福寿会館の洋館1Fは“茶処ばら”という喫茶店になっている。
メニューに、“うずみ”という郷土料理があったので珍しいので注文してみた。
何でも、福山藩初代藩主・水野勝成が質素倹約を徹底させる為に下々の食生活を視察し
た際、庶民がおかずをご飯に埋めて誤魔化したのが始まりで、埋(うず)め飯が鈍って
うずみになったのだそうだ。
(うずみ、上段:食べる前、下段:隠してあった下の具)
試食してみると、小エビ・アサリ・椎茸・里芋・人参などの具にだし汁をかけその上にご飯
を盛ったもので、食材も味も極めて素朴なまるで我が家の料理のようであった!
それでも、当時ぜいたく品とされたエビや鶏肉などを公然と食べる事が出来なかった庶民
にとっては、ご飯の下から掘り出したご馳走は禁を犯して食べるだけに事のほか美味しか
ったに違いない!
当時、もしお殿様が「余にも食わせてみろ!」という事になったとしたら、「不届き者!」
と極刑に処せられただろうか、それとも庶民の悪智恵に苦笑しながらもスッカリ味が気に入
って「城下のうずみを所望じゃ!」と催促したのであろうか?
色々想像して楽しませてくれる珍しい郷土料理だった!
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メニューに、“うずみ”という郷土料理があったので珍しいので注文してみた。
何でも、福山藩初代藩主・水野勝成が質素倹約を徹底させる為に下々の食生活を視察し
た際、庶民がおかずをご飯に埋めて誤魔化したのが始まりで、埋(うず)め飯が鈍って
うずみになったのだそうだ。
(うずみ、上段:食べる前、下段:隠してあった下の具)
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試食してみると、小エビ・アサリ・椎茸・里芋・人参などの具にだし汁をかけその上にご飯
を盛ったもので、食材も味も極めて素朴なまるで我が家の料理のようであった!
それでも、当時ぜいたく品とされたエビや鶏肉などを公然と食べる事が出来なかった庶民
にとっては、ご飯の下から掘り出したご馳走は禁を犯して食べるだけに事のほか美味しか
ったに違いない!
当時、もしお殿様が「余にも食わせてみろ!」という事になったとしたら、「不届き者!」
と極刑に処せられただろうか、それとも庶民の悪智恵に苦笑しながらもスッカリ味が気に入
って「城下のうずみを所望じゃ!」と催促したのであろうか?
色々想像して楽しませてくれる珍しい郷土料理だった!
福山市にあり名前も福寿会館、そこの料理、
「うずみ」倹約令の有った頃の庶民の知恵ですね。
岡山にもあります。
岡山寿司、ばら寿司ですが、池田公の倹約令に対し
同じように、さわらの酢漬けやエビなど高級品を
寿司の中に埋め込んだのが始まりとか。
どちらも苦笑して見過ごしたので今に伝わっている
のでしょう。
でしたね
写真が載ったと書かれていたので探しましたが別の
ご夫婦の写真しか見つかりませんでした。
福山は城下町とあって福寿会館は素晴らしい建物
ですね。近くに住んでいたのに福山はあまり行った
事もなくて知らないことばかりです。
府中の友人と山野草の話になりましたが竹原には
山野草はないんよとの事でした。
そういえば見たこと無かったはずです。
電話がかかってくるやら、顔を合わせると冷やかされるやらで困っています!
一度岡山出身の友人から、エビや刺身などの入った豪勢なばら寿司を貰ってビックリした事がありました。
それも“いずみ”と同様な歴史があったとは知りませんでした。
封建時代にあっても庶民はしぶとく抵抗していたのですね!
忍々の37年間、我ながらその努力を褒めてやりたいほどです。
記事はローカル版に載っているので、被害は最小限度で済みそうです!
福寿会館は“鰹節王”と呼ばれて財をなした人が建てただけに、待合や茶室を配した庭は実に見事でした。
竹原は海に近い暖かい場所だけに、山野草が少ないのでしょうね?