ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

青山善光寺

2014年03月19日 22時41分16秒 | 訪問地周辺散策

外苑前にある施設を訪問しました。虎ノ門から銀座線に乗って一つ先の表参道まで行き、周辺を散策しました。

最初に出合ったのが秋葉神社でした。秋葉神社:1824年紀伊国屋文左衛門が深川に隠栖の後、歓請したという秋葉神社が表参道入り口に移転してきたものです。

境内掲示より:当神社は金王八幡宮の域外末社と称せられた。文政十年(一八二七)六月の創立といわれ、昔は青山善光寺境内で鎮守本社として奉祭したが、明治維新後、神仏判然の別により同寺院より分割された。祭神は稲荷大神・秋葉大神・御嶽大神(木曽の御嶽)三神を奉斎するがゆえに三社さまとも、また秋葉神社とも俗称する。青山の鎮守としてもっぱら火防神として尊崇されている。とされています。その青山善光寺は隣にありました。

青山表通商店会のPHより:善光寺の建立は、慶長6年、信州善光寺大本願上人の宿院にして、浄土宗の尼寺でした。
善光寺第109世が、家康公に請願し江戸谷中に7500坪 の地を寄付されたので、初めて迦藍の建立が実現しました。しかし、元禄16年11月29日に小石川水戸邸から発した大火により、消失しましたが寛永2年に心誉知善上人(享保12年7月21日没)が現在の地に、間口75間、奥行100間の地を授かり、新たに堂宇を建営してその年の12月に完成しました。
そして、文永2年12月5日、また火災に遭い再建はしたものの大正4年9月に再建し、同9年5月に落成を告げるまで元来の姿でした。この時再建したものが現在の迦藍です。本道前の広場は江戸時代から、かなり大きな建物であったことが伺い知ることが出来るでしょう。 善光寺の建立は、慶長6年、信州善光寺大本願上人の宿院にして、浄土宗の尼寺でした。
善光寺第109世が、家康公に請願し江戸谷中に7500坪 の地を寄付されたので、初めて迦藍の建立が実現しました。しかし、元禄16年11月29日に小石川水戸邸から発した大火により、消失しましたが寛永2年に心誉知善上人(享保12年7月21日没)が現在の地に、間口75間、奥行100間の地を授かり、新たに堂宇を建営してその年の12月に完成しました。
そして、文永2年12月5日、また火災に遭い再建はしたものの大正4年9月に再建し、同9年5月に落成を告げるまで元来の姿でした。この時再建したものが現在の迦藍だそうです。

梅の木の左側に墓地がありそこに入ってみたらネコさんに出合いました。なかなか美人(美男子?)のネコさんでした。ミーちゃんといいながら近づきましたが、墓地に入られてしまいました。少し興味を持ってもらいこちらを向いてくれました。

写真が撮れたので寺の方へ戻る途中に今度は熊さんネコが穏やかな顔をしていました。写真を撮っていると、向かい側でおばさんがかわいいでしょうと言っていました。

こちらは仁王門ですが、裏側には雷神と風神が昔見たとおりに姿で立っていました。

こちらは鐘楼です。

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