下記資料は,
やのみ-探検隊 殿発行の「矢野三山たんけんマップ」を使用。
つづき
(12:20) 絵下山のTSS-TV塔の麓の東屋での昼食後、
野間神社・矢野城方面へ向けて出発します。
小雨の為、 傘を差したり、ビニールの雨カッパを被ったりしています。
女性グループとはここで別れました。
一旦車道まで階段を下りて、ホームTV塔の有る絵下山頂上(588.1m)を通過。
比較的早足で岩の間を下りていきます。
(12:45頃) 発喜山を通過。(標高476m) 気がつかないまま通過。惜しい。
途中、現れる岩石が丁度良い具合に凹形になっていました。自然石とは
思えません。あちこちに数箇所ありました。
12:55 野間神社に到着。(標高415/420m)
12:57 神社の背後には大きな岩が鎮座していました。
野間神社の由緒(読めません)
祭神 大山祇之命
祖神 野間*****
祭日 五月三日
とうっすら読めませんか?
(画像拝借)
室町時代、矢野を中心に広島湾東岸を治めた野間氏。
野間氏は五代110年間にわたり領地を平安に治め、矢野の文化経済を発展
させたが戦国時代の始まりに毛利氏に滅ぼされた。そうです。
(13:00) 野間神社(420m)から矢野城跡(265m)まで急峻な斜面をジグザグ
に下りて行きます。(これを、発喜いろは坂と呼ぶとのこと)
(13:07)途中沢になり、湧き水「金明水」が有ります。用意されているコップで、
のどを潤しました。
持参の飲物が空っぽなので グッドタイミング。 ミネラル補給出来ました。
13:17 矢野城址に到着
城跡は何箇所にも分散していたのが分かります。
下山途中には馬舎跡も残っていました。
詳しい史跡ですが解読困難。
矢野城は南北朝時代は熊谷氏の、室町時代には野間氏の居城でした。
矢野郷土史文化研究サークル 「発喜会」 建立による石碑
野間氏の墓石 (広島県史跡)
16世紀時の矢野城主、野間高実は毛利元就の謀略に落ち、非業の最期を遂げた。という。
以上、コメントは矢野郷土史文化研究サークル 「発喜会」 製作の「矢野三山探検マップ」
を参照させていただいています。
13:32 熊野道路へ下りてきました。特徴の有る陸橋でした。
鷹野宮歩道橋(朱の欄干・ギボシが印象的)
この陸橋をおりたら県道34線へ出ます。
県道を200mほど下ると矢野天神というバスの停留所がありました。
(13:42) 1時間に1本の運転ですが、運よく10分もたたないうちにバスに乗れました。
(13:50) 無事矢野駅に到着しました。 ここで解散。
14:00 JR呉線矢野駅乗車→14:15広島駅着→14:22西広島着
実に蒸し暑く・小雨も降る中、厳しい条件の中で、矢野三山全てを踏破できました。
坂町のことや、矢野町のことについても色々勉強になりました。
坂歩こう会の皆様、道中、お世話になり、ありがとう御座いました。
梅雨も明けて猛暑がつづきそうです。熱中症などには気をつけましょう。
(7月6日歩数:17831歩 延べ4時間30分)