作家の柳澤健さんがクラッシュ・ギャルズの本を書くというので、取材に応じました。発売中の「オール読物」(文藝春秋)で特別ノンフィクション「赤い水着、青い水着」クラッシュ・ギャルズが輝いた時代なる読物が掲載されている。原稿用紙100枚を書いた作品だそうで、これの約4倍をまた書くとかで、いろいろ検証取材しているみたい。昔のことを思い出すことは、記憶を確かめるいい機会でもある。そうクラッシュのことを内部 . . . 本文を読む
NOSAWA論外との打ち合わせを終え、新宿から南千住に移動。6月に二人目の男の子を産んだチャパリータASARIこと、中尾真美さんのお宅にお邪魔した。引っ越したばかりの新居は「南千住スカイ000」というところ。ここでもスカイにこだわるASARIだが、長男の天空(そら)ちゃんは2歳ながら体が大きい。丸々とした体格なのだ。
産まれたばかりの次男は星空(せら)ちゃんという。こちらはまだ2カ月だが、意外 . . . 本文を読む
週プロのハチミツ二郎さんのコラムで、私の名前が出ていました!これは華名のマニフェストに対する反論で、彼流の全否定が綴られており、最後に私の言った「総合やシュートボクシングに挑むこと」に賛同してもらった。プロレスと総合やSBなどの格闘技は、似て非なるものだけど、源流は同じ。キックやサブミッションは形だけでなく、レスラーは本当の強さが必要だなのだ。
昔、全女時代に府川由美がテレビのバラエティ番組に . . . 本文を読む
偶然、目に入ったあるサイト。リング製作も請け負っているという。プロレス・サイズのリングが150万円と記載してあった。う~ん、私がアルシオンを旗揚げする際、リングを購入したが、プロレス・バブル末期だったが2台で500万円もした。当時はこれでも安いと言われたが…デフレの現在、ここまで価格が落ちたとは…探せば、もっと安いリングもあるかもしれない。
当時は右から左へと500万円は消えていったが、それ . . . 本文を読む
週プロ誌上で勃発した華名のマニフェストに関する女子プロレス関係者の見解…私にコメントを求められた時、「何て肩書きにするの?」、「どうすればいいですか?」、「プロレス・プロデューサーでいいんじゃない」って会話で決まりました。
今から13年前、私がアルシオンを立ち上げた時、全女を反面教師とするため、いろいろ薀蓄を並べ、今で言うマニフェストみたいな言葉を並べました。グラウンドのスペシャリストや空中殺法 . . . 本文を読む
立野記代が現役引退を発表した。そういえばブル中野さんの店に顔を出した際、偶然に記代と顔合わせし「一生、プロレスをやっていくつもりだったけど、女性特有の病気で10月に引退することになったのよ…」と言っていた。病名は骨盤内腹膜炎とか。
昭和56年にデビューし、1度は全女で引退。1年の空白を経てLLPWの旗揚げで復帰。足掛け30年のプロレス生活にピリオドを打つことになったのだ。新人時代は「いつ辞めて . . . 本文を読む
週プロの最新号に華名が唱えるマニフェストやらが載っています。みなさん見ましたか?どうもこれはSMASHにおける次の展開のようですね。個人でマニフェストを出しても、空物語になるからTAJIRIプロデューサーに委ねているのでしょうね。私も編集部の依頼で、このマニフェストについてコメントしました。来週号に載るのかかな…
各女子団体の首脳に交じり、私は華名にいくつか提示したのです。言葉によるプロレス . . . 本文を読む
米山革命はいかに…高橋奈苗を破り、JWP無差別級王座を奪回した米ちゃんは、高らかに”米山革命”を唱えた。タニー・マウスとの初防衛戦はNEOマット。当分の間、JWPでの防衛戦を行わないと公言したが、試合順は前半最後の休憩前。「この扱いは何なんだ!」となぜ、米山革命は怒らないのか?JWPの至宝がこれでいいのか…
思えばJWPは10年近くも日向あずみの政権が続いていた。だから誰が無差別級王者になって . . . 本文を読む
NEOの後楽園大会はまんべんなく入った満員でした。私的注目カード(というより、観客の期待度大)の野崎渚vs朱里は5分という短い時間に現在の力量が凝縮した試合だった。多くの女子プロレスに見られる、やたらドロップ・キックが乱発したり、ロープに振り過ぎることは無くある意味で新鮮。朱里はいつの間にか、場内を見渡せるたたずまいを身につけ、常に試合をリードした。野崎はデビューして4年弱ながら、実質2年にも満 . . . 本文を読む
サムライTVで放送中の「全女CLASSICS」はあの、後楽園の惨劇というべき”サバイバル・シャウトin後楽園”だ。メインは獄門党対決でブル中野&グリズリー岩本vsアジャ・コング&バイソン木村で改めて試合をチェックしたみた。ゴング前からブルがバイソンに対し、嫌悪感丸出しにしている。これは先日、ブルに聞いたところ「あれは私とアジャが睨み合っているのに、横から割って入ってきたからなのよ」という。つま . . . 本文を読む
「アルシオンでデビューできて本当によかったです…」という手書きのメッセージと共に江本敦子(闘牛・空)からハガキが届いた。ハガキは江本&空のダブルネーム。素顔とマスクを同じくらい使い分けしていた女子レスラーは、かつて例のない独特の存在だった。彼女が引退して1カ月半が経ったんだなぁ…
大卒で英語が話せ、ボランティア活動で世界中を旅していたという異色の経歴は、それだけでレスラーの資質が備わっていた。 . . . 本文を読む
「全女CLASSICS」の打ち合わせで、サムライTVの本社へ。打ち合わせは毎月のラインアップを決めるものだが、だいたい大枠は出来ている。今月分の放送は1990年7月の大田区大会だ。「ジャパン・グランプリ90」覇者の豊田真奈美が、ブル中野に挑戦する試合がメイン。セミではアジャとメドゥーサが、グローブマッチとストリート・ファイトを掛け合わせた内容で一騎打ち。エステル・モレノとディアボリカの全女初登場と . . . 本文を読む
リングスターの取材で井上京子に会った時の話。京子は取材があるたびに、新しいアロハ・シャツを購入して写真に納まっているという。最初、京子の着ているアロハを見て「週プロのインタビューの時と同じ服装…?」と感じたが、カメラマンがそんなことを京子から聞いたので、出来上がった写真をよく見ると確かに違うものだ。失礼しました!
NEOを退団したこと、新団体のことなどを聞きました。それも、突っ込んで聞いたつ . . . 本文を読む
目黒という街は私が二十歳で東京に住んでから、約20年間も通ったところだ。むろん全女が目黒区下目黒にあったからだが、住まいも恵比寿を皮切りに五反田、三田、白金台と移り変わっていった。恵比寿のアパートには5年間住んでいたし、五反田に至っては2カ所で都合11年間もいた。それもこれも会社が目黒にあるからである。
権ノ助坂を下り、交番を過ぎると橋を渡り左折する。行人坂という裏道もあるが、ここは日本でも有 . . . 本文を読む
某選手を取材するため武蔵小山にやって来た。かつては目黒に全女の事務所があったため、そこからほど近い武蔵小山に住んでいた女子レスラーは実に多かった。いわゆる女子プロレス・タウンである。私にとって武蔵小山は全女の直営店だった「ラ・セーヌ」というスナックが思い出されるのだ。店を新装開店したのが昭和54年の暮れだった。当時のスター選手だった赤城マリ子が夏に引退し、レフェリー&コーチの巴ゆき子さんと二枚看 . . . 本文を読む