<M>を知るための案内書を読んだら
よけい迷子になりそう・・・
迷子になったら、迷子センターに行こう
お兄さんが優しくしてくれるかも・・・
<過去記事>
夢の迷路を旅する観客のための案内書
2007.10.23 翻訳サイト使用
http://hanimovie.cine21.com/Articles/article_view.php?mm=009007000&article_id=15069
夢の迷路あるいは記憶のサーカス、が釜山(プサン)国際映画祭で国内初めて顔を見せた。 <刑事Duelist>に続き、映画と愛のイ・ミョンセの夢を見せる。 前作よりさらに派手な視聴覚的要素の実験があふれていて、時にこの夢と記憶の中で観客は迷うことがある。 だが、夢にも構造があると誰かが言っていたではないか。 それでは私たちにも構造を理解するための夢合わせも一つくらい必要でないだろうか? 製作過程で注目すべき五つの項目で解説をしてみる。
1.ストーリーやプロット
<M>の話の作りは迷路になっている。 話が複雑なのではなく単純な話を解く方法が光る。 男女のつらい愛と離別に関する話だが映画は線形的な手順で説明するのを拒否する。 監督の話によればこの映画は“感情を開いて見なければ”という映画だ。 一冊の人気小説を発表した若い作家であるミヌ(カン・ドンウォン)は誰かが自身を常に監視しているような感じを受ける。 病院にも行ってみるが医師は単に妄想と片付ける。 果たしてそうか。 ミヌは自身を見つめる視線の主が初恋の人、しかし今は幽霊になっているミミ(イ・ヨニ)という事実を知ることになる。 それをどのように知ることになったのかはよく説明されないが、ミヌは夢なのか現実なのかあるいは彼が今書こうと悩む小説の構想なのか分からない。いろいろな場所で度々ミミにあう。 現実の中のミヌのフィアンセウネ(コン・ヒョジン)はミヌが変になっていることを感じるが境界の崩れは現実でもまもなく起きる。
夢と記憶に迷う人物が主人公なので、彼の混乱を見ている私たちもまた今どのあたりにいるのか分からない。 それは映画が求めるものでもある。 代わりにいくつかの場面に注目することが重要だ。 自身が記憶の錯覚に陥っていることを感じるミヌは映画の中で、ミミに会って初めて対話したルパンバーを繰り返し探すことになる。この場面は映画の中でずっと同じショットで繰り返されている。 あるいはフィアンセウネがミヌにコーヒーを持ってくる場面で時間はめまぐるしく変わり、現実にも影響を及ぼす。 そしてミヌと彼に小説の執筆を勧める編集長との酒の席でやり取りしたセリフと行動がどのように変奏されるのかも注目すること。
2.演技やキャラクター
単純なストーリーに複雑なプロットという中で俳優はどんな演技をしなければならないのか。 カン・ドンウォンのファンたちはをどんな映画だと思うだろうか。 <刑事…>のように彼の美貌が神秘にだけ包まれていることを期待するなら失望であり、カン・ドンウォンが変則的な演技をこなすことができる俳優ということを見守ることができるならば嬉しいかもしれない。 監督は主人公カン・ドンウォンを神秘の風呂敷で包む代わりに精神分裂に近いセリフと姿で歩き回るようにする。 ミヌは良い雰囲気でハンサムなだけでなく喜劇的で気難しい姿を持ったピエロになったりする。 あたかも<男はつらい>の男たちが全てミヌのからだに入ったように彼は多重的だ。 反面ミミは? あるいはミミを演技するイ・ヨニはどうでなければならなかったのだろうか。 ミミあるいはイ・ヨニはあまりにも純真すぎてかえって超現実的に見える。イ・ミョンセの中の初恋のタイプを繰り返している。 衣装も映画ではずっと一着だ。 最も大変だった場面は、イ・ヨニは死神に引きずられないように闇の中で一人でじたばたする場面を挙げる。 言ってみれば、キム・ヘス、チェ・ジンシルが各々<初恋> <私の愛私の花嫁>で見せた、美しくて優しいが揺れる初恋の純潔なその女性像だ。 あるいは<刑事…>の、ナムスン(ハ・ジウォン)とまともに重なる。
コン・ヒョジンが引き受けたウネが最も正常だ。 だが、皆が分裂になっている時一人で正常なリズムを守らなければならないのがやさしいと言えるだろうか。 ウネ役はコン・ヒョジンの先天的な演技力のおかげでミヌとミミという強い役割の間でもどことなく奥ゆかしく生き残っている。
つづく