里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

遣新羅使

2010年10月05日 | 歴 史
10月3日の朝日新聞に“遣新羅使”が、旅の途中で福山に寄港した際に詠んだという
歌の歌碑の一つが、国道2号線の芦田川西詰めの西神島神社にあるというので見学に
行って来た。

〔西神島神社遠景〕
標高20mほどのこの丘は古来海上に浮かぶ
小島で、倭姫命が神鏡を献納する途中で一夜
を過ごしたという伝承や神功皇后の船が寄港
したという伝承から“かむしま”と呼ばれ、
後の“神島村”という地名となった。

元和(1615~1623)の頃まで8反帆船などが
出入りして港町として栄えたそうだ。
〔鳥 居〕

歌碑は鳥居の左側の常夜灯の奥側にあった。
〔歌碑〕
歌は、
「月よみの 光を清み神島の
 磯廻の浦ゆ 船出すわれは」
というもので、
「月の光が清らかなので、神島の磯が続く
 入り江から船出をするよ、私は」
という意味だそうだ。
〔歌碑の説明〕

この歌は天平8年(736年)に難波津より出航した遣新羅使が神島へ寄港した時に詠まれた歌だという。
この後、次の寄港地・糸崎の“長井の浦”を経て、苦労をして新羅へ辿り着いたものの、新羅では冷遇され、帰路には大使が病気で死ぬなど散々な旅だったそうだ
〔拝殿〕

丘の上には小さな八幡神社があった。
〔本殿〕

朝鮮半島の統一と遣新羅使(けんしらぎし)
・660年に唐の援軍を得て百済を滅ぼした新羅は、
・663年に白村江の戦いで百済・倭国連合軍を破り、
・668年に高句麗を滅ぼし、
・670~676年にかけて、旧百済領を占領していた唐を追い出し朝鮮半島をほぼ統一した。
 遣新羅使は、日本が新羅に派遣した使節で、特に668年以降の統一新羅に対して派遣
 されたものをいう。
・779年を最後に正規の遣新羅使は停止された。