ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

志演尊空神社・妙久寺(大鵬関墓地)(江東区北砂)

2017年06月20日 22時19分13秒 | 社寺仏閣

ICレコーダーが壊れたので修理に北砂7丁目にある代理店まで行ってきました。境川というバス停の近くに気になるところがあったので行ってみました。

清洲橋通りと明治通りが交差するところで清澄橋通りに面して明治通りから見て手前が志演尊空神社で奥が妙久寺でした。

由緒書きがありましたがよく読めません。

★ランドマーク志演尊空神社:寛永元年、深川郷唐島開発の際当地に訪れた菅原長寛が村民の要請を受けて稲荷大神を鎮座して深川稲荷と社号を称し、土地の氏神としてあがめた。 元禄年間、時の将軍徳川綱吉がお鷹狩りの途中で当社に参拝に立ち寄られ「民の志を演ぶる事殊勝なり」と賞して社名を志演神社と改名せられた。 又正徳2年の夏、当地に伝染病が流行し死者が多数に及んだ時、当社五代目別当、菅原快円が病魔退散と天下泰平、五穀成就を祈念して柴燈大護摩を焚いたとこと病は止まりこれによって毎年5月22日の祭礼を執行した。当時の人々は「ごまの稲荷」と当社を呼んだ。これは古文書「東の都歳時記」に日本の三護摩として記載されている。尊空親王は伏見邦頼親王の御子にして寛文3年12月関東に下向、深川五本松にて隠棲される。 親王死去の後、村民その徳を敬慕して邸跡に小祠を建てて村の鎮守としてあがめ奉る。その後松平伊豆守抱屋敷内に祠れる稲荷大神を社殿と共に村内に寄附され、社名を尊空稲荷神社と称した。 昭和20年3月9日の戦災により両者焼失。 昭和22年3月志演神社と尊空稲荷神社を合祀して社名を志演尊空神社と改名す。拝殿

と鳥居

この石造鳥居(昭和3年在銘)と石造燈籠(明治39年在銘)一対は江東区登録文化財です。水盤(文政11年在銘)も登録有形文化財です。手水舎

こちらは力石力石(寛文4年在銘)有形民俗文化財

砂村は促成栽培の発祥地だそうです。境内にはアジサイが咲いていました。

石田波郷宅跡があり隣が

妙久寺でした。

妙久寺山門本堂

★ランドマーク妙久寺:天霊山妙久寺は、日蓮宗の寺。境内に石田波郷(いしだはきょう)の「はこべらや焦土の色の雀ども」の句碑もあります。日領上人の創建。第48代横綱大鵬幸喜の墓があることにも注目。大鵬は生前の平成20年にこの寺を墓所と決めていたそうです。(平成25年1月19日没)。

「はこべらや焦土の色の雀ども」波郷の句碑です。

第48代横綱大鵬幸喜の墓

法華経供養塔 享保3年在銘・享保14年在銘

馬頭観世音供養塔 昭和3年在銘

百度石と同じでしょうか

百万遍と書いてあります。

墓石です。墓石には古い年号が刻んでありました。

戦災受難者供養碑1945年3月10日の東京大空襲では多くの人がなくなっていますので、江東区の寺院ではどこでも戦災受難者の碑や塔があります。

帰りがけに横十間川で京葉道路に架かる橋の上から南を見ると火災の煙が押し寄せていました。

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