やばいよーやばいよー。
もう、来週には交流戦が始まってしまうではないか!
というわけで、第15回です(タメイキ)。
※相変わらず、敬称略で書きなぐってます。ご容赦ください。
2002年っつーと、世の中的には、サッカー一色でしたね。
そのせいか、どうなのか、コミッショナーの要望という形で、「全国分散開幕」となりました(パは札幌、大阪、福岡、セは東京ド、名古屋、広島)。
また、新たな市場開拓を意識したのか、鷹vs波が5月に台湾で行われました。
それは、さておき。
この年の日本シリーズで、あの西武がヨミウリにスイープされました。
かなり衝撃的ではありました。
約10年で、立場が完全にひっくり返ってしまったんですから。
松坂が打ち込まれたという意味でも、完全にセ・リーグの時代をより印象付けることになりました。
なお、シリーズMVPは、五反田9800円さんでした。
そのような中で、この前後からつい最近まで、あるいは現在でも活躍する選手たちが続々とプロ入りしていきます。
猫=G後藤、小野寺、U捕手
牛=坂口、大西(宏)、下山
鷹=和田、ARAKAKI、森本、稲嶺
鴎=日本シリーズを守備妨害で終わらせた人、神田、金澤、早坂
公=武田久、紺田、小谷野、鶴岡
波=加藤大、マック鈴木
この年のドラフト会議、変わったことといえば、なんとオリックスが2巡目でメジャーリーグ経験者を指名しております(笑)。
とはいえ、ウゴ・ケデブをはじめとする有力どころは自由獲得枠で、ほぼ根こそぎセ・リーグに持っていかれているわけでして、事実、ほぼ確実に戦力になったようですし。
その意味では、和田、ARAKAKIの両取りに成功した鷹フロントをはじめ、パ・リーグ球団の執念もひしひしと感じる結果となりました。
それでも、この時期は、「欲しい選手より来てくれる選手」という雰囲気は漂っていましたよね。
そうそう、大事なことを忘れていました。
この年、日本ハムは、2004シーズンからの東京から札幌への本拠地移転を決断しました(7月4日)。
ほぼ、同時期(18日)にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと業務提携を始めたんですが、これを知っている人は、どれだけいるのだろうか?(笑)。
千葉の鎌ヶ谷に2軍施設をオープンしたものの、客は来ないわ、東京ドームには余分にお金を取られる(他のお金になるイベントが入れられないからという理由)、実は夏に阪神以上の死のロードを強いられるわ――とまあ、むしろ今となっては、東京ドームに居続ける理由を見つける方が難しい状況であり、もう、新天地で、市場を開拓するしか球団が生き残る術が無くなりつつあったということでもあったのでしょう。
(まだつづく)
もう、来週には交流戦が始まってしまうではないか!
というわけで、第15回です(タメイキ)。
※相変わらず、敬称略で書きなぐってます。ご容赦ください。
2002年っつーと、世の中的には、サッカー一色でしたね。
そのせいか、どうなのか、コミッショナーの要望という形で、「全国分散開幕」となりました(パは札幌、大阪、福岡、セは東京ド、名古屋、広島)。
また、新たな市場開拓を意識したのか、鷹vs波が5月に台湾で行われました。
それは、さておき。
この年の日本シリーズで、あの西武がヨミウリにスイープされました。
かなり衝撃的ではありました。
約10年で、立場が完全にひっくり返ってしまったんですから。
松坂が打ち込まれたという意味でも、完全にセ・リーグの時代をより印象付けることになりました。
なお、シリーズMVPは、
そのような中で、この前後からつい最近まで、あるいは現在でも活躍する選手たちが続々とプロ入りしていきます。
猫=G後藤、小野寺、U捕手
牛=坂口、大西(宏)、下山
鷹=和田、ARAKAKI、森本、稲嶺
鴎=
公=武田久、紺田、小谷野、鶴岡
波=加藤大、マック鈴木
この年のドラフト会議、変わったことといえば、なんとオリックスが2巡目でメジャーリーグ経験者を指名しております(笑)。
とはいえ、
その意味では、和田、ARAKAKIの両取りに成功した鷹フロントをはじめ、パ・リーグ球団の執念もひしひしと感じる結果となりました。
それでも、この時期は、「欲しい選手より来てくれる選手」という雰囲気は漂っていましたよね。
そうそう、大事なことを忘れていました。
この年、日本ハムは、2004シーズンからの東京から札幌への本拠地移転を決断しました(7月4日)。
ほぼ、同時期(18日)にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと業務提携を始めたんですが、これを知っている人は、どれだけいるのだろうか?(笑)。
千葉の鎌ヶ谷に2軍施設をオープンしたものの、客は来ないわ、東京ドームには余分にお金を取られる(他のお金になるイベントが入れられないからという理由)、実は夏に阪神以上の死のロードを強いられるわ――とまあ、むしろ今となっては、東京ドームに居続ける理由を見つける方が難しい状況であり、もう、新天地で、市場を開拓するしか球団が生き残る術が無くなりつつあったということでもあったのでしょう。
(まだつづく)