里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

名字制定記念日

2012年02月13日 | その他
今日は、“名字制定記念日”なのだそうだ。
何でも、1875年(明治8年)2月13日に、政府がすべての国民に姓を名乗る事を義
務化したのだという。

面白そうなので、苗字について少し調べてみたところ、
日本では、現在約30万あると言われており、その数は世界一なのだそうだ。
その中では、地名を由来とするものが最も多く、その他に
氏姓・地形・方位・職業・屋号等のほかに、藤原から転じた姓・本家と読みや漢字を
変えた分家の姓…など、実に多彩だ!

庶民の名前の歴史についてはイマイチ良く分からなかったが、明治政府の法律制
定については、「姓を届け出ると新たに税金をとられるのではないか?」と大い
に警戒したと言い、この点は現在も同様なのでよく理解できた。

姓を持たず、「どうしたものか?」とためらっていた我が家のご先祖のような連中が
大慌てで大家さんやお坊さんや庄屋さんに相談する為に駆けずり回っている様子を
想像すると、スッカリ楽しくなってしまった!

〔織田信長の名前から見た、氏姓と苗字の起り〕…Wikipedia から引用
苗字
通 称
氏(ウジ)
姓(カバネ)
諱(実名)
織田
三郎
朝臣
信長
この長ったらしい正式な名前の真ん中にあるのは氏姓と言い、江戸時代には、専ら
朝廷から官位を貰う時などに使用が限られるようになってしまったが、
元々は、大和朝廷が貴族や豪族に与えたもので、は祖先を同じくする同族集団で、
天皇から下賜されたものや、地名や朝廷での職務に由来し、はその人の職業や
家柄を指す。
因みに、氏は氏と共に、皇族が臣籍降下する際に名乗る氏の一つで、
朝臣(あそん)は、主に皇族に与えられた真人(まひと)に次ぐ地位だ。

次は、苗字(名字)。
律令制に移行した7世紀の終わりには、氏姓の格式よりも本人の家系や家族の方
が重要になってきた為に、公家達は出身地などを名字として付けるようになり、
やがて、平安時代後期に律令制が崩壊したのに伴って出現した武士達も、自分達
が支配する土地の名前などを名字として付けるようになった。
因みに、織田氏は元々、越前「織田庄」に住んでいた為に織田を名乗るようになっ
たそうで、武士の場合は「名字+通称」又は「本姓+諱」で呼んだ。

庶民の苗字については、
江戸時代に、武士や豪商・庄屋等の一部を除いて苗字を名乗る事が許されなかっ
たものの、実際には、先祖が武士でも後に平民になった者のほかに、農民や商人
にも地名や屋号などを苗字として名乗る人間も沢山いた。


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2 コメント

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名字制定記念日 (yomogi)
2012-02-15 09:08:31
仙人さま お早うございます。
寒い日が続いていますね。
いろんな記念日があるんですね。
2月13日・・名字制定記念日は初めて知りました。
私も旧姓や今の姓もですが、
ご先祖様はどの様に考えて付けられたのでしょうか。
興味津々って感じです。
記事で勉強させて頂きました。有難うございます。
でも歳を経て、覚える気力が欠けてきておりますので
直ぐに忘れてしまいそうで、お恥ずかしいです

ここちょっと都合で、ブログをお休みさせて頂いています。
また再開しました折には、どうぞよろしくお願い致します。
返信する
名字制定記念日 (仙人)
2012-02-22 13:24:26
一寸出かけていました。 申し訳ありません。

江戸時代には、特定の人しか名字を名乗る事を許されませんでしたが、
庶民の中にも、名乗れないものの多くの人達が名字を持っていたそうです。
我々のご先祖も、ひょっとして名字を持っていたかもしれませんね?
それとも、誰かに相談して名字を届け出たのでしょうか?
想像してみるのも楽しいですね。
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