EF24-105mmF4L
ついに板門店に到着。バスから持っていってよい物は、カメラと双眼鏡のみ。カメラや双眼鏡のフードも持っていくことは許されない。勿論三脚などはもっての他である。この日は雨が降っていたが、傘を持ってバスを降りることすらも許されていないという厳戒態勢である。
この日、バスの中でツアーのガイドから、一眼レフカメラのレンズは70ミリ以下でないとダメであると言われていたが、実際には何の問題もなかった。ツアーで何か問題が起こったら、ツアーの資格を取り消されることも多分あるのあろう。だから必要以上に過敏になっていたワケである。ただ、300mmのような大ズームレンズの場合は、おそらく持ち込みは許されないだろう。
写真は板門店の建物の中である。この建物のまん中に軍事境界線が敷かれている。写真内に国連の旗が立っているテーブルがある。ヘルメットを被った憲兵の目の前にあるのがそれだ。そのテーブルには黒い三角形のものが机のまん中にいくつか置かれている。ここが軍事境界線である。ここを境にして北と南に分かれる。写真では、左隅の扉が開けられているのが見えるが、これは我々が入ってきた扉である。つまり韓国側である。つまりこの写真では、私は北朝鮮側に足を踏み入れて写真を撮っている。
板門店の窓から外を写したもの。長方形のコンクリートが小屋のまん中を貫いている。これが軍事境界線である。ジャリを敷いてある方が韓国側。砂地になっているほうが北朝鮮側である。
韓国の憲兵。腕を若干手前に出しているのは、何時でも速く反応ができるための態勢をとっているからである。憲兵と旗が置いてある間の狭い空間を横切ってはいけないという決まりがある。有事の際に、軍人が素早く動くことが出来ないからというのが、その理由だそうだ。
ちなみにガイドからはこう言われていた。「DMZ内では軍人の指示に絶対に従うように。仮にその指示が一般的には黒であっても、DMZ内では軍人がいえば、それは黒でも白であり、従わなければない」と。なるほど、境界線の最前線はまさに主権の及ばない混沌地域という事なのだろう。これは日本ではそうそう聞くことの出来ない台詞である。
こちらの憲兵の背後にある扉は、北朝鮮側へ通ずる扉である。扉じたいは何の変哲もない。だが、この扉が設置されている地域は、きわめて特殊な場所である。この場所で、あの扉を無理やりあけて向こう側へ行くと、おそらく銃撃戦になる。考えてみれば非常に奇妙なものだ。別に地上と宇宙を隔てる境界のように、突破したら生物的に生きて行けないという理由で「行けない」のではない。人間の定めた、いわゆる政治的な問題による境界である。私はここで、こういう「境界」が、愚かしいものだと言いたいのではない。純粋な好奇心で言っているのである。国境というものは本当に面白い。それが政治的に緊張している地域の国境であれば、なおさらである。ヨーロッパの西側の国々の国境は、そういった意味ではなんら面白さが無くなった。EUになってから、西側の国境は一層つまらないものになった。かつて、ドイツからチェコに陸路で行く場合、国境線ではビザの提示が求められたが、それも今は無い。政治、文化、言語が分断される境界線。その存在があったからこそ、国境にはなにかロマンが感じられた。もしも世界から国境というものがなくなってしまったら、旅というものはかなりつまらないものになるだろう。いささか不謹慎な話ではあるが、これは多分だれもが薄々は持っている感覚だと思う。
バスの中からの撮影。正面に見えるコンクリの建物は北朝鮮側のものである。その手前のジャリを誰かが突破すれば、即、国際問題に発展するだろう。おそらくニュースでも報じられるに違いない。そう考えると何度も言うが奇妙な感じにとらわれる。
ついに板門店に到着。バスから持っていってよい物は、カメラと双眼鏡のみ。カメラや双眼鏡のフードも持っていくことは許されない。勿論三脚などはもっての他である。この日は雨が降っていたが、傘を持ってバスを降りることすらも許されていないという厳戒態勢である。
この日、バスの中でツアーのガイドから、一眼レフカメラのレンズは70ミリ以下でないとダメであると言われていたが、実際には何の問題もなかった。ツアーで何か問題が起こったら、ツアーの資格を取り消されることも多分あるのあろう。だから必要以上に過敏になっていたワケである。ただ、300mmのような大ズームレンズの場合は、おそらく持ち込みは許されないだろう。
写真は板門店の建物の中である。この建物のまん中に軍事境界線が敷かれている。写真内に国連の旗が立っているテーブルがある。ヘルメットを被った憲兵の目の前にあるのがそれだ。そのテーブルには黒い三角形のものが机のまん中にいくつか置かれている。ここが軍事境界線である。ここを境にして北と南に分かれる。写真では、左隅の扉が開けられているのが見えるが、これは我々が入ってきた扉である。つまり韓国側である。つまりこの写真では、私は北朝鮮側に足を踏み入れて写真を撮っている。
板門店の窓から外を写したもの。長方形のコンクリートが小屋のまん中を貫いている。これが軍事境界線である。ジャリを敷いてある方が韓国側。砂地になっているほうが北朝鮮側である。
韓国の憲兵。腕を若干手前に出しているのは、何時でも速く反応ができるための態勢をとっているからである。憲兵と旗が置いてある間の狭い空間を横切ってはいけないという決まりがある。有事の際に、軍人が素早く動くことが出来ないからというのが、その理由だそうだ。
ちなみにガイドからはこう言われていた。「DMZ内では軍人の指示に絶対に従うように。仮にその指示が一般的には黒であっても、DMZ内では軍人がいえば、それは黒でも白であり、従わなければない」と。なるほど、境界線の最前線はまさに主権の及ばない混沌地域という事なのだろう。これは日本ではそうそう聞くことの出来ない台詞である。
こちらの憲兵の背後にある扉は、北朝鮮側へ通ずる扉である。扉じたいは何の変哲もない。だが、この扉が設置されている地域は、きわめて特殊な場所である。この場所で、あの扉を無理やりあけて向こう側へ行くと、おそらく銃撃戦になる。考えてみれば非常に奇妙なものだ。別に地上と宇宙を隔てる境界のように、突破したら生物的に生きて行けないという理由で「行けない」のではない。人間の定めた、いわゆる政治的な問題による境界である。私はここで、こういう「境界」が、愚かしいものだと言いたいのではない。純粋な好奇心で言っているのである。国境というものは本当に面白い。それが政治的に緊張している地域の国境であれば、なおさらである。ヨーロッパの西側の国々の国境は、そういった意味ではなんら面白さが無くなった。EUになってから、西側の国境は一層つまらないものになった。かつて、ドイツからチェコに陸路で行く場合、国境線ではビザの提示が求められたが、それも今は無い。政治、文化、言語が分断される境界線。その存在があったからこそ、国境にはなにかロマンが感じられた。もしも世界から国境というものがなくなってしまったら、旅というものはかなりつまらないものになるだろう。いささか不謹慎な話ではあるが、これは多分だれもが薄々は持っている感覚だと思う。
バスの中からの撮影。正面に見えるコンクリの建物は北朝鮮側のものである。その手前のジャリを誰かが突破すれば、即、国際問題に発展するだろう。おそらくニュースでも報じられるに違いない。そう考えると何度も言うが奇妙な感じにとらわれる。