里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

杭(久井)の牛市

2008年04月30日 | 歴 史

次の目的地は久井の大仙神社。
昔、その近くに牛馬の三大市場の一つがあったそうで、遠くは北陸や九州からも牛
馬商人が集まって賑わったという。 いかにも面白そうなので見に行った。


丁度居合わせた年配の婦人に尋ねてみたところ、
牛馬商人たちは遠くから牛馬を連れてやって来て、大仙神社のある室山の日向松へ
繋いでおき、自分達は近くの博労宿や民宿に泊まって市が開かれるのを待ったのだ
そうだ。
市場跡(現在は歴史民俗資料館が建っている)大仙神社のある室山(市場跡から撮影)
嘗ての民宿(室山から撮影)嘗ての民宿(室山から撮影)


室山へ登ってみると、嘗て牛馬の安全祈願と供養の為に勧請した大仙神社はスッカ
リ寂れてしまい、牛馬を繋いだ松も殆ど枯れてしまっていた。
ただ1本だけ松の木が立っていたが、果たして日向松なのかどうか定かではなかった。

嘗て、日本の三大市場の一つとして大賑わいしたこの杭の牛馬市も、農作業の機械
化が進み、牛馬をつかって耕す必要が無くなった事から、昭和39年には1000年も
続いた歴史を閉じたそうだ。

生産手段が変わると、こうも劇的に変化するのかと思うと空恐ろしい思いがする!
我が国も、企業の海外移転により国内の空洞化が相当進んでいるが、やがて力をつ
けた後進国に席巻され、国民が塗炭の苦しみを味わう事のないように願いたいものだ!
大仙神社(祭神:大国主命)日向松?

杭(久井)の牛馬市の歴史
●今から千年以上も昔の平安時代、
 ・951年頃、稲生神社神域の室山(亀甲山、現在の牛山公園)に於いて、杭の庄
  の牛馬商人勧左衛門が太田の庄の牛馬商人群兵衛から牛1頭を買ったところ、
  その牛がことのほか良く成長したという。
  勧左衛門は、これはひとえに稲生神社のご神徳によるものと信じ、仲間達に室
  山で取引をする事を勧めた。
 ・これを聞いて室山で牛馬の取引をする者が多くなり、
  961年頃室山に伯耆大仙神社大明神(祭神:大国主命)を勧請し、牛馬を繋ぐ
  日向松もたくさん植えた。
 ・963年頃から多数の牛馬商人が参集し、杭牛馬市の基礎が定まった。
●江戸時代になると、
 ・1680年に杭牛馬市は広島藩の公認となり、中国・四国地方はもとより、近畿・
  九州・北陸地方などからも多くの商人が集まり、豊後(浜の牛馬市)や伯耆
  (大仙の牛馬市)と並んで日本の三大市場の一つとして広く知られた。
●明治以降になると、
 ・市場開催日が1回から3回になり、昭和の始め頃までは一万数千頭の牛馬が集
  まり大変賑わったが、しかし、その後農作業の機械化等急激な社会情勢の変化
  により次第に衰退し、1964年(昭和39年)に千年も続いた歴史を閉じた。
 ・今は、その牛馬市の跡地に“久井歴史民族資料館”を建て、その中に“杭の牛
  市跡記念館”も併設されている。


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