ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

大日経の認識論

2009-11-19 16:27:46 | Weblog
神変・大乗密教の奥義書 安達駿著、文芸社刊。

大日経は密教の根本経典だと聞いたことがあったので、読んでみようと思った。
著者は仏教の大家というよりは、修行者なのだと思う。
自身で霊感体質だとも言っている。
いろいろな経験を経て、そして、たぶん派閥やしがらみがないなかで、
自身の信念によって、大日経を訳し、注釈をつけている。

きっと、いろいろと批判する人もいるだろうけど、
この姿勢こそが仏教と対するときの根本姿勢だろうと思う。
お釈迦様も、自分の言葉を鵜呑みにするのではなく、
よくよく吟味し自分の頭で考えなさい、と言っている。
大日如来が語っているという大日経にも、当然そのように対するべきだ。

いつも仏教の経典を読んでいると、言葉はシンプルなのに内容がすごく難しくて、
読み終わってみると、さっぱり理解できていなかった、ということがある。
その理由のひとつは、仏教は経典を読むだけではだめで、
「行」をして体感しないと、言葉の背景にある世界観がつかめないからだと思う。

サンスクリットの原文から、なぜこの漢字をあてて訳したのか。
また、翻訳には必ず勘違いや間違いがあるものだし、原文との距離も必然的にうまれてしまうものだ。
ただ、ありがたがって字を目で追うだけではダメで、一言一句、本気で向き合う必要がある。
そして、本当に心の底から合点がいくかどうかを絶えず自分に問う必要がある。

私はまったく霊感体質ではないから、幽霊も見たことがなければ、何かが聞こえたこともない。
それに、頭でっかちでいろいろと考えるクセがあるから、
特定の教団に入って安心しながら修行する、なんていうこともできない。
まず、与えられた課題をとことん疑ってしまうから。

直観力も優れていないので、とてもではないが、密教体質ではないと自分で思うのだけど、
でもやはり、密教にいちばん惹かれる。
私が思い描く「自然体」のイメージは、密教に対するイメージと非常に近い。
なぜだろう。