文京区の小日向にある施設を訪問しました。地下鉄の江戸川橋を降りて神田川にかかる古川橋を渡って古川橋から飯田橋方面を見ています。
すぐに服部坂になります。服部坂:坂の上には江戸時代、 服部權太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。 服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。 永井荷風は眺望のよいところとして、 「日和下駄」という作品に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等はみな斉(ひと)しく小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。 ・・・・・・」と書いている。 坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。 戦災で廃校となった。平成9年3月 文京区教育委員会と記されています。坂を上ると小日向神社があります。
由緒は、「氷川神社と八幡神社を合祀し明治二年五月、現社名となる。氷川神社は、天慶三年(940)平貞盛が、この地方を平定しその報賽として建立。八幡神社は貞観三年(860)の創立で旧社名を田中八幡と称し文京区音羽に鎮座していた。」となっています。さらに歩くと新渡戸稲造の旧居跡がありました。
にとべ・いなぞう(1862~1933)は、「農学者、農政家、法学者、教育家。農学、法学、哲学の博士号を持ち、「武士道」の著者として有名。旧五千円札の肖像画の人物。台湾総督府技師として台湾の殖産に携わり功績を挙げる。また国際連盟事務次長として国際的に活躍した。教育にも深く携わり、多くの学校の教職を歴任し、また多数の啓蒙書を著す。」という人らしいですが知りませんでした。
さらにつつじのある道を歩きました。今日は人以外の動物には出会えませんでした。
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