ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

御茶ノ水・烏森神社

2015年09月29日 21時00分25秒 | 身辺出来事

手術した病院に退院後初めて行ってきました。順調回復していると、執刀医ににこにこして言われました。まだしびれて大変だといいましたが、少し時間かかりますと言われました。また、3か月間着けていた硬質のプラスチック製のコルセットは外してよいと言われ、圧迫感から解放されます。

行きは御茶ノ水の階段が大変なので、水道橋からタクシーでしたが、帰りは思い切って、二本杖にして歩いてみました。歩くといろいろなものが見えます。駅前の交番の隣のこんなものがありました。水が出ていましたがこれはお茶には使えません。「東都御茶の水」(歌川広重作)。石碑にいわれが書いてありました。

『聖堂の西比井名水にてお茶の水にもめしあげられたり神田川掘割の時ふちになりて水際に形残る 享保十四年 江戸川拡張の後川幅を広げられし時 川の中になりて 今その形もなし (再校 江戸砂子 より)

 慶長の昔、この邊り神田山の麓に 高林寺という禅寺があった ある時 寺の庭より良い水がわき出るので 将軍秀忠公に差し上げたところ お茶に用いられて大変良い水だとお褒め の言葉を戴いた。それから毎日 この水を差し上げる様になり この寺をお茶の水高林寺と呼ばれ、この邊りをお茶の水と云うようになった。
  其の後、茗渓又小赤壁と稱して 文人墨客が風流を楽しむ景勝の地となった。時代の変遷と共に失われ行くその風景を惜しみ心ある人達がこの碑を建てた。
   お茶の水保勝会 坂内熊治   高林寺    田中良彰   昭和三十二年九月九日』

御茶ノ水から水道橋経由で内幸町から会社に行きました。

会社の帰りも思い切って新橋駅まで歩いてみることにしました。駅前は古本市をやっていました。それに見とれて駅まで行ってしまいましたが、久しぶりに歩いているので烏森神社に寄ってみることにしました。

都会の一等地にある神社は大変です。参道もこうなっています。右手前の角には焼き鳥屋さんがあります。結構参拝客がいました。由緒書きです。本殿

5年間通っている会社に行くには新橋駅から、神社の前の小路を抜けて行きます。

家に帰って3か月お世話になったコルセットを外しました。

28日は会社に行きましたが内幸町から水道橋経由で帰りました。ほぼ半日会社にいて疲れて帰ってきたら、夕日が特にまぶしく感じられました。スーパームーンということでこれも疲れた体に鞭打って、リハビリと思って階段を昇ってベランダに出て見ました。雲がありましたがどうやら丸く見えました。

コメント
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