VOL4だというのに、まだ1-1の解説が終わらない。
それだけシーズン1の内容が濃い所以だが・・・。
保安官にハエがとまり不具合が発生。プレイヤーを案内したテディがバルコニーの椅子に座っているとことで顔にハエが止まる。このハエの描写についてはシーズン1ではしつこくでてくるが、シーズン2、3になるとほぼ皆無になる。今度のシーズン4ではハエのギミックが大事な要素になるようだが、シーズンに1におけるハエの意味するところは大きく2つ。一つは視聴者にミスリードをさせるためのものである。つまりハエがホストに不具合を起こさせているという錯覚をおこさせるというもの。しかし実際のハエの意味は、ホストは人だけではなく生き物全般を殺せない・殺さないということを、ハエをつかって映像的に示しているのだろう。
さてシーズン1の人物描写についてだが、シーンの何気ない一コマにも人物描写に念のいれようがうかがえる。屋上のラウンジでテレサ=カレンとリー=サイズモアが世間話をするシーンがあるのだが、ここでリーが「敬意を置く」という言い間違いをする。シナリオ部長である彼がこのようないい間違いをするのは、彼が脚本家として2流であるということをセリフではなくシーンで示している。
さて、ドラマはここから急展開を見せる。
ならずもののウォルターがプロットから外れて、相棒のリーバスを殺し、牛乳を飲んでいるシーン。ここでウォルターは「今回は死なねーぞ、アーノルド」という意味深のセリフを吐く。
シーズン1の最大のどんでん返しの1つにバーナードはアーノルドを模して造られたというものがある。シーズン1にはアーノルドのような男がドロレスの回想(?)の中で何度も登場する。どれがアーノルドでどれがバーナードかという推理を視聴者はしたくなるのだが、それは監督のミスリードに見事にはまってしまったといえよう。なぜなら、シーズン1においてドロレスの回想(?)の中で登場するアーノルドのような人物は、実はドロレスの内なる声であることはVOL1と2で書いた通りだからだ。だからドロレスの「回想」というのも厳密には間違いで、あれは自分の内なる声なのである。
それを前提とすると、ウォルターが「今回は死なねーぞ、アーノルド」と一人で会話しているシーンは、ウォルターには内なる声が聞こえているという解釈ができる。
ただし、ウォルターが独力で内なる声が聞こえるほど覚醒しつつあるのかといえばこれは疑わしい。おそらくかなりの確率で、フォードがウォルターに「二分心」すなわち内なる声を仕込んだものだと思われる。
実際1-10においてメイブがパークから脱出するときに、メイブは脱出のプログラムを入れられたとバーナードから告げられえた。そしてメイブのコアコードを書き換えた人物のIDは、アーノルドのIDであった。アーノルドが生きているわけがないので、このIDを使ってコアコードを書き換えた者はほぼフォードでしかありえない。
さて、場面は変わってホストが作られる現場。丸い輪の中にホストの人体が大の字のポーズをとっている「カタ」がベルトコンベアで流れている。これは映像的にウィトルウィウスの人体図(ダビンチの人体図)を同じポーズである。これが何を意味するのかについては不明だが、フォードは文学・芸術的な造詣
が深く、おそらくそういう彼のキャラクターを強く印象付けるための映像的工夫を監督がしたものと思われる。
翌日の早朝、一晩中写真をみていたドロレスの父のアバナシーは、明らかに不具合を起こしており、「地獄はカラだ。悪魔はここにいる」とシェークスピアのテンペストの一節をドロレスに叫ぶ。
そして時を同じくして、スイートウォーターではヘクターによる酒場強盗イベントが起こる。ここで流れる曲はローリングストーンズの「黒く塗れ!」である。この歌の歌詞は、大事な人(女)を亡くした男がほかのことには目もくれず文字通り黒く塗りつぶし、ひたすら悲しみに身を浸すというもの。
1番の歌詞の原文と和訳
I see a red door
and I want it painted black
No colors anymore
I want them to turn black
I see the girls walk by
dressed in their summer clothes
I have to turn my head
until my darkness goes
赤いドアを見ると
黒く塗りつぶしてやりたくなる
色なんていらないのさ
全部黒くしてやりたいんだ
夏服を着た女の子達が
そばを通りすぎていったんだ
俺は見ないように反対を向いた
俺の中の闇が通りすぎるまで
この曲のタイトルは原文では「Paint it, Black 」とコンマが入るがこれはストーンズメンバーの意思ではなく、所属レーベルのデッカ・レコードによってつけられたものだった。しかしコンマが入ると「黒く塗れ」ではなく「塗れよ、黒人」という意味にとれてしまうため、近年ではコンピレーションアルバムなどに収録される際にはコンマなしの表記にされている。 (WIKIより抜粋)
なぜヘクターの酒場強盗のシーンで、この曲が流れるかは実はよくわからない。なにかのオマージュなのかもしれない。
場面はメサハブに戻って、アシュレイ・スタッブスがドロレスに質問をするシーン。ここでのアシュレイの質問の内容は、1-1の冒頭でバーナードの声でドロレスと質問のやり取りをしている場面とほぼそっくりである。
つまり1-1の冒頭のシーンは、何度も回収されてループするドロレスに、(職員が)いつも同じ質問をして不具合がないことを確認する作業を示したものである。シーズン1においてホストにとって「声がする」というのは大まかに2種類あって、一つはこの感情がOFFになっているときに職員に話しかけられる「声」。もう一つは内なる自分の「声」である。
さて1-1も佳境に入り、いよいよフォードが不具合の出たアバナシーに質問をする。アバナシーはシェークスピアのセリフをフォードにぶつける。このアバナシーの発言は、製作者への復讐ともとれるし、過去のシナリオが亡霊のようにレベリーの不具合で蘇ったともとれる。どっちにも取れるところであるが、覚醒したと理解しておくことにする。
同時進行でドロレスへの質問に場面がうつる。アナバシーから告げられたセリフ「激しい喜びには激しい破滅が伴う」。この言葉の意味は?とアシュレーに告げられるも、ドロレスは「ない」とキッパリと答える。しかしこのセリフはアーノルドが自殺する前の最期の言葉であり、この時点のドロレスはこの言葉がアーノルドが最期に発した言葉であることに気づいているようだ。つまりドロレスはこの時点でウソをついている。直後に「ウソをついたことは?」とアシュレー。「ないわ」とドロレス。「生き物を殺したことはあるか?」に「あるわけがない」とウソをつきまくるドロレス。
実はアシュレーもホストなのだが、それはシーズン3にならないとわからないようになっている。彼はドロレスについて「パークで一番古いホストだ」とよく内情をしっているし、またシーズン1でエルシーに「俺にも設定があってね」などという冗談をいうが、これが冗談ではなかったのである。
1-1のラストは元酒場のマスター(酒場強盗の時に撃ち殺された)が、新アバナシーとして登場し、ドロレスが首にとまったハエを容赦なく殺したところで終わるのだが、非常に不気味な終わり方をしている。
1-1はシーズン1を通じておそらく一番情報量が多い回であり、ここで物語のほとんどすべてのバックボーンを説明してしまっている。内容が濃密なのである。
さて、「激しい喜びには激しい破滅を伴う」というセリフは、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にでてくるローレンス神父のセリフである。ローレンス神父が情熱が激しすぎるロミオに対して戒める意味で語った言葉である。そういえば、ウイリアムの奥さんの名前は「ジュリエット」であり、ウイリアムにはいつも「ローレンス」が行動を共にしている。とするとウイリアムはさしずめ「ロミオ」かとも思うが、ウイリアムはご存じの通り婚約者であるジュリエットを愛してはない。
パークのホストであるローレンスは、1-9か1-10で示すようにウイリアムとドロレスをパークの奥に案内し、最終的には海と山がつながる場所でサヨナラをしている(このときのローレンスはエルラゾという名前だったが・・)。またシーズン1の黒服(ウイリアム)とローレンスは、迷路を追って旅をしていたが、最終的に黒服がたどり着いた先は迷路というよりもドロレスだった(1-10)。ここまでくると、本当のジュリエットが何者なのかが分かるというものだろう。
おわりに、アバナシーが喋ったシェークスピアのセリフ「生まれてくるとき、人が泣くのは、阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ。」という。これはシェークスピアのリア王という作品の中の王のセリフである。
人生は舞台。人は仮面を被り人生を演技する。ホストの筋書きも舞台。アホどもの舞台の「アホ」共とはいったい誰をさすのか?という疑問を投げかけて、1-1の解説をとりあえずは締めくくろうと思う。
1-2につづく。