ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

和歌山城と梅

2014年02月19日 22時28分41秒 | 訪問地周辺散策

和歌山には3年連続での訪問となりました。訪問先が和歌山城の目の前にあるので、とりあえず和歌山城という感じになっています。

大手門と一の橋、バス停の公園前で降りるとここから入ります。

橋から濠をみていると鴨が2羽近づいてきました。橋の近くでゆったりしていました。一の橋から入るとすぐのところに

天然記念物の大樟樹があります。

和歌山城は、市のHPによると、こんもりと緑茂る虎伏山(とらふすやま)に白亜の天守閣がそびえ、御三家の威容にふさわしい風格を醸し出しています。
和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)でした。
まず、秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(あさのよしなが)が入城。
そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。
和歌山城の石垣には、紀州特産の青石(緑泥片岩)が多く使われ、たしかに和歌山に来たことを実感させてくれます。と書かれています。

これは御橋廊下です。江戸時代には藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋で、屋根を設け、外からは見えないつくりになっていました。斜めに架かる橋としては、全国的にも珍しい構造です。
約11度の角度で斜めになっているため、滑り止めのために段差がつけられています。渡りましたがすごく歩きにくかったです。左側の公園に数本の梅の木が植えてあり、少し咲いていました。黄色と白とピンクのうめの花と城です。天守の下の庭には梅干しの梅の木として有名な種類の梅の木が植えてありました。南高梅は、梅の品種のひとつで、主たる生産地が和歌山県の白梅で、その果実は最高級品だそうです。2006年10月27日には地域団体商制度の認定第一弾として、南高梅は地域ブランドとして認定されています。

江戸時代、和歌山城は別名「虎伏竹垣城」と呼ばれました。
これは、和歌山城の建つ山が虎の伏した姿に似ていたためと言われています。
この像は、和歌山城の別名にちなんで、昭和三十四年に作られました。
(現在の像は二代目にあたり、初代の像は銅製であった為、第二次大戦中、供出させました。)。

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