「黒い五月」の活動日誌

ティーカップから引っ越してきました。

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(17)

2017-05-27 21:50:00 | NPB
 交流戦云々するはずが、延々とパ・リーグ30年史をやって、はや17回目(苦笑)。
 やっと、本来のテーマに近づきつつありますよー。

 おそらく、ある一定年齢以上の野球、というよりは、パ・リーグファンにとっては、激動過ぎる一年となった2004年。

 その騒動は、あまりにも唐突、突然に始まったのでした。
 当時の関係者、それも本当に上層の中の上層部の人々にとっては、水面下でずっと進めていたことなのでしょうけど、少なくとも、ごく普通に、当たり前のようにプロ野球を楽しんでいた人々にとっては、まさに「青天の霹靂」というべき事態でした。

 6月13日、管理者は宇都宮に居ました。
 そのニュースを知った時の反応といえば――

 は???!!!

 それ、なんて「キヨハラくん」?!
(※)

 ※管理者註=今や「封印作品」と化してしまったマンガ。この騒動から、さかのぼること14年前、くしくもこの2球団(をパロった球団)が合体するというネタを描いていた。

 正直に言ってしまうと、この一連の騒動で、今以て、ちょっと嫌気が差してしまっている部分があるかも知れないですね、個人的には。

 そりゃあ、ねえ、日本プロ野球の草創期にも、合併とか再編とか色々ありましたけどね、その時代っていうと、むしろ大学野球(東京六大学野球)と社会人野球の方が人気があった時代ですしね。

 あれから10年以上経過しており、騒動を経験している現役選手は少数派になってきましたが、少なくとも30代以上の特にパ・リーグの球団を応援していたファン(+選手・OB、フロントスタッフ)は、自分の応援している球団(リーグ)が消滅した(あるいは消滅しかかった)ことを経験しているわけで、若干、交流戦についての意識として、やや強烈というか歪んでいるというか、とにかく、モチベーションが違う部分は未だにあると思います。
 
(まだしつこくつづく)

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(16)

2017-05-27 07:55:00 | NPB
 さて、いよいよ切羽詰まってきました(笑)。
 いつものように、敬称略で書きなぐっていきます。
 あ、それから、色々と個人的見解、解釈も入ってますので、そのあたりもご了承いただければ。

 衝撃的な日本シリーズから年が明けて2003年。

 まず、元日から、株式会社大阪近鉄バファローズが、株式会社大阪バファローズになります。
 うん、今から思えば、このあたりから不穏でしたよね。
 そうそう、近鉄グループの従業員で組織されていたバファローズの後援会が解散したのも、この前後だったと記憶しております(今度、当時勤めていた知人に確認しておきます)。

 それから同月21日に、翌シーズンからの北海道移転を控えて日本ハムは、北海道出身で社会人・サンワード貿易から渡邊孝男(元西武)の入団が決定します。プロ自由契約→アマチュア経験を経て、プロ再入団となったのは、前年のJABAの規則改正後、これが初のケース。ま、それはさておき、なんですけど。

 それから、2004年に向けて、新プレーオフ(のちのCS)制度についての骨子が固まっていってます。ええ、当時、かなり、風当たりがというか、もう、半ば笑いもの扱いでしたよね。
 ついでに、GS神戸が、ネーミングライツでヤホーYahooBBスタジアムになりました。

 この年は、福岡ダイエーホークスが優勝。
 歴史的な「内弁慶シリーズ」も制して、日本一にもなります。
 ……信じられないだろ、翌年、身売りしちゃうんだぜ、この球団。
 とはいっても、オフに、おそらく日本のプロ野球史上、最も不可解な無償トレード(いわゆる小久保事件)もあったのは、その予兆と取れなくも無いのですが。
 ただ、それ以前に、当時のT球団社長(「君の登板する火曜日は、客入りが悪い(要旨)」という、いかにもブラック経営者な発言は有名)が、あまりにもアレだったというのも忘れてはいけないですね。
 つーか、勝てば勝つほど、チームが主力が抜けて、崩壊していくという、ただただ笑えないですな。

 さて、ここで書いておきたいのは、この年のドラフト会議。
 ちょっと傾向に変化が出てきます。

 日本一になった鷹は、自由枠で馬原を獲得……翌年、身売りするとは思えん(おい)。さらに2位で城所、4位明石、6位に後年、大吉華丸のネタとなった金子、7位三瀬、いや、まじで翌年(しつこい)。
 西武は、とりあえず6巡目で岡本(篤)、7巡目で警備員(のちのEEE佐藤)。
 大阪バファローズは自由枠で香月兄、4巡目で坂、CLMは自由枠で内、4巡目で田中(雅)、5巡目で飛翔、ハムは自由枠で宇宙人、2巡目須永、4巡目押本、5巡目稲田、オリックスも自由枠で歌藤を指名、獲得しております。

 自由枠では、「欲しい選手」の獲得に力を入れるのは当然としても、特に4巡目以降で、ごく一部を除く各球団、スカウトの力を入れる方向、発想が変わってきたのかも知れません。
 後年、「1位=特攻枠、2位3位=即戦力枠、4位5位=希望枠(素材枠とも)、6位以下=色物枠(ネタ枠、お笑い枠、高学歴枠など様々な呼称あり)」とも表現される(って、表現しているのは、主に私だけですけど)パ・リーグの新人獲得方針の基本が、固まってきた時期なのかも知れません。

 そして、いよいよ日本プロ野球史上、最激動の一年を迎えます。

 (まだまだ続いてしまう・・・)

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(15)

2017-05-22 21:10:00 | NPB
 やばいよーやばいよー。
 もう、来週には交流戦が始まってしまうではないか!

 というわけで、第15回です(タメイキ)。

 ※相変わらず、敬称略で書きなぐってます。ご容赦ください。
 
 2002年っつーと、世の中的には、サッカー一色でしたね。
 そのせいか、どうなのか、コミッショナーの要望という形で、「全国分散開幕」となりました(パは札幌、大阪、福岡、セは東京ド、名古屋、広島)。
 また、新たな市場開拓を意識したのか、鷹vs波が5月に台湾で行われました。

 それは、さておき。

 この年の日本シリーズで、あの西武がヨミウリにスイープされました。
 かなり衝撃的ではありました。
 約10年で、立場が完全にひっくり返ってしまったんですから。
 松坂が打ち込まれたという意味でも、完全にセ・リーグの時代をより印象付けることになりました。
 なお、シリーズMVPは、五反田9800円さんでした。

 そのような中で、この前後からつい最近まで、あるいは現在でも活躍する選手たちが続々とプロ入りしていきます。
 猫=G後藤、小野寺、U捕手
 牛=坂口、大西(宏)、下山
 鷹=和田、ARAKAKI、森本、稲嶺
 鴎=日本シリーズを守備妨害で終わらせた人、神田、金澤、早坂
 公=武田久、紺田、小谷野、鶴岡
 波=加藤大、マック鈴木
 
 この年のドラフト会議、変わったことといえば、なんとオリックスが2巡目でメジャーリーグ経験者を指名しております(笑)。
 とはいえ、ウゴ・ケデブをはじめとする有力どころは自由獲得枠で、ほぼ根こそぎセ・リーグに持っていかれているわけでして、事実、ほぼ確実に戦力になったようですし。
 その意味では、和田、ARAKAKIの両取りに成功した鷹フロントをはじめ、パ・リーグ球団の執念もひしひしと感じる結果となりました。
 それでも、この時期は、「欲しい選手より来てくれる選手」という雰囲気は漂っていましたよね。
 
 そうそう、大事なことを忘れていました。
 この年、日本ハムは、2004シーズンからの東京から札幌への本拠地移転を決断しました(7月4日)。
 ほぼ、同時期(18日)にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと業務提携を始めたんですが、これを知っている人は、どれだけいるのだろうか?(笑)。

 千葉の鎌ヶ谷に2軍施設をオープンしたものの、客は来ないわ、東京ドームには余分にお金を取られる(他のお金になるイベントが入れられないからという理由)、実は夏に阪神以上の死のロードを強いられるわ――とまあ、むしろ今となっては、東京ドームに居続ける理由を見つける方が難しい状況であり、もう、新天地で、市場を開拓するしか球団が生き残る術が無くなりつつあったということでもあったのでしょう。

 (まだつづく)

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(14)

2017-05-16 23:04:00 | NPB
 しかし、長くなりましたな~。
 この調子だと2017年の交流戦に突入まで終わるかどうか――っていうか、今年の交流戦まで、あと一週間だよ(汗)。
 相変わらずの調子で、敬称略で書きなぐって14回目DEATH。

 えーと、2001年シーズン。
 やっとこさ、21世紀に突入です。
 あのホームランの話は、ネット上にいくらでも転がっているでしょうから、割愛するとして、その打った選手にしても、前年は、虎さんチームのファームで当時の監督の息子の控えという、悲惨な状況に置かれていたんですよね……。
 いや、もう、ね、すさまじいまでの「いてまえ野球」っぷりでしてね、思えば、この前後にパ・リーグの野球の方向性が完成したのではないか、というくらい。
 なんたって、チーム防御率が4.98(規定投球回行ったのが、前川だけ?)でしたからね。
 投手陣が崩壊し切った状態で、勝ち進んでいったという――(汗)。

 たとえ10点差でも、「満塁ホームランが3本出れば逆転できる」的で、とにかく「思いっきり投げて、思いっきり打って、思いっきり走る」な世界観でした。
 
 しかし、北川、吉岡、香田、湯舟、ギルバート、6月から加入の三澤、大病から復活した盛田、前所属球団でのいじめから這い上がった山村、ついでにスター時代の栄光を引きずり続けていた石毛(博史)、人生の苦い水を味わってきた感のあるメンバーが多かったのも印象深いですね。

 そんなチームでしたから、日本シリーズでは、ツバメさんチームにコテンパンだったのは、仕方が無いというか、むしろ1勝できただけでも良し、といったところでしょうか。
 その勝った試合にしても、明らかにオッケーィ古田さん、リードに若干「試し」というか「遊び」を入れてましたよね。
 日本一になった瞬間も、喜びはしゃぐ選手スタッフの中で、一人、矢吹丈戦を終えたホセ・メンドーサみたいになっていたのは、気のせいでしょうか?
 後日、とあるパ・リーグのキャッチャーに「お前、年間20試合以上、あんなんを相手にしとったんかい?!」とこぼしたとかこぼさなかったとか、そういう都市伝説的な話が聞こえております。

 なお、オフのドラフトですが、「逆指名」→「自由獲得枠」となっており、2人までこの枠で入団させることが可能になっております。
 各球団、当たりはずれは大きいようですが、自由枠かそれ以外で確実に1人は、のちの戦力を拾っている印象ですね。それでなくとも、移籍後、花開いた選手もいた印象です。
 西武、大当たりじゃん……(細川、おかわり、栗山巧が入団)。
 ダイエーも、寺原と杉内を両取り。CLMは2巡目で今江ですよ。
 それでも一番インパクトがあるのは、檻の10巡目の後藤光尊。さらにこの年、2巡目が平野恵、5巡目で反則王早川ですか・・・。

 ただ、このころから戦力格差だけではなく、パ・リーグ各球団(の親会社)に次から次へと不祥事やら何やらが出てくるわ、暗雲が立ち込めはじめます。

 (つづく)