例によって写真はビデオから落とした静止画。
コソボ首都プリスティナまではあと30キロ程。運転していると、奇妙な光景が飛び込んでくる。なんと、夜遅くのコソボの道端にヒッチハイカーがいるではないか。世の中には我々の予想を遥かに超える猛者がいるものだ。彼らに比べれば、私のやっていることはまさに潜入ゴッコに違いない。しかし・・・あんたら、いつか死ぬぞ。
スピード標識がある。戦車の制限速度は40キロらしい。
さて、ようやく車はコソボの首都プリスティナに着いた。時刻は既に夜の9時頃。だが、我々はこんな恐ろしげな国で一泊するつもりは毛頭ない。だが流石に腹が減ってきた。このままメシ抜きでコソボを走り抜けるのは不可能なので、首都プリスティナのメイン通り沿いにあるレストランで晩飯兼夜食を摂ることとなった。その通りの名前は「ビルクリントン通り」。コソボ紛争で1999年にアメリカ主導のNATOが空爆を実施してくれてありがとう、という意味で命名された「らしい」。このようにコソボの人口の大半を占めるアルバニア人は、アメリカが大好きのようである。現在のコソボ共和国の首相ハシムは元コソボ解放軍(KLA)のリーダーであった。KLAの所業といったら・・・、解放軍というよりも・・・テ○リスト集団に近い。勝ったテ○リスト集団である。戦犯の多いこと多いこと。というわけで、コソボにいるアルバニア人というのは、なかなかの恐い人たちで、いつ問題をおこさないとも限らないのである。
さて、その通りに面したイタリアンレストランでピザを食ったが、これがなかなか美味かった。周りのお客が我々を珍しそうな目で見ている。しかし店内は至って平和である。日本の軽食屋と雰囲気は変わらない。ここだけを見ると、とてもNATOが暫定統治している国とは思えない。
食事も終わり早速出発。目指すは一直線にマケドニア国境である。実はここから先のコソボの映像と、マケドニア国内の映像はまったく無い。運転して既に12時間以上も経っており、誰もが疲れていたのである。
時刻は深夜に入り、日付は8月29日と変わった。コソボ―マケドニアの国境を無事通過する。マケドニア。この国は英語表記ではFYROMというが、これは「The Former Yugoslav Republic of Macedonia(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)」の略称である。マケドニアが国連加盟を申請するとき、国名を「マケドニア共和国」としたのだが、ギリシャがこれに猛反対した。これは歴史的な経緯と政治的な問題による。マケドニア旧ユーゴスラビア共和国に住むいわゆるマケドニア人は、古代マケドニア人の子孫でもなんでもない。彼らは中世スラブ人の末裔であって、独立した地域が、古代マケドニアの領土の中の地域を多く含んでいただけである。そういう意味ではギリシャも大差はない。ただギリシャは、すでに自国の州名にマケドニア名を使用しているのである。そう、ギリシャはマケドニアの領土的野心を警戒したわけだ。しかも古代マケドニア王に、あのアレクサンダー大王がいる。政治的にも歴史的にも対立しているわけである。
そのマケドニアを超特急で通過して、いよいよギリシャ国境に入った。
Eos5D EF24-105m F4Lにて、車内より撮影。
これまでの道を、私は一人で延々と運転してきたが、マケドニアの国境を通過した途端に、安心したのか急にドッと疲れが出た。運転を家人に代わってもらい、私は助手席へ行く。写真は助手席から撮ったギリシャの高速道路である。流石は先進国、高速道路もキレイなものである。街頭が明るい。マケドニアの高速道路の街頭はほとんどなく、ギリシャのそれと比べるとはるかにオソマツであった。夜の道路をみただけでも経済格差がよく分かる。コソボなんて、高速道路なんてほとんど無かった。いつしか降っていた雨も止んでいた。
コソボ首都プリスティナまではあと30キロ程。運転していると、奇妙な光景が飛び込んでくる。なんと、夜遅くのコソボの道端にヒッチハイカーがいるではないか。世の中には我々の予想を遥かに超える猛者がいるものだ。彼らに比べれば、私のやっていることはまさに潜入ゴッコに違いない。しかし・・・あんたら、いつか死ぬぞ。
スピード標識がある。戦車の制限速度は40キロらしい。
さて、ようやく車はコソボの首都プリスティナに着いた。時刻は既に夜の9時頃。だが、我々はこんな恐ろしげな国で一泊するつもりは毛頭ない。だが流石に腹が減ってきた。このままメシ抜きでコソボを走り抜けるのは不可能なので、首都プリスティナのメイン通り沿いにあるレストランで晩飯兼夜食を摂ることとなった。その通りの名前は「ビルクリントン通り」。コソボ紛争で1999年にアメリカ主導のNATOが空爆を実施してくれてありがとう、という意味で命名された「らしい」。このようにコソボの人口の大半を占めるアルバニア人は、アメリカが大好きのようである。現在のコソボ共和国の首相ハシムは元コソボ解放軍(KLA)のリーダーであった。KLAの所業といったら・・・、解放軍というよりも・・・テ○リスト集団に近い。勝ったテ○リスト集団である。戦犯の多いこと多いこと。というわけで、コソボにいるアルバニア人というのは、なかなかの恐い人たちで、いつ問題をおこさないとも限らないのである。
さて、その通りに面したイタリアンレストランでピザを食ったが、これがなかなか美味かった。周りのお客が我々を珍しそうな目で見ている。しかし店内は至って平和である。日本の軽食屋と雰囲気は変わらない。ここだけを見ると、とてもNATOが暫定統治している国とは思えない。
食事も終わり早速出発。目指すは一直線にマケドニア国境である。実はここから先のコソボの映像と、マケドニア国内の映像はまったく無い。運転して既に12時間以上も経っており、誰もが疲れていたのである。
時刻は深夜に入り、日付は8月29日と変わった。コソボ―マケドニアの国境を無事通過する。マケドニア。この国は英語表記ではFYROMというが、これは「The Former Yugoslav Republic of Macedonia(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)」の略称である。マケドニアが国連加盟を申請するとき、国名を「マケドニア共和国」としたのだが、ギリシャがこれに猛反対した。これは歴史的な経緯と政治的な問題による。マケドニア旧ユーゴスラビア共和国に住むいわゆるマケドニア人は、古代マケドニア人の子孫でもなんでもない。彼らは中世スラブ人の末裔であって、独立した地域が、古代マケドニアの領土の中の地域を多く含んでいただけである。そういう意味ではギリシャも大差はない。ただギリシャは、すでに自国の州名にマケドニア名を使用しているのである。そう、ギリシャはマケドニアの領土的野心を警戒したわけだ。しかも古代マケドニア王に、あのアレクサンダー大王がいる。政治的にも歴史的にも対立しているわけである。
そのマケドニアを超特急で通過して、いよいよギリシャ国境に入った。
Eos5D EF24-105m F4Lにて、車内より撮影。
これまでの道を、私は一人で延々と運転してきたが、マケドニアの国境を通過した途端に、安心したのか急にドッと疲れが出た。運転を家人に代わってもらい、私は助手席へ行く。写真は助手席から撮ったギリシャの高速道路である。流石は先進国、高速道路もキレイなものである。街頭が明るい。マケドニアの高速道路の街頭はほとんどなく、ギリシャのそれと比べるとはるかにオソマツであった。夜の道路をみただけでも経済格差がよく分かる。コソボなんて、高速道路なんてほとんど無かった。いつしか降っていた雨も止んでいた。
「Turkiye」(トルコ)という国名は、私から見るとほとんど僭称のような気がしますね。トルコはテュルク(turk)から来ており、これはテュルク諸語を母語とした民族の区分の仕方で、テュルク諸語は中央アジア~シベリア~東アジアの地域まで広く話されていたので、このアナトリア半島だけが「テュルク」なのではないですね。テュルク諸語は、広くはアルタイ諸語系に含まれますが、しかし言語による民族区分というのは上記したようにかなり不十分な側面が多いですよね。アケメネス朝ペルシアでも公用語として話されていたのはアラム語でしたし。いつの間にか中世ペルシア人なる民族のくくりが出来て、アラム語からペルシア語(古代ペルシア語ではない)が派生する。さらにアラム語は突厥文字、モンゴル文字、満洲文字に至る。言葉と民族は関わりが強いが、しかし統合され、分散する。そして18世紀には近代国家の成立を見て、あらたなる「民族」が作り出される。こうなると「民族」という言葉の定義がとても難しくなる。民族は「氏族」「血族」の事を指しながら、同時に宗教的な「イスラム人」などの区分としても使われ、同時に近代国家の「フランス人」「日本人」といったように国家に属する国民を「○○人」という○○民族と言い換えもした時代もあった。言語、文化、習俗、あとは政治的に「民族」というものは作られ、区別されていったワケですが、もうこうなると線など引きようがありません。
わたしら島国育ちはハンガリーがフン族で、てな感じで分けたがりますが大陸だからごった煮ですよね。
特にバルカン半島となると宗教戦争の度に東西から踏みにじられてきましたからね。
今ちょうどオスマン帝国の本を読んでるんですがトルコは言語的にも完璧にアジア系遊牧民で納得できるんですが、ハンガリーもアルタイ語系だとか。
線の引きようがないですねえ。
ちなみにドラキュラで有名なのはルーマニアですね。この国も民族のごった煮で、ローマ人、ダキア人、ブルガール・アヴァール・マジャールなどの遊牧系民族。さらにゴート人とかフン人の血も入っている。まぁとにかくごちゃごちゃなんです。
バルカン半島の音楽は・・・、わかりません。想像も付きません。おそらくスラブ系の音楽とオスマン風(トルコ風)の音楽がまざったような、半音階テイストで、ちょっと暗く郷愁を誘う音楽なのではありませんかね。
この旧ユーゴスラビア諸国ってのは、偏見を持っちゃいかんのでしょうけど、不気味な気持ちにさせる地域ですね。
確かドラキュラ伝説もこっち方面だったような。。
ところがエーゲ海となるとコロッと変わって明るいイメージになる。紅の豚のBGMはシャンソンだったけど、こっち方面はどんなBGMになるのかな。ロシア民謡かなあ、やっぱし。
この両者の落差は、、写真を見せていただくだけで充分です(笑)