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国際都市長崎からみたドイツ もうひとつの交流史

2015-10-22 | アート
長崎歴史文化博物館開館10周年記念特別展として11月29日まで開催中の
国際都市長崎からみたドイツ もうひとつの交流史」に行ってきました。

この展覧会は千葉県の国立歴史民俗博物館で7月から9月に開催されていた企画展
ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-」に長崎独自の史料を加え
幕末から明治維新、ふたつの世界大戦を経た日独関係を辿っていく展示内容となっています。

まずこの国にやってきたドイツ人として知られているのは
特にここ長崎ではオランダ商館医としてやってきたシーボルトであり、
彼の日本を紹介する本が後の日本を訪れた諸国に与えた影響は大きいです。
(ペリーはシーボルトの「NIPPON」を読んでおり、
 ロシアはシーボルトに日本に開国を迫る上でのアドバイスを頼んでいます)
当時まだドイツはプロイセンとオーストリアの2国に挟まれた多くの自治都市という状態で
鉄血宰相・ビスマルクによる統一がなされる前に日本に使者を送っており、
条約締結までには本当に紆余曲折があったようです。

倒幕後の明治維新、日本は富国強兵策を学ぶためにヨーロッパに視察団を派遣するほか
多くの「お雇い外国人」を雇っており、その中にはシーボルトの息子である
アレクサンダー・シーボルトの姿もありました。
彼は日清戦争などでの日本のイメージをできるだけ諸外国に対してよいものにしようと
海外新聞社への工作などを担当していたり、といった側面ももっていた模様。
そして富国強兵策の中で、出島に商館を構えていた商社であるクニフラー商会は
工作機械の輸入に生糸・昆布などの輸出で財を成しておりました。

日清戦争後、ロシアの東方進出に協力(ヨーロッパ方面への侵攻を抑えるため)するために
三国干渉を行った結果、一時日本とドイツの関係は冷え込みます。
そして日露戦争での日本の勝利ののち、
第一次大戦で日本とドイツは中国・青島で戦うことになり日本は勝利、
多くのドイツ人捕虜が日本で捕虜として生活することとなりました。
4年間の捕虜生活、国際条約を尊守していた日本政府は彼らに可能な限り快適な環境を与え
(遠足やコンサート、スポーツ大会まで開催した上、周辺地域で働く捕虜も!)
この中で日本で初めての「第9」コンサートが開催されることにもなりました。

第一次大戦の敗戦後、ドイツはのしかかる戦後補償への不満から
ナチス政権が誕生し、「持たざる者同士の同盟」として日本へと接近、
日独伊三国同盟が成立して、第二次大戦へと向かっていくことになります。
第一次大戦のときのドイツの潜水艦・・・Uボートを手に入れていた日本は
それを見習った対艦攻撃用潜水艦を作り、さらにドイツからも潜水艦U511を贈られます。
(今では「艦これ」でおなじみのU511→呂500ですね)
その一方で日本の技術者によってドイツ潜水艦に改修が行われるなど
潜水艦技術を中心とした技術交流が戦争中も進んでおりました。

そして日独がともに戦争に敗れ、ドイツは東西に分裂したのちも
ドイツと日本の友好関係は続き、それはドイツ統一後の現在にも続いています。

この展覧会では、本当にたくさんの充実の史料を見ることができ
(U511の図面まで!)この国とドイツが激動の時代をどう歩んできたのかの
その道のりを楽しむことができる展示となっています。
ただ、文書類に関しては訳文などはついていないため
文書の中身に何が書かれているのか、については不親切感もあります。
(この会場の企画展はだいたいそうなのですが・・・)
幕末好きや艦これ好きの人にも是非見てほしい展覧会ですし、
戦争と平和について考えたい人や昨今のVWのニュースでドイツに関心を持った人にも
是非触れてほしい内容だったなー、と思います。
コメント
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