ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

東京タワーとバラ

2017年05月10日 23時25分08秒 | 訪問地周辺散策

二か月に1回タワーの下にある会社の食堂を訪問しています。約束時間の少し前にタワーに到着し周辺を散策しています。今回はちょうどバラが見ごろになっていたので、撮ってきました。

★ランドマーク東京タワー:1958年(昭和33年)に開業した総合電波塔。高さ150mの大展望台、250mの特別展望台、塔脚下の商業ビル「フットタウン」からなる。山手線のほぼ中央に位置し、年中無休の展望台からは東京の立体感溢れる景観を堪能できる。平成元年からスタートしたライトアップ「ランドマークライト」と開業50周年を機にスタートした「ダイヤモンドヴェール」は季節やイベントに応じて様々に色を変え、東京の夜を彩っている。
「フットタウン」には水族館などのアミューズメント施設やカフェ・レストラン、グッズショップなどが充実する、1日中楽しめる。(東京の観光公式サイトGO TOKYOより)

以前は何回か内部や展望台に昇ったことがありました。

フジテレビタワープラザでサテライトスタジオで先代林家三平さんを見たり、3回にあった蝋人形館やトリックアートギャラリーを見学した覚えがあります。

ちょっと曇っていたのが残念ですがいい香りもしていました。

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大道寺・青梅天満宮・清龍神社(館林市)

2016年11月06日 11時08分47秒 | 訪問地周辺散策

これは2015年11月、1回目の手術の後、職場に復帰し、館林まで仕事で出かけた時の写真をもとに作ったブログに少し写真や説明を加えたものです。

2015年11月、久しぶりに本来のランドマーク探しになりました。館林有る施設に3年ぶりの訪問となりました。前回は館林の手前にある茂林寺によって狸さんをたくさん見てきましたが、今回は駅と施設の間だけの散策となりました。

前回寄った駅前にあるうどん屋さんはお客さんが並んでいたのであきらめました。市役所に向かう道をあるいていると駐車場の奥にお寺が見えたので寄ってみました。

浄土宗の大道寺です。 

★ランドマーク大道寺大道寺は江戸時代は、同じ浄土宗の善導寺の寺務を行う役寺で、明治時代に善導寺より独立しました。境内には、国学者で元館林藩主だった生田萬(いくたよろず)の父祖の墓や田山花袋の算術の師であった戸泉鋼作(といずみこうさく)の墓などがあります。 (館林市のHPより)山門です。

地蔵尊は山門を入った右手にありました。

本堂

生田萬祖父の墓がありました。

青梅天満宮です。

食事処を探しながら歩いていると神社がありました。日本四社と書かれていたので家で調べてみるとこんなことがわかりました。

館林市のHPには「時の左大臣藤原時平の陰謀によって、菅原道真は大宰府に左遷させられてしまいましたが、その際道真は「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠い、4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです。その4箇所とは花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県)で、それぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています。」と書かれていました。

これでは飛梅伝説とも日本三大天神「各地の天満宮のうち、特に道真と関係が深いという太宰府・北野の二つに、天満宮の中で最も古い歴史を持つ山口県の防府あるいは天神祭で有名な大阪などを入れた三つの天満宮が日本三大天神と呼ばれる。」とも違うのでちょっと戸惑いました。青梅神社は館林市のふるさと自慢百選に選ばれているようです。

 群馬県館林市観光・旅行見所ナビhttp://www.guntabi.com/tatebayasi/seiryu.htmlには

★ランドマーク青梅天満宮青梅天満宮青梅天満宮の創建は不詳ですが次ぎのような伝承が残っています。延喜元年(901)、藤原氏などの有力貴族との政争に敗れた菅原道真が大宰府に左遷させられました。道真は都を去る際「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」(私が都を離れても、梅の精霊よ、春には私を思い出しておくれ、そして、お前の匂いを春風に乗せて私の所まで届けてほしい。※私訳)と詠い4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです(一般的な飛梅伝説は道真邸の庭木が左遷を悲しみ、梅の木は道真を追って大宰府に飛び、松の木は摂津国八部郡板宿(現在の兵庫県神戸市須磨区板宿町)で力尽き、桜の木は悲しみの果て枯れ果てたと伝えられています)。その4箇所とは花久里梅(島根県松江市:菅原天満宮※鼻繰梅)、飛梅(福岡県福岡市:太宰府天満宮)、四季梅(香川県高松市:綱敷天満神社※五色梅)、青梅(群馬県館林市:青梅天満宮)でそれぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています(ただし、他社の由緒書等を見てもこのような伝承は見当たらず当社のみに伝わっているようです。因みに、大宰府の飛梅は上記の伝説。鼻繰梅は道真が幼少の頃、梅の実に穴を開け遊んでいたものが芽を出した。五色梅は道真と親交があった久利長門守が大宰府の飛梅の種を持ち帰って植えたと伝えられています)。谷越商店街から路地に入ると鳥居の前の石碑に"日本四社 青梅天満宮"と刻まれ、その奥には朱色に塗られた神門が建っています。神門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚門。拝殿は入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造。と書かれていました。

拝殿菅公一千祭の記念碑などがありました。

訪問施設からの帰りは少し先まで行ってみました。

外池商店です。「屋号は和泉屋(いずみや)といい、江戸時代中期、近江の国(滋賀県)から移り込み、造り酒屋を営んでいましたが、明治33年には味噌、醤油の製造業に変わり、現在は酒の小売業を行っています。現在の店舗は、昭和4年に建てられたもので、毛塚記念館と同様町屋の特徴を備えています。敷地内にある蔵は、百々歳蔵と名付けられ、コンサートなど文化活動を行うことができるホールとして使用されています。」(館林市のHPより)

本当はこの先にあるはずの日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名の田中 正造(たなか しょうぞう)の記念館行くつもりでしたが案内が出ていなかったのであきらめました。(写真はウイキペディアより)

駅に戻る途中で清龍神社と井戸に出合いました。

★ランドマーク清龍神社清龍神社は江戸時代、この周辺には福寿院というお寺があり、その境内に青龍の井戸はありました。伝説では、第六代館林城主の徳川綱吉公の時代に、突然、清水が吹きあがり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになりました。」

と館林市のHP「歴史の小径~歴史薫る散策路~」に書かれています。

駅に戻ると3年前とは全く違った広場が出現しておりこんなものがありました。

今年は駅前で分福の狸さんに会えました。

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熊本城・水前寺公園

2016年04月24日 10時02分02秒 | 訪問地周辺散策

熊本地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 

熊本には2011年、2012年、2014年のいずれも秋に、仕事で訪問しています。仕事の合間に熊本城や水前寺公園に行き散策してきましたので、当時の写真を集めてみました。

熊本城です地震の時の録画でライトアップした熊本城から土煙が上がっていました。後日瓦が崩れたときの土煙とわかりました。ライトアップされていた熊本城です。

満月夜でした。

宇土櫓です。あまり破損しなかったと報道がありました。

 

熊本と言えばこの人です。城が見える公園にあります。

櫓と石垣が壊れた無残な絵が写っていましたが、当時はこんなようになっていました。

重要文化財の櫓です。

武者返しの石垣でしょうか。

こちらは不開門です。

櫓に囲まれたところに六地蔵憧が立っていました。

 

大イチョウです。

熊本城の別名が「銀杏城」と呼ばれる由来の樹

熊本城は別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」といい、その名前はこの大銀杏に由来します。清正(きよまさ)公が築城の際にお手植えになったと伝えられ、また、清正が亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが、残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長したのです。

 

 

旅客機で行く時はいつも窓側を取ってもらっていました。阿蘇山の上空です。南阿蘇の災害現場は写っているでしょうか。

熊本行で富士山の上空で撮りました。

熊本市から佐賀市に行くので、九州新幹線にも乗りました。

熊本駅です。

 

 

 

 

水前寺公園は2012年10月に行ってきました。⑩の方面から撮っています。湧水池と⑥富士山です。

出水神社です。①表参道の鳥居です。参道商店街の入り口にある鳥居が壊れてたという報道がありましたが、こちらは残っているでしょうか。

②出水神社本殿

五葉の松です。

⑪細川忠利公の像ともありました。

④の所から撮っています。とにかく水がきれいだったのを覚えています。この水が無くなってしまったとの報道もありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160422-00010016-nishinp-soci

4月22日の西日本新聞に干上がった写真が載っていました。

ここから江津湖にそそぐ川を下っていきました。

彼岸花とキアゲハです。

彼岸花の咲くころには、穏やかな風景になっていることを祈願しています。

 

 

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病院生活Ⅳ・コブシの花

2016年03月11日 21時03分06秒 | 訪問地周辺散策

長い病院生活になりました。6月19日に御茶ノ水の三楽病院に入院して、6月22日に腰部脊柱管狭窄症の手術、7月7日に東京都リハビリテーション病院に転院9月18日に退院しました。10月11月と職場復帰しましたが、12月になって急激に歩けなくなり、15日に救急で三楽病院で受診、17日に入院で12月28日に胸椎黄色靭帯骨化症の手術、1月20日に再度東京都リハビリテーション病院に転院しました。3月11日現在まだ入院中です。一時帰宅してPCに向かっています。リハビリテーションの玄関脇にあるコブシの花が咲き始まました。3月3日の写真です。

こちらは3月8日のものです。

リハビリ室からスロープで外に出て撮ったものです。

スロープは外に取り付けてあり、坂道を歩く練習をします。

時々鳩がとまっています。

眺めは

墨田防災団地越しに見える東京スカイツリーです。

面前空き地の向こうに木母寺が見えます。

歩行訓練で歩行アシストという器具を使っています。

病院内ではリハビリ室での訓練以外に朝夕自主トレも行います。私は朝の6時30分からと午後の4時40分からと決めて病棟内を歩いています。朝の自主トレでは時々食堂の窓越しに富士山が見えます。

すぐ下は隅田川になっています。高速道路と護岸の間からゆりかもめが見えます。

玄関に出たら赤い梅の花が咲いていました。

コブシの花の下にネコさんがいました。

自主トレの後はコーヒータイムです。

団地に一時帰宅したらまだ沈丁花が咲いて、匂っていました。

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富士山と大阪日帰り出張

2015年11月27日 23時17分07秒 | 訪問地周辺散策

大阪で会議があるので、日帰りで行ってきました。新幹線の指定席はE座席を取っていただき、富士山が撮れるようにしています。この日は天候がよく富士山がよく見えました。小田原の手前で見える富士山は雲がなくきれいに見えました。

三島から新富士までの間で良く見えるのですが、この時はうす雲が少し邪魔をしていました。

大阪では散策できずに、会場に直行しました。

大阪の街路樹のイチョウももう少しで黄色くなるようです。

北心斎橋商店街通りです。

前日は船橋にある「うたごえライブハウスゴリ」に出かけ6か月ぶりに歌ってきました。

木曜日でしたが、まずまずの入りで楽しく歌えました。

 

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