堀切菖蒲園は前から気になっていた施設でしたが、朝のNHKTVで紹介していたので、思い切って自転車出かけてみました。距離は6㎞弱ですが荒川があるので橋を渡らなければなりません。
木下川橋です。
下は荒川(荒川放水路)です。
会場入り口、
歌川広重 初代
★ランドマーク堀切菖蒲園:敷地面積約7700平方メートル、花菖蒲200種6000株
堀切の花菖蒲(ハナショウブ)は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は安藤広重や歌川豊国らの錦絵の題材にもなっています。
一説には室町時代からこの美しい花に魅せられた当時の地頭久保寺胤夫が奥州郡山附近の安積沼から種子を持って来て自邸に培養を始めたとも、また一説には、寛文・延宝(1661~1680)、堀切村の小高伊左衛門が全国各地の花菖蒲を収集し、庭に植えたのが始めともいわれ、その後、本所の旗本万年録三郎から当時の逸品として知られた「十二一単」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を譲りうけ繁殖させたことから、現在まで堀切と菖蒲は切っても切れない間柄となっているのだそうです。
堀切には元々多くの菖蒲園が存在していました。最初の菖蒲園は、江戸末期に開園した小高園、そして明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などの菖蒲園が開園しました。堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、歌川広重・鈴木春信など著名な絵師による浮世絵にも描かれています。
また明治には、「東京遊行期(明治39)」「東京近郊名所図絵(明治43)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され、全盛期は明治中期から大正末期だといわれています。しかし残念ながら時代の流れとともにそのほとんどが閉園や廃園、菖蒲園は宅地へとその姿を代えていきました。
堀切菖蒲園」は元の「堀切園」を改称したもので、昭和34年5月東京都に買収され、翌年6月1日から「東京都立堀切菖蒲園」として公開されました。
その後、昭和50年4月その管理を葛飾区に移管し、今日では「葛飾区指定史跡 堀切菖蒲園」として整備、菖蒲の咲き誇る毎年6月には、近隣住民だけでなく遠くからも、あでやかなその花を愛でるために人々が集まってくるのです。
1年目から徐々に株が大きくなるようです。
鉢植えから
とにかくたくさん咲いているので、どのように写真を撮るのか迷ってしまいました。
最初は全体の風景を撮りました。いっぱいのお客さんが来ているということを。
よく見るとそれぞれの品種が書いてあるのでこれを撮ってみようと思いました。
菖蒲の基本は紫と思っていますが、単純な紫はあまりまりません。
。。
それと白です。
これがうまく混じったこの花がいくつかありましたが、なかなか良かったです。
その他にもこんな色の花がありました。
ところで花菖蒲、アヤメ、カキツバタという花の区別がつきませんでしたがこんな解説がありました。
★花菖蒲、アヤメ、カキツバタ:花菖蒲は湿地や乾地どちらにも適応しているのに対して、アヤメは乾地、カキツバタは低湿地や池沼を好みます。
開花期も花菖蒲は5月下旬~6月、アヤメ5月上~中旬、カキツバタ5月上~下旬と微妙な違いがあり、花の開き方も三英咲のみのアヤメとカキツバタより、六英咲という種類もある花菖蒲はより華やかな印象を持つ花であるとのことです。
そして、花菖蒲には大きく分けて「江戸系」「肥後系」「伊勢系」があり、また明治時代に日本から観賞用に輸出され品種改良された「欧米系」という品種も存在します。
「江戸系」は、江戸初期から堀切を中心に改良された品種群で、花でありながらも江戸っ子らしくしっかりとした花弁と粋な雰囲気を持ち、一輪で楽しむいうよりは群生させて全体の色合いを楽しむところにその魅力があるといわれているそうです。
安藤広重の浮世絵にも、堀切一帯には「江戸系」の花菖蒲が群生していたことを物語る作品が残っており、絵画としての価値だけでなく当時の花菖蒲の流行を知る上で貴重な資料となっているのです。
ちなみに「肥後系」はさらに「江戸系」の品種改良種で、とても大きな花を咲かせることで、花菖蒲の女王とも呼ばれます。歌川 広重 2代
★菖蒲湯:端午の節句に菖蒲湯に使われる菖蒲は、この花菖蒲とはまったく別なサトイモ科の植物だそうです。
歌川 国貞 初代
江戸時代の古地図にも堀切村「此辺花畑多し、花菖蒲開花寺、見物人出る勝地なり」と書いてあります。
こちらは百合の花でしょうか。
こんな碑があります。
アジサイも少し咲いていました。
こちらは萩のトンネル
萩の花が一枝だけ咲いていました。