ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

光明寺・亀戸

2017年05月20日 23時32分04秒 | 社寺仏閣

自宅近くにある光明寺です。2015年5月5日に書いたものに2017年5月20日の写真を加えました。歌川豊国の墓がありました。

★ランドマーク光明寺:天台宗の光明寺は、亀命山遍照院と号し、弘治元年(1555)に僧慈宏が創建したと伝えられています。

この周辺には

広重に描かれた臥龍梅のあった梅屋敷、亀戸天満宮をはじめ、江戸名所図会にでてくるお寺さんなどが集まっています。今住んでいる自宅の団地は銭座跡の南にあります。

本堂

★ランドマーク歌川豊国の墓:二世歌川豊国は、天明6年(1786年)、江戸本所の竪川の五ツ目に渡し船の株を持つ材木問屋の家に生まれ、生家は亀田屋といい、父は庄兵衛といった。15、6歳で豊国の門下に入り、歌川を称し、後に国貞と名乗った。文化4年(1807年)22歳頃から美人画を描き始め、文政8年(1825年)には艶本の挿絵も始めた。文化11年から文化12年頃の「大当狂言之内」全9枚シリーズを始めとする役者絵は師をも越えた作品と評価された。とのことです。

二世豊国(国貞)の代表作「吉原時計亥の刻」です。

歌川国貞 画 『八重織の霊』

墓はこちらです。歌川豊国(国貞)墓(江東区登録文化財)

右側の歌川と書かれている墓石の中ごろに豊国院貞匠画遷信士となっているのが豊国の法名です。五渡亭の号は狂歌師の大田南畝からつけてもらったものといわれ、国貞は他の号を名乗るようになってもこの号を長く愛用しており、天保14年(1843年)まで使用していました。

竪川の五ツ目に渡し船の株を持つ材木問屋の家に生まれたことに由来しているようです。五の橋の下にというのが設置してあります。詳しくはこちらアップしてあります。

本堂の前にある水子地蔵尊

入り口の所には地蔵堂と松植紀年之碑 大正5年在銘(江東区登録文化財)こちらは3月10日の戦災受難者の碑です戦災受難者慰霊地蔵尊庚申塔 延宝4年在銘(江東区登録文化財)

水盤文化10年在銘(江東区登録文化財)1827年になります。

延命地蔵尊碑文久3年在銘(江東区登録文化財)

石造燈籠 溝口宣広奉納寛永寺旧蔵(江東区登録文化財)

延宝9年(1681年)となっています

裏の墓の隣の林は伊藤左千夫の墓のある普門院です。2年前に訪れてブログに載せました。

墓の中から東京スカイツリーが望めます。

この燈籠も古いようですが。

下にはニッコウキスゲです花の中に蝶がいます。

墓の奥に地蔵尊がありました。延宝8年と書かれています。

ちなみに五渡亭のある場所です。五百羅漢寺に行くのにここを渡って行ったようです。今は五の橋がかかっています。明治通りになります。古地図は文久2年(1862年)版です。

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