ない」「デイサービスって何?」「自分はまだまだ大丈夫」といった感じだ。
実際、支援がなくともなんとか生活は出来るであろうが、こちらとしては、生活云々は基より、デイサービスを受ける施設で、同じ年代の仲間とのお喋りや、介護師達と少し体を動かしたり、会話をする事で、リフッレシュ、そして脳の活性化に繋がれば・・・・という思いがある。
そんな話をするとちょこんと首を傾げる母。「別に必要ではないけどね~」とあまり気が進まない。
正直、自分はまだそこまで老いていない、「老い」を認めたくない部分もあるのだろう。それは、きっとどの方も通る道なのだとは思う。
実際、本人は希望をしないが、身内の心配や、身内の事情で、介護や支援を必要とするケースは多いと思う。最初は無理に行くかたちでも、慣れる事により、楽しみが増えたり、生きがいを見つけたり、ときっと時間が経てば本人も望んでいくかたちになる場合もある。
ただ、最初の一歩の踏み出しである今回、母は「なんで支援?」と疑問に思う中、勝手に事を進め、調査日に母の最近の状況や、困った点等を調査員に報告しなければならないのは、時に辛く感じる事がある。
母は調査員に「自分で自炊もできる」「薬もきちんと処方どおり飲める」「歩くのもまだまだ大丈夫」と、自分はまだ元気なんです、と懸命にアピールする後、全てを否定していかなければならない事に、なんとなくどこかに居たたまれない気持ちが湧いてくるからであろう。
ただ、悲観的になってもそれは母にも自分自身にも良い事ではないので、事実は事実として伝え、過程はともかく、母が少しでも「楽しい」と思える事をみつけられる場を探していく事が、自分から母への一つの親孝行だと思う。