「黒い五月」の活動日誌

ティーカップから引っ越してきました。

暑い日の過ごし方

2008-07-13 20:02:34 | 製作状況
 暑いです。正直気力が萎えてきてますが、たまの休日、駒沢補助競技場で戸塚サッカースクールの補講サッカーを観たついでに、銀座まで出かけてきました。
 日本で一番地価が高いという鳩居堂の4F第二画廊で行われていたのは、「原田泰夫遺墨展」。
 お亡くなりになって、早4年。7月11日が命日ですから、故人を偲ぶ会という意味も含まれていたようです。
 ええと、作品も写真に収めたかったんですが、さすがに遠慮してきました。

 原田泰夫先生というと、将棋九段で名人や王将、棋聖といったタイトルには、ついに縁がありませんでした(挑戦も無し)が、「玉損の攻め」(ってダメじゃん!)とまで言われた超攻撃的な棋風で順位戦A級10期、NHK杯他トーナメント優勝3回と、一流の棋士として堂々たる成績を挙げておりました。
 また、30代にして日本将棋連盟会長にも就任、6年にわたり連盟の運営にも携わっておられました。
 それ以上に、40代以下の世代にとっての原田先生の全盛期は、棋士としては退役されてからなんじゃないでしょうか?
 文字通り「将棋界の御意見番」として、81歳(将棋の世界では、マス目の数と同じということで、「盤寿」として祝う風習があるそうな)でお亡くなりになる間際まで、普及、解説に大活躍をされておりました。
 とにかく、生前、入門者向けに提唱されていた「三手の読み」にすべてが集約されているんじゃないでしょうか?
 で、まあ、俳人、書家としても高名だったこともあって、今回、こういった催しが行われたようなのですが、ぜひとも大阪などでもやって欲しいですね。
 奨励会当時の日記や書も公開されていたのですが、書については、10代、それも前半の字と思えないですね。一説のよると、超一流の書家と呼ばれる人でも、10代で原田先生ほどの字が書ける人は少ないとのこと。
 ちょっと衝撃的ではありましたよね。 

 一応、サッカーの写真も少しだけ。
 関東二部で下位を争っているSAI市原(旧古河電工千葉)を相手に先制を許すも、前半のうちに追いついて、終わってみれば4-1で快勝。
 とはいえ、SHRハーフタイムの戸塚校長監督の生徒選手への指示を与えている姿が、おっかねえというか……。
「もっとタテを使わないと、横ばっかりだから、相手にしっかりと守られちゃうんでしょ?だから頭を使えって、言ってるの――」
 日焼けした肌、全身黒ずくめにサングラスという服装を含めた容貌と優しい声と語り口のギャップが余りにも大きすぎて、恐怖が増幅されてます(汗)。
 戸塚校長監督って、ヘマした選手やコーチを、何も言わずに相模川に沈めそうな雰囲気があるのは気のせいでしょうか?