里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

緑陽竜王山

2009年03月19日 | 
里山講座一年間の取りを飾るのは“緑陽竜王山”。
JR山陽本線・松永駅の東にある標高 221.3m の“超里近山”だった!

先ず松永駅前からスタートだ。 
本来ならスタート前にストレッチ体操をするのだが、みっともないので山中へ入っ
てする事にして、取りあえずひたすら街中を歩く。

ようやく山麓に到着。 この急な石段を登った先にあるお寺の名は“承天寺”。
非常に語呂が良く、我々世代にピッタリの名前だ。

(石段→承天寺)
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このお寺は本荘家の菩提寺で、江戸時代初期に福山藩主水野家に仕えた本荘重政
のお墓があった。 新田の開発に努め、松永湾を干拓して塩田を造り製塩業の礎を
築いた人だという。

塩田の完成によって松永湾の東部に村が出来、当初は”本庄村”と呼ばれたが、
重政は
「功績を独り占めにした感じで良くない」「松寿永年という目出度い言葉があるの
 で松永村にしよう」
と幕府に届け出、その地名が現在まで使われているのだという。 奥ゆかしい話だ!

(本荘重政のお墓→眼下に見える松永市街)
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お寺の境内を通り抜けて登山道に入り、なだらかな山道を登って行くと直ぐに山頂
へ到着した。

山頂には高澪龍王神社という小さな祠があり、高澪龍王神を祀ってあった。
瀬戸内海は雨が少ない為に、どこの山にも水を司る龍王神が祀られていて、その神
の名やその地方の名前を頭につけて“○○竜王山”と名づけられた山が実に多い!

祠の後ろには“神村遥拝所”なる立て札も立っていた。
「高天原に降臨した神々が次にこの地に下り立ち、神村を納める為に夫々の地に
 向かった…」
と書かれていたが、さて真相はどうなのだろうか?

眼下には松永湾と松永市街が見える。
嘗て塩田だった場所は埋め立てられてしまい、下駄の産地として有名だった頃に
桐材運搬の船が行き交った松永湾も、今では建築用の貯木場として使われている。

(山頂の高澪(たかつゆ)龍王神社→眼下に見える松永湾)
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後は、福山市の園芸センターを目指して黙々と歩いた。
これで“里山講座”は卒業し、4月からは“登山講座”に替える積もりだが、今か
ら楽しみにしている!


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