EF50mmF1.8II
韓国の最終日に南大門市場で時計を購入した。
前日、ソウルのウォーカヒルカジノに行き、テーブルゲームのブラックジャックをやった。ミニマムの賭金は5000ウォン(340円)である。一万円を15万ウォンのチップに換えて勝負した。一時は1万ウォンまで減ったが、その後ツイたようで45万ウォンになった。ここで早々に勝ち逃げをする。
その勝った金額が、まるまる時計代となったのである。
写真は「まぼろしのブルガリの時計」である。ブログの規約の関係もあるので、「まぼろしの逸品」としか、ここでは書くことが出来ない(笑)
驚くことなかれ、このブルガリの時計は新作の中でも、さらに新作なのである。いわばまぼろしの新作!これに2万を出すのは正直高いが、まぁカジノでのあぶく銭という事もあり、韓国旅行の記念にもなるだろうと思って値切った末に買った。ちなみに店主は最初、これを3万5000円と吹っかけてきた。もしも、今後どなたかが南大門市場でまぼろしの逸品を買うのならば、少なくとも2万以下の値段になると言っておきます。感触的には1万5000までは行けたと思う。
さて、このデザインのブルガリだが、日本の信用の置けるお店で買えば100万円もする代物である。キャリブロ303という型で、新作なのだ。しかし私の時計はその新作の中でも、さらに新作なのである。定番のキャリブロ303とは微妙にデザインが違うのがその証拠である。そう考えれば、新作の新作、まぼろしの逸品が2万とは安い。間違っても「贋●」と言ってはいけない。
韓国の最終日に南大門市場で時計を購入した。
前日、ソウルのウォーカヒルカジノに行き、テーブルゲームのブラックジャックをやった。ミニマムの賭金は5000ウォン(340円)である。一万円を15万ウォンのチップに換えて勝負した。一時は1万ウォンまで減ったが、その後ツイたようで45万ウォンになった。ここで早々に勝ち逃げをする。
その勝った金額が、まるまる時計代となったのである。
写真は「まぼろしのブルガリの時計」である。ブログの規約の関係もあるので、「まぼろしの逸品」としか、ここでは書くことが出来ない(笑)
驚くことなかれ、このブルガリの時計は新作の中でも、さらに新作なのである。いわばまぼろしの新作!これに2万を出すのは正直高いが、まぁカジノでのあぶく銭という事もあり、韓国旅行の記念にもなるだろうと思って値切った末に買った。ちなみに店主は最初、これを3万5000円と吹っかけてきた。もしも、今後どなたかが南大門市場でまぼろしの逸品を買うのならば、少なくとも2万以下の値段になると言っておきます。感触的には1万5000までは行けたと思う。
さて、このデザインのブルガリだが、日本の信用の置けるお店で買えば100万円もする代物である。キャリブロ303という型で、新作なのだ。しかし私の時計はその新作の中でも、さらに新作なのである。定番のキャリブロ303とは微妙にデザインが違うのがその証拠である。そう考えれば、新作の新作、まぼろしの逸品が2万とは安い。間違っても「贋●」と言ってはいけない。
EF24-105mmF4L
韓国旅行の最終日の前日、ソウル郊外にある町「水原」の世界遺産である華城に行った。18世紀の建物であり、西洋の技術も取り入れた要塞建築技術の粋を凝らした城塞遺跡である。華城はソウルからおよそ30キロ離れており、タクシーでいくと40000ウォン(2700円:2009年2月現在)かかるが、電車で行けば1600ウォン(108円)と格安である。ただし、水原駅から華城までの距離は徒歩でいくには遠いので、タクシーを使うことになるが、それでも電車賃を含めて5000ウォン(340円)で行けるというから安い。所要時間はソウルからタクシーなら、およそ40分。電車で行くなら1時間30分くらいである。
写真は八達門、華城城塞の入り口の門である。赤い旗が翻り、気分は「三国志」である。
こちらは華西門からの写真。華城の城壁の長さはおそらくは7キロは最低でもあるだろう。私は城壁の7割を歩きとおしたが、さすがに一周することは出来なかった。
長安門である。華城の中で、この長安門が一番大きい。
華虹門。水原華城は、これまで韓国の観光した所では一番見どころがあった。
EF24-105mmF4L
ユネスコ世界遺産の昌徳宮に行った。李氏朝鮮の宮殿である。秀吉の朝鮮出兵による軍が漢城(ソウル)に迫ると、朝鮮国王は逃亡した。秀吉軍が入城する前に、漢城では治安が悪化し、朝鮮による民衆によって略奪・放火が行われ、ここ昌徳宮も焼け落ちた。小西行長によって放火されたという説は、まったくの誤りである。
再建されたのは19世紀の半ばであった。
景観は、我が国の全国あまたある「国分寺」もしくは「国分尼寺」に良く似ている。建物の装飾や色は、日光東照宮の社殿に似て、緑色が多く使われている。
写真は仁政殿である。写真の右側に石の柱が何本か立っていて、そこには「正一品」~「正九品」の文字が彫られている。魏晋南北朝時代の中国で、九品官人法のというものが制定された。それは要するに官僚を9段階の位に分けた身分制度である。仁政殿の石柱に彫られたものは、その九品官人法に則ったもので、位が高い官僚ほど、仁政殿に近い位置に並ぶことが許されていたのである。
ユネスコ世界遺産の昌徳宮に行った。李氏朝鮮の宮殿である。秀吉の朝鮮出兵による軍が漢城(ソウル)に迫ると、朝鮮国王は逃亡した。秀吉軍が入城する前に、漢城では治安が悪化し、朝鮮による民衆によって略奪・放火が行われ、ここ昌徳宮も焼け落ちた。小西行長によって放火されたという説は、まったくの誤りである。
再建されたのは19世紀の半ばであった。
景観は、我が国の全国あまたある「国分寺」もしくは「国分尼寺」に良く似ている。建物の装飾や色は、日光東照宮の社殿に似て、緑色が多く使われている。
写真は仁政殿である。写真の右側に石の柱が何本か立っていて、そこには「正一品」~「正九品」の文字が彫られている。魏晋南北朝時代の中国で、九品官人法のというものが制定された。それは要するに官僚を9段階の位に分けた身分制度である。仁政殿の石柱に彫られたものは、その九品官人法に則ったもので、位が高い官僚ほど、仁政殿に近い位置に並ぶことが許されていたのである。
EF24-105mmF4L
ソウルの地下鉄に乗る。値段は初乗りが1,000ウォン(68円)、一番高くても1600ウォン(108円)である。さすがソウル首都圏は、韓国の全人口の20%が集まっているだけのことはあり、地下鉄網は発達している。電車も5~7分おきくらいにやってくる。後日、ソウル郊外にある「水原」に行くことになるのだが、そこはソウルから30キロほど離れた場所にも関わらず、地下鉄の料金はわずか1600ウォン(108円)であった。これは東京~横浜間(450円)よりも遠い。実に1/4の値段である。
キップの販売機はこれ。ちなみにお札は受け付けない。10、50、100、500ウォン硬貨のみが使える。よって、小銭が無い場合は窓口で買うことになる。
私が泊まっているホテルの最寄にある「サムソン駅」の地下鉄ホームである。安全対策が行き届いており、電車とホームの間に仕切りが設置されている。全ての駅にこの設備があるわけではないが、韓国の地下鉄のレベルはかなり高い。
ソウルの地下鉄に乗る。値段は初乗りが1,000ウォン(68円)、一番高くても1600ウォン(108円)である。さすがソウル首都圏は、韓国の全人口の20%が集まっているだけのことはあり、地下鉄網は発達している。電車も5~7分おきくらいにやってくる。後日、ソウル郊外にある「水原」に行くことになるのだが、そこはソウルから30キロほど離れた場所にも関わらず、地下鉄の料金はわずか1600ウォン(108円)であった。これは東京~横浜間(450円)よりも遠い。実に1/4の値段である。
キップの販売機はこれ。ちなみにお札は受け付けない。10、50、100、500ウォン硬貨のみが使える。よって、小銭が無い場合は窓口で買うことになる。
私が泊まっているホテルの最寄にある「サムソン駅」の地下鉄ホームである。安全対策が行き届いており、電車とホームの間に仕切りが設置されている。全ての駅にこの設備があるわけではないが、韓国の地下鉄のレベルはかなり高い。
非武装地帯から見られる、北朝鮮の通称「宣伝村」。この村の建物はハリボテで、人も住んでいないらしい。旗がたつ鉄塔の高さは160メートル。鉄塔と長さと旗の大きさを比べて欲しい。旗がいかに大きいか良く分かる。旗の横幅は10、いや20メートルはあるだろう。
通称「帰らずの橋」。朝鮮戦争の休戦で南北の捕虜が交換された場所である。一度橋をわたったら、二度と帰ることができないことから名づけられたという。
通称「帰らずの橋」。朝鮮戦争の休戦で南北の捕虜が交換された場所である。一度橋をわたったら、二度と帰ることができないことから名づけられたという。
EF24-105mmF4L
ついに板門店に到着。バスから持っていってよい物は、カメラと双眼鏡のみ。カメラや双眼鏡のフードも持っていくことは許されない。勿論三脚などはもっての他である。この日は雨が降っていたが、傘を持ってバスを降りることすらも許されていないという厳戒態勢である。
この日、バスの中でツアーのガイドから、一眼レフカメラのレンズは70ミリ以下でないとダメであると言われていたが、実際には何の問題もなかった。ツアーで何か問題が起こったら、ツアーの資格を取り消されることも多分あるのあろう。だから必要以上に過敏になっていたワケである。ただ、300mmのような大ズームレンズの場合は、おそらく持ち込みは許されないだろう。
写真は板門店の建物の中である。この建物のまん中に軍事境界線が敷かれている。写真内に国連の旗が立っているテーブルがある。ヘルメットを被った憲兵の目の前にあるのがそれだ。そのテーブルには黒い三角形のものが机のまん中にいくつか置かれている。ここが軍事境界線である。ここを境にして北と南に分かれる。写真では、左隅の扉が開けられているのが見えるが、これは我々が入ってきた扉である。つまり韓国側である。つまりこの写真では、私は北朝鮮側に足を踏み入れて写真を撮っている。
板門店の窓から外を写したもの。長方形のコンクリートが小屋のまん中を貫いている。これが軍事境界線である。ジャリを敷いてある方が韓国側。砂地になっているほうが北朝鮮側である。
韓国の憲兵。腕を若干手前に出しているのは、何時でも速く反応ができるための態勢をとっているからである。憲兵と旗が置いてある間の狭い空間を横切ってはいけないという決まりがある。有事の際に、軍人が素早く動くことが出来ないからというのが、その理由だそうだ。
ちなみにガイドからはこう言われていた。「DMZ内では軍人の指示に絶対に従うように。仮にその指示が一般的には黒であっても、DMZ内では軍人がいえば、それは黒でも白であり、従わなければない」と。なるほど、境界線の最前線はまさに主権の及ばない混沌地域という事なのだろう。これは日本ではそうそう聞くことの出来ない台詞である。
こちらの憲兵の背後にある扉は、北朝鮮側へ通ずる扉である。扉じたいは何の変哲もない。だが、この扉が設置されている地域は、きわめて特殊な場所である。この場所で、あの扉を無理やりあけて向こう側へ行くと、おそらく銃撃戦になる。考えてみれば非常に奇妙なものだ。別に地上と宇宙を隔てる境界のように、突破したら生物的に生きて行けないという理由で「行けない」のではない。人間の定めた、いわゆる政治的な問題による境界である。私はここで、こういう「境界」が、愚かしいものだと言いたいのではない。純粋な好奇心で言っているのである。国境というものは本当に面白い。それが政治的に緊張している地域の国境であれば、なおさらである。ヨーロッパの西側の国々の国境は、そういった意味ではなんら面白さが無くなった。EUになってから、西側の国境は一層つまらないものになった。かつて、ドイツからチェコに陸路で行く場合、国境線ではビザの提示が求められたが、それも今は無い。政治、文化、言語が分断される境界線。その存在があったからこそ、国境にはなにかロマンが感じられた。もしも世界から国境というものがなくなってしまったら、旅というものはかなりつまらないものになるだろう。いささか不謹慎な話ではあるが、これは多分だれもが薄々は持っている感覚だと思う。
バスの中からの撮影。正面に見えるコンクリの建物は北朝鮮側のものである。その手前のジャリを誰かが突破すれば、即、国際問題に発展するだろう。おそらくニュースでも報じられるに違いない。そう考えると何度も言うが奇妙な感じにとらわれる。
ついに板門店に到着。バスから持っていってよい物は、カメラと双眼鏡のみ。カメラや双眼鏡のフードも持っていくことは許されない。勿論三脚などはもっての他である。この日は雨が降っていたが、傘を持ってバスを降りることすらも許されていないという厳戒態勢である。
この日、バスの中でツアーのガイドから、一眼レフカメラのレンズは70ミリ以下でないとダメであると言われていたが、実際には何の問題もなかった。ツアーで何か問題が起こったら、ツアーの資格を取り消されることも多分あるのあろう。だから必要以上に過敏になっていたワケである。ただ、300mmのような大ズームレンズの場合は、おそらく持ち込みは許されないだろう。
写真は板門店の建物の中である。この建物のまん中に軍事境界線が敷かれている。写真内に国連の旗が立っているテーブルがある。ヘルメットを被った憲兵の目の前にあるのがそれだ。そのテーブルには黒い三角形のものが机のまん中にいくつか置かれている。ここが軍事境界線である。ここを境にして北と南に分かれる。写真では、左隅の扉が開けられているのが見えるが、これは我々が入ってきた扉である。つまり韓国側である。つまりこの写真では、私は北朝鮮側に足を踏み入れて写真を撮っている。
板門店の窓から外を写したもの。長方形のコンクリートが小屋のまん中を貫いている。これが軍事境界線である。ジャリを敷いてある方が韓国側。砂地になっているほうが北朝鮮側である。
韓国の憲兵。腕を若干手前に出しているのは、何時でも速く反応ができるための態勢をとっているからである。憲兵と旗が置いてある間の狭い空間を横切ってはいけないという決まりがある。有事の際に、軍人が素早く動くことが出来ないからというのが、その理由だそうだ。
ちなみにガイドからはこう言われていた。「DMZ内では軍人の指示に絶対に従うように。仮にその指示が一般的には黒であっても、DMZ内では軍人がいえば、それは黒でも白であり、従わなければない」と。なるほど、境界線の最前線はまさに主権の及ばない混沌地域という事なのだろう。これは日本ではそうそう聞くことの出来ない台詞である。
こちらの憲兵の背後にある扉は、北朝鮮側へ通ずる扉である。扉じたいは何の変哲もない。だが、この扉が設置されている地域は、きわめて特殊な場所である。この場所で、あの扉を無理やりあけて向こう側へ行くと、おそらく銃撃戦になる。考えてみれば非常に奇妙なものだ。別に地上と宇宙を隔てる境界のように、突破したら生物的に生きて行けないという理由で「行けない」のではない。人間の定めた、いわゆる政治的な問題による境界である。私はここで、こういう「境界」が、愚かしいものだと言いたいのではない。純粋な好奇心で言っているのである。国境というものは本当に面白い。それが政治的に緊張している地域の国境であれば、なおさらである。ヨーロッパの西側の国々の国境は、そういった意味ではなんら面白さが無くなった。EUになってから、西側の国境は一層つまらないものになった。かつて、ドイツからチェコに陸路で行く場合、国境線ではビザの提示が求められたが、それも今は無い。政治、文化、言語が分断される境界線。その存在があったからこそ、国境にはなにかロマンが感じられた。もしも世界から国境というものがなくなってしまったら、旅というものはかなりつまらないものになるだろう。いささか不謹慎な話ではあるが、これは多分だれもが薄々は持っている感覚だと思う。
バスの中からの撮影。正面に見えるコンクリの建物は北朝鮮側のものである。その手前のジャリを誰かが突破すれば、即、国際問題に発展するだろう。おそらくニュースでも報じられるに違いない。そう考えると何度も言うが奇妙な感じにとらわれる。
EF24-105mmF4L
写真は隠し撮りの一枚。民間人統制区域に入ったところです。イムジン川にかかる橋の上です。雨が降っていて窓の外がよく分かりませんが、黄色いバリケードが道路の脇に互い違いに配置されており、強行突破ができないようにしてあります。実はこの写真は帰りのバスで撮ったもの。撮影不可の場所なので、行きのバスでは勇気がだせずに撮れませんでした。
写真は非武装中立地帯のゲートである。あの青い門の先は非武装中立地帯である。ここでバスを乗り換える。新しいバスは国連のもので、韓国の軍人が乗り込んでくる。板門店のツアーではバスの席が決まっている。国連のバスの座席の位置も、ツアーのバスの座席と同じ場所にすわることになる。軍人は運転席のすぐ横に立つことになっているようである。ということは、ツアーのバスの座席が後ろであればあるほど、国連のバスの席も同様に後ろになり、隠し撮りが見つかりにくい。これはテクニックとして覚えておいて損はないだろう。ちなみに私の席は6番であった。これは前から二番目の席であり、ここでは隠し撮りはムリである。非武装中立地帯~板門店にいたる道の写真は残念ながら撮れなかった。
写真は宣言書。これは板門店に入る前に、ボニファスキャンプでサインさせられる。内容はイロイロなルールについて書かれているのだが、冒頭の文章がなかなかすごいので転載しよう。
「板門店の統合警備地区の見物は、敵性地域への立ち入りを伴わない。敵の行動(活動)によっては危害をうける又は死亡する可能性があります。統合軍備地域は中立地域ですが、一方(南)は、国連軍の軍人により、他方(北)は、北朝鮮の陸軍軍人によって、それぞれ分割警備されています。国連軍のゲストの皆様は、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備地区へ立ち入ることは許されていません。また、事変、事件を予期することはできませんので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任をおうことはできません。」
要するに、死んでも文句はいわんということを宣誓させられるワケです。
いよいよ板門店に到着。
北朝鮮の管理する監視小屋である。手前に見える白い杭は南北を隔てる軍事境界線である。板門店では観光客は二列縦隊に並ばされ、歩けるポイントも限られている。
北朝鮮の建物の入り口には、北朝鮮の軍人の姿が見える。将軍様の国の軍人を始めて肉眼で確認した。
写真は隠し撮りの一枚。民間人統制区域に入ったところです。イムジン川にかかる橋の上です。雨が降っていて窓の外がよく分かりませんが、黄色いバリケードが道路の脇に互い違いに配置されており、強行突破ができないようにしてあります。実はこの写真は帰りのバスで撮ったもの。撮影不可の場所なので、行きのバスでは勇気がだせずに撮れませんでした。
写真は非武装中立地帯のゲートである。あの青い門の先は非武装中立地帯である。ここでバスを乗り換える。新しいバスは国連のもので、韓国の軍人が乗り込んでくる。板門店のツアーではバスの席が決まっている。国連のバスの座席の位置も、ツアーのバスの座席と同じ場所にすわることになる。軍人は運転席のすぐ横に立つことになっているようである。ということは、ツアーのバスの座席が後ろであればあるほど、国連のバスの席も同様に後ろになり、隠し撮りが見つかりにくい。これはテクニックとして覚えておいて損はないだろう。ちなみに私の席は6番であった。これは前から二番目の席であり、ここでは隠し撮りはムリである。非武装中立地帯~板門店にいたる道の写真は残念ながら撮れなかった。
写真は宣言書。これは板門店に入る前に、ボニファスキャンプでサインさせられる。内容はイロイロなルールについて書かれているのだが、冒頭の文章がなかなかすごいので転載しよう。
「板門店の統合警備地区の見物は、敵性地域への立ち入りを伴わない。敵の行動(活動)によっては危害をうける又は死亡する可能性があります。統合軍備地域は中立地域ですが、一方(南)は、国連軍の軍人により、他方(北)は、北朝鮮の陸軍軍人によって、それぞれ分割警備されています。国連軍のゲストの皆様は、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備地区へ立ち入ることは許されていません。また、事変、事件を予期することはできませんので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任をおうことはできません。」
要するに、死んでも文句はいわんということを宣誓させられるワケです。
いよいよ板門店に到着。
北朝鮮の管理する監視小屋である。手前に見える白い杭は南北を隔てる軍事境界線である。板門店では観光客は二列縦隊に並ばされ、歩けるポイントも限られている。
北朝鮮の建物の入り口には、北朝鮮の軍人の姿が見える。将軍様の国の軍人を始めて肉眼で確認した。
EF24-105mmF4L
38度線の名所である板門店に行きました。ちなみに板門店へは個人で訪れることは出来ず、必ずツアーを予約して参加しないと行けない。韓国人においては、板門店に行くことさえも出来ない。
板門店への出発のバスは、朝8時半頃にソウルのロッテホテルから出発する。
(地図A)
ソウルから板門店までは直線距離にして約50キロメートルある。片道1時間半くらいかかる。
朝鮮半島の分断の歴史について書くと長文になることは必至なので、ここではあえて触れないことにする。その代わりに「38度線」という地域についての簡単な解説を書くことにする。一般に38度線といわれている所は、以下のような地域に分類にされる。
1:共同警備区域(JSA)
2:軍事境界線
3:北方限界線
4:非武装中立地帯(DMZ)
5:民間人統制区域
(地図B)
地図Bは、グーグルアースからの画像。いわゆる有名な板門店の上空写真である。冒頭の写真と同じ場所である。ここが「共同警備区域(JSA)」である。地図Bの画像は、共同警備区域の建物がどちらの国側の管理にあるのかを分かりやすくするために、私が赤と青の色づけをしたものである。赤の建物は北朝鮮による管理で、青は国連による管理である。ちなみに右下の隅にある赤い建物は、私が色づけしたものではなく、本当に屋根が赤いだけであり、こちらは韓国側の建物である。
冒頭に掲載した写真を見ていただければわかると思うが、写真の中の銀色の建物は北朝鮮が管理している建物である。その後ろにあるコンクリートの建物も北朝鮮の施設である。
さて地図Bの黄色い線だが、これが「軍事境界線」である。この線が事実上の国境線なのだ。言うまでもなく、この線を踏み越えると亡命という事になってしまう。かつてロシア人が北側からこの線を突破して亡命したことがあった。その時は北と南の憲兵の間で銃撃戦になったようで、それによって何名かの軍人が亡くなっている。
次に、「北方限界線」だが、これは海上における軍事境界線である。朝鮮半島の西側に面した海、つまり黄海における軍事境界線である。
また「38度線」といっても、軍事境界線の全てが38度に敷かれている訳ではない。朝鮮戦争が休戦に至った1853年時における、軍事的な前線が現在の「38度線」であり、従って朝鮮半島の西側は38度よりもやや南に境界線があり、東側では38度よりもやや北側に境界線があるというように、一直線ではないのである。
(地図C)
さて、次は「非武装中立地帯(DMZ)」の説明である。地図Cには赤と緑と水色のマルと、赤、ピンク、オレンジの線がある。黄色の線は関係ない。これはグーグルアースの国境の区別の線で、実際にここは国境線ではない。
赤マルは、板門店の場所(共同警備区域(JSA))である。地図Bの全域が赤マルに相当する。オレンジの線こそ、韓国側の「非武装中立地帯(DMZ)」の境いである。ピンクは北朝鮮側の非武装中立地帯である。赤い線は軍事境界線である。このように北も南も軍事境界線から一定の距離を置いて(約2キロメートル)非武装地帯が設定されている。北の非武装中立地帯~南の非武装中立地帯の間は2キロと2キロなので4キロ離れていることになる。この非武装中立地帯が互いに2キロというのは、休戦協定で取り決められたものらしいのだが、現在これが厳格には守られているわけではないようで、場所によっては非武装中立地帯の幅が300メートルまで狭まった所もあるとか。
さて韓国側の非武装中立地帯の境の手前にあるオレンジのマルは、国連軍のキャンプのある「ボニファスキャンプ」である。その遥か手前にある水色のマルは民間人統制区域手前にあるチェックポイントである。地図Cの水色のマルの前に大きな川(イムジン川)があるが、これが事実上の「民間人統制区域」の境い目である。民間人統制区域は韓国側にだけ設定されているものである。ここから先については、ツアーでなければ入れないのだ。写真撮影の制限がかかるのも、この地域からである。
さて、我々ツアーは、地図Cの青い線の道をバスで進む。民間人統制区域(水色マル)を越え、非武装中立地帯(オレンジの●、オレンジの線)を越え、そして共同警備区域(赤マル)内にある、軍事境界線(赤線)を見に行ったわけである。
これが、一般的に「38度線」と言われているものの大まかな解説である。この事実を知ると、北朝鮮の人が中国よりも韓国に亡命することが遥かに難しいということが分かると思う。北朝鮮から韓国に亡命する場合、少なくとも北側の2キロにわたる非武装中立地帯を突破しなければならない。しかし非武装中立地帯には地雷が設置されている。これはベルリンの壁を突破するよりも、あるいは難しいのではなかろうか?
さて次回は、これら地図A、B、Cに即した写真を掲載していきます。前述したように、民間人統制区域から先の地域は、撮影の制限がかかっていますので、結果として撮影場所が数ヶ所に限られる為、あまり期待はしないで頂きたい。グーグルで板門店の画像で検索して見られる写真以上のモノは正直殆どありません。
ただ、これから板門店に行かれる予定がある人にとっては、いくつか有益な情報は教えられると思いますので、そこの辺りを写真掲載と共に書いていこうと思います。
(その2につづく)
38度線の名所である板門店に行きました。ちなみに板門店へは個人で訪れることは出来ず、必ずツアーを予約して参加しないと行けない。韓国人においては、板門店に行くことさえも出来ない。
板門店への出発のバスは、朝8時半頃にソウルのロッテホテルから出発する。
(地図A)
ソウルから板門店までは直線距離にして約50キロメートルある。片道1時間半くらいかかる。
朝鮮半島の分断の歴史について書くと長文になることは必至なので、ここではあえて触れないことにする。その代わりに「38度線」という地域についての簡単な解説を書くことにする。一般に38度線といわれている所は、以下のような地域に分類にされる。
1:共同警備区域(JSA)
2:軍事境界線
3:北方限界線
4:非武装中立地帯(DMZ)
5:民間人統制区域
(地図B)
地図Bは、グーグルアースからの画像。いわゆる有名な板門店の上空写真である。冒頭の写真と同じ場所である。ここが「共同警備区域(JSA)」である。地図Bの画像は、共同警備区域の建物がどちらの国側の管理にあるのかを分かりやすくするために、私が赤と青の色づけをしたものである。赤の建物は北朝鮮による管理で、青は国連による管理である。ちなみに右下の隅にある赤い建物は、私が色づけしたものではなく、本当に屋根が赤いだけであり、こちらは韓国側の建物である。
冒頭に掲載した写真を見ていただければわかると思うが、写真の中の銀色の建物は北朝鮮が管理している建物である。その後ろにあるコンクリートの建物も北朝鮮の施設である。
さて地図Bの黄色い線だが、これが「軍事境界線」である。この線が事実上の国境線なのだ。言うまでもなく、この線を踏み越えると亡命という事になってしまう。かつてロシア人が北側からこの線を突破して亡命したことがあった。その時は北と南の憲兵の間で銃撃戦になったようで、それによって何名かの軍人が亡くなっている。
次に、「北方限界線」だが、これは海上における軍事境界線である。朝鮮半島の西側に面した海、つまり黄海における軍事境界線である。
また「38度線」といっても、軍事境界線の全てが38度に敷かれている訳ではない。朝鮮戦争が休戦に至った1853年時における、軍事的な前線が現在の「38度線」であり、従って朝鮮半島の西側は38度よりもやや南に境界線があり、東側では38度よりもやや北側に境界線があるというように、一直線ではないのである。
(地図C)
さて、次は「非武装中立地帯(DMZ)」の説明である。地図Cには赤と緑と水色のマルと、赤、ピンク、オレンジの線がある。黄色の線は関係ない。これはグーグルアースの国境の区別の線で、実際にここは国境線ではない。
赤マルは、板門店の場所(共同警備区域(JSA))である。地図Bの全域が赤マルに相当する。オレンジの線こそ、韓国側の「非武装中立地帯(DMZ)」の境いである。ピンクは北朝鮮側の非武装中立地帯である。赤い線は軍事境界線である。このように北も南も軍事境界線から一定の距離を置いて(約2キロメートル)非武装地帯が設定されている。北の非武装中立地帯~南の非武装中立地帯の間は2キロと2キロなので4キロ離れていることになる。この非武装中立地帯が互いに2キロというのは、休戦協定で取り決められたものらしいのだが、現在これが厳格には守られているわけではないようで、場所によっては非武装中立地帯の幅が300メートルまで狭まった所もあるとか。
さて韓国側の非武装中立地帯の境の手前にあるオレンジのマルは、国連軍のキャンプのある「ボニファスキャンプ」である。その遥か手前にある水色のマルは民間人統制区域手前にあるチェックポイントである。地図Cの水色のマルの前に大きな川(イムジン川)があるが、これが事実上の「民間人統制区域」の境い目である。民間人統制区域は韓国側にだけ設定されているものである。ここから先については、ツアーでなければ入れないのだ。写真撮影の制限がかかるのも、この地域からである。
さて、我々ツアーは、地図Cの青い線の道をバスで進む。民間人統制区域(水色マル)を越え、非武装中立地帯(オレンジの●、オレンジの線)を越え、そして共同警備区域(赤マル)内にある、軍事境界線(赤線)を見に行ったわけである。
これが、一般的に「38度線」と言われているものの大まかな解説である。この事実を知ると、北朝鮮の人が中国よりも韓国に亡命することが遥かに難しいということが分かると思う。北朝鮮から韓国に亡命する場合、少なくとも北側の2キロにわたる非武装中立地帯を突破しなければならない。しかし非武装中立地帯には地雷が設置されている。これはベルリンの壁を突破するよりも、あるいは難しいのではなかろうか?
さて次回は、これら地図A、B、Cに即した写真を掲載していきます。前述したように、民間人統制区域から先の地域は、撮影の制限がかかっていますので、結果として撮影場所が数ヶ所に限られる為、あまり期待はしないで頂きたい。グーグルで板門店の画像で検索して見られる写真以上のモノは正直殆どありません。
ただ、これから板門店に行かれる予定がある人にとっては、いくつか有益な情報は教えられると思いますので、そこの辺りを写真掲載と共に書いていこうと思います。
(その2につづく)
EF24-105mmF4L
円高の現在、1ウォンは約0.068円である。(2月12日現在)
韓国のお札は1000、5000、10000ウォンの3種類の札しか存在しない。50000や100000ウォン札の導入も一時期検討されたようだが、インフレのキッカケになる事を恐れてそれはまだ実現されていない。10000ウォンというと高額のように感じるかもしれないが、円に換算するとたったの680円である。つまり、一万円をウォンに両替すると、約15万ウォンになるが、10000ウォン札が15枚も来るのである。もしも10万円を換金したとすれば、150万ウォン。実に150枚の札束になるのである。
貨幣については、500、100、50、10ウォンの4種類。これらを円に換算すると、順番に34円、6.8円、3.4円、68銭となる。とにかくゼロが並ぶ。昼飯に10000ウォンとか、ホテル代などが100000ウォンなどの表記を見ると、咄嗟に計算できず、「高い」と感じてしまうのだが、よくよく計算してみると、実は安かったりしているのだ。
さて、韓国の物価だが、どうやらソウル首都圏の物価は、韓国の中で最高峰であるらしく、おおよそ日本の半分くらいである。メイン通りに面したレストランなどは日本の7割くらいの値段に跳ね上がる。
写真は韓国の高速道路のサービスエリアに置いてある自動販売機だ。ポカリスエットが700ウォン、約48円である。地下鉄の初乗り料金が1000ウォン、約68円。タクシーなどは、30分くらい乗ると20000ウォンくらい、約1360円。タクシー料金は日本の半分以下である。
韓国の電話を私はかけたことがないので、値段は良く分からないが、受け付けているコインの額を見てみると、最高額が500ウォン、34円。100ウォン6.8円、50ウォン3.4円、10ウォン68銭。日本の公衆電話は1円や5円を受け付けていないことを考えると、韓国の電話料金は相当安いことになる。
さて、ソウル首都圏の人口についてだが、これは約1000万人いるという。韓国の人口が約4800万人なので、実に全人口の20%の人が、ソウル首都圏に住んでいるということになる。(つづく)
円高の現在、1ウォンは約0.068円である。(2月12日現在)
韓国のお札は1000、5000、10000ウォンの3種類の札しか存在しない。50000や100000ウォン札の導入も一時期検討されたようだが、インフレのキッカケになる事を恐れてそれはまだ実現されていない。10000ウォンというと高額のように感じるかもしれないが、円に換算するとたったの680円である。つまり、一万円をウォンに両替すると、約15万ウォンになるが、10000ウォン札が15枚も来るのである。もしも10万円を換金したとすれば、150万ウォン。実に150枚の札束になるのである。
貨幣については、500、100、50、10ウォンの4種類。これらを円に換算すると、順番に34円、6.8円、3.4円、68銭となる。とにかくゼロが並ぶ。昼飯に10000ウォンとか、ホテル代などが100000ウォンなどの表記を見ると、咄嗟に計算できず、「高い」と感じてしまうのだが、よくよく計算してみると、実は安かったりしているのだ。
さて、韓国の物価だが、どうやらソウル首都圏の物価は、韓国の中で最高峰であるらしく、おおよそ日本の半分くらいである。メイン通りに面したレストランなどは日本の7割くらいの値段に跳ね上がる。
写真は韓国の高速道路のサービスエリアに置いてある自動販売機だ。ポカリスエットが700ウォン、約48円である。地下鉄の初乗り料金が1000ウォン、約68円。タクシーなどは、30分くらい乗ると20000ウォンくらい、約1360円。タクシー料金は日本の半分以下である。
韓国の電話を私はかけたことがないので、値段は良く分からないが、受け付けているコインの額を見てみると、最高額が500ウォン、34円。100ウォン6.8円、50ウォン3.4円、10ウォン68銭。日本の公衆電話は1円や5円を受け付けていないことを考えると、韓国の電話料金は相当安いことになる。
さて、ソウル首都圏の人口についてだが、これは約1000万人いるという。韓国の人口が約4800万人なので、実に全人口の20%の人が、ソウル首都圏に住んでいるということになる。(つづく)
EF50mmF1.8II
帰国しました。今回の韓国渡航は前回のクロアチアとは大きく違って
研修の意味合いが強く、従って写真の量のそう多くはないので、おそらく
すぐに公開する写真が尽きてしまうことになるでしょう。
そして、今回UPする写真は記録の傾向が強いので、あまり画像的には
美しいものは出てこないかもしれません。ただ、これから韓国に旅行に
行く方にはちょっと参考になるかもしれない情報は上げられると思います。
さて、韓国に行くには、成田だけでなく羽田からも発着便がでている
ようです。今回我々は羽田から韓国ソウルへ飛びました。向かう空港は
ソウルの金浦国際空港です。
金浦国際空港。カタカナで書くと、キンポコクサイクウコウ。文節毎に
区切ると「キンポコ クサイ クウコウ」もとい、「キンポ コクサイ
クウコウ」です。なんか非常にシモネタのツッコミ所満載の空港です。
写真は飛行機の窓から見える富士山です。左翼側つまり左の窓際から
見える。というか、左の窓際からしか見えない。というわけで羽田~金浦
間の飛行機に乗るならば、絶対に左翼側の窓際の席をとるべきである。
これは出発時刻の2時間前に来てでも取る価値があると個人的には思う。
私の席は残念ながら中央だったので、席を立って窓際に行き撮ったの
だが、これでは数枚しか撮れない。シャッターチャンスをモノには出来
ないのである。
帰国しました。今回の韓国渡航は前回のクロアチアとは大きく違って
研修の意味合いが強く、従って写真の量のそう多くはないので、おそらく
すぐに公開する写真が尽きてしまうことになるでしょう。
そして、今回UPする写真は記録の傾向が強いので、あまり画像的には
美しいものは出てこないかもしれません。ただ、これから韓国に旅行に
行く方にはちょっと参考になるかもしれない情報は上げられると思います。
さて、韓国に行くには、成田だけでなく羽田からも発着便がでている
ようです。今回我々は羽田から韓国ソウルへ飛びました。向かう空港は
ソウルの金浦国際空港です。
金浦国際空港。カタカナで書くと、キンポコクサイクウコウ。文節毎に
区切ると「キンポコ クサイ クウコウ」もとい、「キンポ コクサイ
クウコウ」です。なんか非常にシモネタのツッコミ所満載の空港です。
写真は飛行機の窓から見える富士山です。左翼側つまり左の窓際から
見える。というか、左の窓際からしか見えない。というわけで羽田~金浦
間の飛行機に乗るならば、絶対に左翼側の窓際の席をとるべきである。
これは出発時刻の2時間前に来てでも取る価値があると個人的には思う。
私の席は残念ながら中央だったので、席を立って窓際に行き撮ったの
だが、これでは数枚しか撮れない。シャッターチャンスをモノには出来
ないのである。