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自民党支持は辞めました。

2020年09月11日 13時08分00秒 | 政治 経済
https://www.jiji.com/sp/article?k=2020091001347&g=pol

永らく自民党を支持して参りましたが本日をもって支持を辞めようと思います。
他に代わりがいない、売国政党ばかりだ、というのを良い事にスタビライザーの効かない消費税の増税、消費をすると罰金という消費税、デフレを20年以上も脱却していないこの国でなおもデフレを加速することを厭わない自民党はあまりにも国民を舐め過ぎた。

世界史的な時間軸に立てば、日本という国は貧しくなっており、それはさらに加速しているのだろう。その中で苦渋かなんかはしらないが決断したのだろう。実態は国際的な圧力で経済的に貧困国になるように仕向けられて、それに抗わないといういつもの日本節が炸裂したのだろう。

というわけで、今ここの局面に限り、私は他に代わりがいないであろうまたは売国政党である野党を全面的に支持し、自民党には下野してもらおうと決めた。
売国政党の害悪のほうが、自民党の害悪よりもマシと現時点では決めたのである。

これは1億2000万人いる国民の一人に過ぎない私の戯言であることは承知している。民意が自民党の継続を望めば、自民は今後も与党であり続けるからだ。

しかし考えてもらいたい。我々の統治権とは一体なんだろう?我々の統治権はいまや選挙権というただ一つの行為にしかない。それは1/120000000に薄められた、僅かな僅かな統治権だ。
議院内閣制によってそうして選ばれた議員たちは政党という結託を行なって、都合のいい人を最終的には総裁として推戴し、最大政党の総裁が総理になる。つまり言い方は悪いが結託した挙句に選ばれるのが総理である。
国民はいまの選挙ではほぼ政党に投票するしかない。比例代表なんか政党名しか書けないではないか。
かくして選ばれた議員は、選んでくれた統治者たる国民をこのような形で裏切り、私利私欲を仲間内でまわすのだろう。まさに政治業者。政治家では断じてない。

このような構造の中で、国民の統治権たる選挙権が議員にプレッシャーをかけるとしたら、極端なまでの結果しかないだろう。つまり自民党の惨敗、壊滅的惨敗である。自浄作用に期待したがそれが望めないとあっては、もはや下野してもらうしかないだろう。

アンケートとか選挙というものの弱点というのは、国民がある選択肢の中で葛藤しているときには、たいてい回答の結果がばらけて結論が曖昧になるということである。
例えば日本で、あなたは幸せですか?というアンケートをおこなったとしたら、はいといいえの回答の比率はほぼ同じになるのではないか?
自由意志の中で投票を行なって、100:0になることは逆に危うい。言論が硬直した社会だろうからである。人はバランスを見るために、いまの風潮をみて、少数の方にいれることもあろう。幸せだー!と謳歌する社会であったら、バランスを取る人は自分の気持ちに反しても、いいえと答えるということはある。かくして自由意志に委ねれば玉虫色のアンケート結果となる。

だが選挙はどうだろう?もちろん自由意志に行う。しかし自由意志におこなうと玉虫色になることをいいように利用した与党がいるではないか。
消費税の将来的な増税は必要だと、総理候補が9月10日の段階で言うことは、こいつは今までの消費増税に対して何ら痛痒を感じていないということだろう。
そしてその発言をしたあとの選挙でも、自民は勝てる気でいるのだろう。

こういうのを、、世間では

舐めていてる
舐められている

というのだろう。
議会制民主主義では、制度的には統治者は国民で議員どもは使用人ということになっているが、統治者が使用人に舐められているワケである。我々には罷免権はなく人事権もなく、予算作成権すらないのをいいことに。
我々の社会では社員は社長に舐めた口をきいても良いのだろうか?そんなことをしたらこの先の職があぶないだろう。そんなことを許す社長はほぼいない。逆にあっても・・・・。
統治権においては、我々国民は社長であり、議員は使用人である。我々は統治者として舐められては統制がとれない。というか政治と選挙の点においては、国民は議員を統制できていない。何がシビリアンコントロールだ。骨抜きもいいところである。
舐められてはいけない。

投票が1/120000000に薄められているので、使用人が好き勝手にやっているのだ。
安倍はがんばった?そりゃお疲れ様ぐらいは言ってやるし、言ってやったが、結果は惨憺たるものだ。いくら民主党政権の悪夢があるとはいえ、三年程度の下野では使用人は統治者を舐めることをやめないのだから、ここはもう一回、10年以上の冷飯を食わせてやるのもいいだろう。
自民以外の政党にいれて、くるくる政権を回してもいい。ただししばらくは自民はナシだ。

愛憎というのはすごいものである。
かつての私がいまの文章をみたら、ほぼ確実に「このパヨクめ!」と罵っていたことだろう。

支持してたものが裏切られたときには、その転向の方向も真逆になるし、批判もパヨクの比較にならないほど舌鋒が苛烈になるものらしい。

そういう自民支持だったものの怒りの投票をこの後の選挙では期待したい。
自民でなければどこでもいい、というのがいまの心境である。
ワンイシューで消費減税を掲げる政党にいれようっと。