ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

水滴

2011-05-08 13:56:09 | Weblog
今朝は、夜明けから散歩をした。
このGW、すっかり引きこもったので、外へ出る予行演習。
雨が降った後の晴れの朝焼け。
もやもやっと、霧が出ていた。

日の出。



葉の上や蜘蛛の巣に雫が残っていた。

 

別に夏の高原ではないのだけれど、マイナスイオンいっぱいのような気がしてくる。
この錯覚が大切。

 

花もみずみずしい。

 

寒くもなく、暑くもなく、そして蒸し暑くもない。素晴らしい。

 

どうやら、白い花と赤紫の花ばかりを撮る傾向があることに、今気がついた。

 

白い藤が咲いていた。
花なのか、水滴なのか、渾然一体としている。



桜には実ができていた。



少し過ぎてしまったけれど、端午の節句。



公園には朝のラジオ体操を聞きながら、運動をしている人たちがいた。
なんとなく、中国の公園を思い出した。
93年当時の北京で、みんな太極拳をやっているのかと思って見に行ったら、
なんだかモダンな音楽をかけて、ウキウキ踊っている人がたくさんいた。
いまは、どんな流行なんだろう。

その点、日本人は、ラジオ体操。
私もきっとそうする。

空想癖

2011-05-07 15:52:41 | Weblog
気がつけば土曜日であった。
うっかり資源ゴミを出すのを忘れていた。

自分をオタク気質だと思うのは、こういった1週間以上の休みの間、
ある物語を考え始めるとその世界に没入して、
没入して、没入して、
外へ出ることもなく、そのなかにゆらゆらとしていられるときだ。

いまはメールというものがあるし、
昨日なんかは、平日の倍以上のメールのやりとりを、
自宅でいろんな人としたけれど、
基本的には、独りの世界を楽しんでいられる。

むかしから空想癖はひどいほうで、
小中学校のころは、まず授業など聞いていなかった。
そのわりには物書きならなかった、なれなかったわけで、
それは、ある意味で、あまりに独りよがりな空想の世界を
世間に発表するのは恥ずかしいと思う気持ちと、
あとは、物語として完成させるには、性格的に細かくないのもある。

とはいえ、いくらでも空想はしていたいわけだから、
わがままなこと極まりない。

書いた文章のレベルがどう、儲かるかどうか、というのとは別に、
なんとなくストーリーができた段階で、勝手に自分で満足してしまい、
それをビジネスレベルにブラッシュアップする気力がないというか。

ああ、だからこそ仕事としてやっていくには、編集者や他者が必要なんだよ。
と、自分のやっている仕事を少しは正統化してみたくなったりもするけれど、
垂れ流したいんなら、ブログで十分だよな。
お金をいただくわけでもないし、気楽でいい。
などと、結局は、なんとなく堂々めぐりになる。

こんなとき、スポーツ選手はやはりスゴいと思う。
数年前、熱狂的なファンだったサッカー選手が昨晩の夢に出て来た。
代表を引退してから、どうやら顔つきが変わったのね、と思っている夢だった。
最近、サッカーは代表戦以外を見ていないので、
どうしていらっしゃるのかよくわからないけれど、
改めて、すごい人なんだなあと思う。

うつらうつら

2011-05-06 17:41:53 | Weblog
昨晩ひさしぶりにお米を炊いた。
お米のとぎ汁をズッキーニちゃんにあげたら、今日はますます元気。
天然の食物連鎖というか、人の営みが自然のサイクルにあってたころの真似をすると、
いろいろといいことがある。

一番合理的な生活をしていたのは、文明開化よりも前だったのじゃないかとも思う。
この100年あまりの日本の生活の変化は、
世界の流れの中で必然性があったと思うし、
実際に他国へ行って、あまりにも潔癖な日本人の反応を見ると、
もう、もとには戻れないとも思うのだけれど。
私も、92年にはじめて中国へ行くまでは、本当に本当にいまから考えると驚くくらい潔癖だったしなあ。

さて、ここ数日、家に引きこもりながら、ある物語の世界に入っていた。
その世界が好きかどうかではなくて、とにかく入っていた。
たぶん、GWの残りも、このまま入り続ける。

ここ数日、物語の世界に入りつつも、
作業部屋の外をときたま走る近所の子どもの声を聞いていた。
バタバタ走る音はうるさいし、子どもは奇声を発する。唐突だしうるさい。
思わず苦情を言おうかと思ってしまうが、
一日に数回だし、それぞれ短いから、そのまま受け止めることにした。

そしてふと思い出した。
GW前の朝、その子どもが登校するときにバッタリと顔をあわせた。
ランドセルを背負った男の子で、割合に美形、しかも賢そうな顔をしていた。
たぶん、運動神経もそこそこいい。モテるタイプだ。
瞬時にそれを見分けたので、「おはようございます」と声をかけた。
すると、きちんと「おはようございます」と返事をしてくれた。
ただ、「苦虫を潰したような顔」をしていて、
会話の前後、しきりにお母さんを呼んでいた。
お母さんは、学校まで送って行くようだった。

うちから学校までは、どれだけ牛歩をしても、たぶん5分でついてしまう。
そんな距離だったので、私は小さいころ、寄り道ができず不満だったのだけれど、
彼にとっては、その道のりが非常に苦痛で長いもののようだった。

学校に行きたくない時はある。私はいまでも会社に行きたくないし。
そういえば、義務教育のあいだは、しぶしぶ。
高校はなんとなく。
大学は、せっかく入れてくれた親への申し訳なさから勉強だけ一生懸命。
でも、コミュニティにはあまりなじめず、だった。

きっと、学校に行くのがつらい彼は、
これから先の長い人生のうち、いつか登校や通勤が楽しいと思う時があり、
やっぱり自分は馴染めないと思う時もあるだろう。
でも、1つだけ確実に言えるのは、世界は近くなるということ。
英語だけやっとけ。文法ではなくて、会話と単語量だけあれば、なんとかなるさ。
そう。英語でなくてもいい。
外国が1つできれば、自分の生活を外から眺めることができる。

それは、島国に生まれた私たちにとって、何にもまさる財産になる。
砂漠の人が緑や水を贅沢と思うのと、同じことだ。

などと、うつらうつら考え、少し刑事コロンボのDVDを見ることにする。
あのドラマのシナリオは秀逸だ。

折り返し地点

2011-05-04 16:15:51 | Weblog
GWも折り返し地点に来ているというのに、
やろうと思っていたことの半分も終わっていない。
あまりにも誘惑が多過ぎる。

ということで、今日は外出せずに、家でなんとなく気持ちをそっち方面へもっていくことをしていた。
作業的には、少ししか進んでいないけれど、まあ、しょうがない。

で、少しだけ気分転換で、夕方、写真を撮った。

葉っぱが元気な元気なイチゴ。



ますます伸びるズッキーニの葉。



先日のポスター貼りでいただいた、お風呂用の椅子、
ひな壇をつくるのにちょうどいい。
防水だし、安定もいいし。
いま、青じそくんが乗っている。

隣家の薔薇。



少しぼーっとしたら、また続きをやろう。

いろいろがいい

2011-05-03 21:54:13 | Weblog
黄砂のせいだろうか。すっかりノドがやられている。
ここ数日はあまり声を出していないし、スポーツ観戦もしていなければ、
もちろんカラオケにも行っていない。
でもノドが全然回復しない。
本気で、回復系の魔法をとなえたいと思う。

昨晩は、新宿まで、先日選挙応援でポスター貼りを手伝った
ゲイの方がやっているお店に行ってきた。
カウンターだけのお店で、10席くらいだったろうか。
長くて細くて、ちょっと秘密基地みたいだった。

ゲイの方がカウンターに立っているからといって、
何か特別なことがあるわけではないお店。
座って、挨拶して、お酒をお願いして、
誰かが差し入れで持ってきた食べ物をいただく。

そして、10人もいれば、誰かが何か、その人なりの話をしている。
それに耳を傾ける。
まったく「いろもの」ではなくて、人と人とのつながりがある。
危険なこともなければ、誰であっても疎外感を味わうことがない。
そこには、ただ「自分なりに過ごす時間」が流れている。

35歳くらいまでは、男らしい女性が最強だと思っていた。
でも、35歳を過ぎたら、女の素質をもった男性が最強だと思うようになってきた。
ものごとを見つめるには、多角的な目が必要だから、
単なる男性、単なる女性も、もちろんいいのだけれど、
そうではない人のほうが、「面白い」ことも多い。

中年になってからの、女性の体力の低下は著しい。
いくら男らしい決断力と行動力を持っていても、体力が追いつかなくなる。
40歳からの約20年は、体力という意味で、
男女の違いがいちばん大きくなる時期なのかもしれない。
でも、もともとが男性であれば、体力は男性並みなわけだから、
それで女らしさをもっていたら、それはもう、
「お願いします。思い切りやっちゃってください」と、同じ女性として脱帽する感じだ。

社会での発言力を一番持つ中年の時期、単一のおじさん集団の社会だったのが
これまでの日本。
でも、それで行き詰まっているいま、
ゲイのみなさんには、もっと頑張っていただきたいと思う。
きっと「原発がなければ経済が成り立たない」なんていうのと、まったく違う発想が出てくる。

手裏剣

2011-05-02 12:54:12 | Weblog
昨晩の夢は、手裏剣の実演を見る、というものだった。
観客は多くなく、私と友人数名。

忍者の格好をした人が池のほとりに立っていて、
池の中に立てられている様々な的を、手裏剣で射止めていく、というもの。

遠くの的にあてるとき、低くて近いところにある的にあてるとき、
手裏剣の握り方や腕の振り方など、それぞれ違う。
いずれも軽やかで無駄な動きがない。

「いよっ、さすが日本の技!」
とかなんとか言っているうちに、ふと、
「手裏剣って、ショウリージエンってことだったんだ~」と叫んでしまった。

中国語で「裏」というと、ウラメンではなくて、「なか」「うちがわ」という意味。
だから、手裏剣は、手で握れる、手で隠れるくらいの剣ということ。
「ショウリージエン(Shou3 li3 jian4)なんだよ! そうなんだよ~!」と、
中国語で発音しながら、大発見とばかりに隣にいた友人を揺さぶっていた。
その友人は、中国語を話す人だったので、「ふんふん」と付き合ってくれたのだが、
まったく夢の中でまですまない。

別に大発見でもなんでもないんだけれど、なんだか興奮する夢だった。

そして目が覚めたら、家の外はまっ黄色。
黄砂、大量に飛来中。

好悪

2011-05-02 01:20:22 | Weblog
やっぱり好き嫌いで判断する。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、
最初に聞いたのがいつかを覚えていないくらい昔から聞いている。

いろいろな人が弾いている演奏を、
生やレコードやCDで聞いて、
やはりラフマニノフ本人の音源が、一番だと思った。

私のイメージどおりに弾いていたのは、ラフマニノフ本人だった。
これは、後付けだか、最初からそう思っていたのかはわからない。

そのくらいこの曲が好きで、ラフマニノフが好きで、
本人が生きていたら、ロシアだろうがアメリカだろうが、
追っかけに走っただろうと思う。

だから、ラフマニノフについては、他の人と話したいとあまり思わない。
あまりにも思い入れが強いから、話し相手を徹底的に攻撃してしまうかもしれない。

多くの人が愛するがゆえに、
自分らしさを出したいと思って、
あまりにも自己流で弾いている演奏を聞くと、
いやいや、それは他でやってくれ、と思ってしまう。

絵も音楽も、映画も演劇も、そして文章も、やはり最後は好みだ。
どうしても興味が持てない文章と向き合っていると、やはり集中できない。

でもそれが、
とてもきれいにコーティングされている文章が、
いったい何を隠蔽しているかを考えると、少しだけ楽しめる。

でも、ほんの少しだけしか、やはり楽しめない。