ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

幸手権現堂桜堤の彼岸花

2013年09月23日 20時55分28秒 | 近郊地散策

夏のうっとおしいほどの暑さが過ぎて、黄金の稲穂と彼岸花の組み合わせの季節になりました。田舎育ちの私にとってこの季節の風景が最も好きな一つです。彼岸花と稲穂の組み合わせと撮ろうと思いましたが、幸手の周辺ではほとんどが刈り取られていて、唯一残っていた稲です。曼珠沙華まつりの幟が立っていました。赤の中の白が目立っていました。土手をおりて中川の方へ行って見ました。公園管理事務所でヤギを飼っていました。中川には白鷺の親子がいました。橋の下にいたので追っかけていきましたが、橋から離れてしまいました。帰り道の生け垣に咲いていた彼岸花です。他の花と混じって、土手とは違った風情がありました。帰りは日光街道を歩いて駅に向かいました。街道沿いにある聖福寺です。門には菊の紋章があり、将軍一族が来た時にしか開かなかったようです。幸手駅と堤を往復したので、スマホの万歩計では14,513歩が記録されていました。
電車での行き帰りは、彼岸花を見に行くきっかけになった、宮部みゆきの「おそろし」を読んでいました。

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茂林寺

2013年09月18日 21時43分09秒 | 訪問地周辺

館林にある施設を3年ぶりに訪問しました。前回は真夏で施設に行く着くのが大変でしたが、今回は一つ手前の茂林寺前駅近くを散策しました。
 茂林寺は、小学生のころ漫画で、プロ野球の創生期、昭和10年に阪神と巨人の2チームが生まれますが阪神に敗れた巨人軍が、昭和11年9月秋季キャンプで茂林寺球場の特訓「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛えた「球場」として記憶しています。また、ぶんぶく茶釜の童話でも有名なので、一度訪れて見たいと思っていたところです。道路側からの入り口、5-6件お店が出ていました。どこのお店も狸さんがいっぱい並んでいました。総門から山門までの参道には狸さんが並んでいました。境内には聖菩薩や大樹がありました。名勝地には必ずといっていいほど大樹がありますが、この信仰はなん何でしょうか長寿のシンボルでもあるのでしょうか。
茂林寺のHPから「曹洞宗の名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています。 正通は美濃国土岐氏の出目で、華叟派の祖、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。寺伝によると、正通は諸国行脚の折、 上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
 応永三十三年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来住し、小庵を結びます。応仁二年、青柳城主赤井正光(照光)は、 正通に深く帰依し、自領地の内八万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光(照光)は、 自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永二年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。 寛永十九年(1642)には、三代将軍徳川家光より二十三石四斗余の朱印を下賜されております。」と書かれてありました。
守鶴和尚は大林正通大和尚と共に当地に小庵を結んで以来、歴代の住職に役僧として仕え、分福茶釜を当山にもらたしたと伝えられています。小庵の守鶴堂です。当山鎮守大菩薩として祀られています。
境内の彼岸花が咲き始めていました。彼岸花蝶黄アゲハは彼岸花が好きなようで花から花へと忙しく飛び回っていました。
隣は湿原地でした。
施設に向かう途中にネコさんがいました。写真を撮ろうとしたら塀の向こうに逃げられてしまいました。腰を痛めているらしくよろけながら逃げていましたが、顔はなかなか精悍でした。

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辻堂北口

2013年09月17日 19時39分15秒 | 訪問地周辺

辻堂の南口にある施設を訪問しました。近くの神社を思っていましたが、そこまで行けずに戻ってきてしまい散策できませんでした。辻堂より熱海方面に行く電車の中から北口がどんどん開発される様子をみていたので、帰りに北口に行ってみました。細々とした南口に比べ膨大な開発の様子が見られました。
辻堂駅周辺開発の状況です。辻堂駅(藤沢市)はこれまで比較的地味な駅でした。駅北口は元々ここには関東特殊製鋼という会社の本社、工場があったのですが、それが2002年に撤退。その跡地を利用して、大規模な商業施設、総合病院、企業の研究施設住宅などが作られたのです。
湘南C-X(シークロス)と名づけられたエリアは駅北側だけで約25haほどもあり、用途別に大きく3つのゾーンに分けられています。そのうち、敷地中央の通りから東側と駅から離れたエリアにはオフィスや研究機関、法務局などがあり、駅近くは商業ビルとなっています。
東海道本線です。この開発は、平成17年に「藤沢2020計画」で示されたようです。

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小海リエックス

2013年09月16日 21時23分17秒 | 身辺出来事

墨田区役所のテニス部の合宿で小海リエックスに行ってきました。小海線は特別快速でうたごえ列車でした。小海駅は海抜865mにあります。宿の小海リエックは海抜1400mということで少し色づいていました。墨田区硬式テニス部では、夏合宿の定宿として小海リエックスホテルを13年ほど利用させてもらっていますが、今回、ホテルの歴史を辿ってみました。
 ホテルは、松原湖高原開発(株)が1990年(平成2年)にゴルフ場やスキー場と一体開発したものです。松原湖高原開発は、当初川鉄商事と小海町等の出資する第三セクターとして設立され、その後の平成13年11月に第三セクターを解消し、川鉄商事の完全子会社となっていました。
 川鉄商事は、平成16年4月15日松原湖高原開発(株)の株式全部を、和洋菓子やワインの製造販売を行っている(株)シャトレーゼ譲渡しました。
 さらに、平成21年12月1日、シャトレーゼグループの松原湖高原開発(株)は、(株)シャトレーゼリゾー卜八ヶ岳と合併し、(株)シャトレーゼリゾート八ヶ岳を存続させ上で、松原湖高原開発(株)の権利義務全部を承継させ、同開発は解散しました。ということで、現在の経営者は、(株)シャトレーゼリゾー卜八ヶ岳ということになるのでしょうか。
いつもは8月行き、教会でのコンサートが楽しみでしたが今回はありませんでした。松原湖の近くの稲田です。帰りは台風で荒れた天候でしたが、どうにか道は大丈夫でしたが、川は濁流でした。新幹線の佐久平駅の階段はコスモスの鉢がありました。

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新宿御苑3回目

2013年09月13日 23時56分41秒 | 近郊地散策

今年3回目の新宿御苑訪問です。鍼灸治療の日で曙橋というところに通っているのですが、代々木で少し難しい本を買って御苑に行きました。御苑は内藤家の江戸屋敷の一部だと書いてあります。紅葉の様子は全くありません。深緑というような景色でしょうか。今日は花と池、特に風もなく池に映った景色が良かったの注目しました。これは一番下の池の風景です。
旧御涼亭台湾在留邦人が昭和天皇が結婚する際に送ったものだそうです。御涼亭の中から撮りました。
こんな影もありました。
ススキはまだ若く、生き生きして垂れていません。花はこの時期では定番の百日紅とキキョウです。曙橋に向かうので大木戸門に向かいました。出口のところの大温室はすでに入れませんでした。
この前喧嘩していた2匹のねこちゃんはお兄さんの鞄で落ち着いていました。
大木戸門を出たところに跡地の碑が立っています。また玉川上水の水番所跡地の碑
これは水道碑記で玉川上水の由来を書いたものだそうです。新宿御苑はいろいろの顔を持っているのでいつ行っても新しい発見があります。ところで、鍼灸治療院の方向がわからなくなってしまい、甲州街道に出たところで、婦人警官に曙橋はと聞いて向かいましたが10分遅刻してしまいました。

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