ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新大橋(新大橋三流)江戸名所図会めぐり

2018年07月04日 23時30分53秒 | 江戸名所図会めぐり

何度も新大橋は渡っているのですが江戸名所図会に描かれているのを知らずにいました。江戸名所図会より

キャプション

山もありまた船もあり川もあり数はひとふたみつまたの景 半井卜養

この絵をみて流れが分かれているところはどこかと探してみました。上流の川岸に降りてみました。

川が交差しているのは小名木川と隅田川しかありませんでした。由来にはもともとの橋は下流にあったと書かれています。

★ランドマーク新大橋: 新大橋は、元禄6年(1693)12月7日に現在地よりやや下流に、はじめて木の橋が架けられた。両国橋が、万治2年(1659)に架けられて、その当時「大橋」と呼ばれていたので、その下流に新しく架けられたこの橋を「新大橋」と称した。その頃、新大橋近くの深川に住んでいた俳人松尾芭蕉は、新大橋架橋を喜んで次の句をよんだ。

  初雪やかけがかりたる橋の上 

  有難やいただいて踏む橋の霜

 以来、新大橋はたびたび架けかえられたが、明治45年(1912)2月19日、現在位置に鉄橋の新大橋が誕生した。この鉄の橋は、関東大震災(1923)および太平洋戦争の大空襲(1945)にも耐え、橋上において多くの人の命が助かったため、「人助けの橋」といわれるようになった。その鉄橋は、六十有余年の間、道路橋としての使命を十分に果たして、昭和52年(1977)3月27日、現在の橋に架けかえられた。なお、その鉄橋の一部は、愛知県犬山市の「明治村」に保存されている。

中央区側に渡って見ます。左手に見えるのが小名木川です。先の橋は清洲橋になっています。

ただ、江戸名所図会では富士山も見えています。わたし彩(いろ)の江戸名所図会おとなの塗り絵より

そして左手に見える橋は永代橋になっていました。

ということで翌日も一度訪れてみました。どうも右手の川は埋め立てられて上が高速道路となっているようです。

昨日は船の所から撮っていいました。

この部分は中洲とありました。よく理解できませんでしたが、右手に水門のようなものがありますがここが川の出入り口だったようです。正面に見えるところが洲だったようです。清洲橋の下流が永代橋になります。

。。古地図です。清洲橋は田安殿から松平常陸と書かれているところあたりになるのでしょうか。

昨年撮った永代橋です。江戸名所図会に描かれている永代橋です。

昨日は図会の橋はすっかり清洲橋だと思い撮ってました。

こちらは小名木川の河口から昨年撮ったものです。

出口の右手のところに芭蕉庵の跡です。

川沿いの遊歩道には芭蕉の句碑があります。

 

 

 

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