ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

麻布一本松(麻布十番周辺)江戸名所図会めぐり

2017年12月20日 23時36分46秒 | 江戸名所図会めぐり

食品安全検定の問題作成委員会が麻布であったので、途中で麻布一本松を散策してきました。前から行きたいところでしたが、なかなか機会がありませんでした。今回会議会場の周辺を探したらちょうどあったので喜んで行ってきました。ただ大変だったのは急な坂でした。

会場は南北線の麻布十番が近かいのですが、地図をみたら大江戸線の駅のところに十番稲荷神社があったので、こちらから伺いました。十番稲荷神社です。

★ランドマーク十番稲荷神社:「十番稲荷神社は、もとは末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)でした。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。」ということです。鳥居の脇に宝船とガマガエルが祀ってありました。手水舎狭い境内で立体的にできています。拝殿です。

古地図宮下町のほうかた赤いくつのきみちゃん像のあるパティオ十番街から坂を上ります。

途中に大黒天さんがありました。

★ランドマーク大法寺:日蓮宗寺院の榮久山大法寺は、慈眼院日利上人(慶長19年1614年寂)が開山となり慶長2年(1597)に創建したといいます。当寺では大黒天を祀っており、門前の大黒坂の由来となっている他、港区七福神の大黒天となっています。

脇に稲荷神社がありました。

一本松が見えてきました。大黒さんの前の坂は大黒坂というようです。古地図では一本松坂になっています。

今は一本松のところからの上を一本松坂というようです。一歩松の由来です。

★ランドマーク一本松:石碑には、 「江戸砂子によると天慶二年西紀939年ごろ六孫源経基 平将門を征服しての帰途此所に来り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りささぐ 翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松とも云い又一本松とも云う」と書かれています。江戸名所図会より

御神燈文花4年(1807年)?とあります。奥に見えるのは長伝寺です。

★ランドマーク長伝寺:浄土宗寺院一松山長傳寺は、行蓮社心譽林哲和尚(貞享4年1687年寂)が開山となり、寛永5年(1628)創建したといいます。大黒坂を下ります。

★ランドマーク徳正寺:浄土真宗本願寺派寺院の松本山徳正寺は、釋道教(俗名毛利兵庫治信、明暦元年1655年寂)が寛永元年(1624)一本松の側に庵室を結び、寛永15年(1638)寺號を公称、寛保3年(1743)当地へ移転したといいます。

パティオ十番に戻ってきました。

会場のある善福寺方面に向かいました。善福寺は以前に訪れています。

 

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香取神社・亀戸(香取大神宮)江戸名称図会めぐり

2017年12月10日 09時57分11秒 | 江戸名所図会めぐり

家の近くなので何回も訪れていますが、なかなかアップする機会がありませんでした。12月上旬に撮ったも中心に掲載します。

江戸名所図会より

手前は香取神社商店街になっており、蔵前橋通りのところにも鳥居があります。

近くには有名な亀戸天神

亀戸 宰府天満宮(亀戸天神社)があります。この絵で右上隅にある社が香取大神宮と思われます。

 

★ランドマーク香取神社:当社の創立は天智天皇四年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。


 天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平げたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。

現在でもこの故事により勝矢祭が五月五日に執り行われております。
 以来益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、御神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。(当時の葛飾は下総国の大半を意味します。)
 元禄十年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡十二社の中にも数えられております。(神社の案内より)「亀戸鎮守葛飾神社」だったころの石碑でしょうか。亀戸惣鎮守葛飾神社号標石文政7年在銘(江東区登録文化財)のようです。

昔の狛犬の台でしょうか。

もしかするとこれでしょうか「狛犬(残欠)文化2年在銘(江東区登録文化財)」

石造燈籠(寛政6年在銘)(江東区登録文化財)

木遣りの由来の碑、富岡八幡にもありましたが。こちらは平和記念の碑です。戦災で多くの死者を出した下町の社寺仏閣にはどこにも震災の慰霊碑などが建てられています。

現在の狛犬です。

右手には神楽殿

手水舎の手前に

江東区指定有形文化財の「紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆」の案内碑があります。

 

 軸に仕立てられた道祖神祭の様子を描いたものです。人物や宝船を墨で描き、朱や青などで淡彩を施しています。画面の右から宝船が進み、前で宝船を担ぐ人物と周りを歩く人物3人が描かれています。画面右肩に「年中行事亀戸道祖神祭」という題、その下方には広重の署名と落款(らっかん)があり、歌川広重の肉筆として貴重な作例です。また、宝船の旗には「宝船」「亀戸村氏子」の文字が確認できます。

 亀戸香取神社の道祖神祭は、毎年正月14日に行われ、氏子の子供たちが宝船を担いで亀戸から両国あたりまで練り歩いたとされています。道祖神祭は、『江戸名所図会』や『東都歳時記』にも取り上げられています。

亀戸邑道祖神祭の絵は江戸名所図会に描かれています。

★亀戸ダイコンは、文久年間(1860~1864)の頃から昭和初期まで、亀戸香取神社周辺で栽培されていました。
 根が30センチ近くと短く、先がくさび状に尖っているのが特徴で、明治の頃はさかんに栽培されており、「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていましたが、大正初期に産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。
 亀戸周辺が宅地化されるのにつて、生産の拠点が高砂地域に移転し、現在でも亀戸大根を生産しています。新鮮な亀戸大根は根も葉も共に浅漬にしておいしく、江戸時代から多くの庶民から愛されています。

拝殿です。

右手には

この奥に亀ヶ井が復元されている。「亀村」が「亀戸」と称されるようになったのは、当地周辺にあった「臥龍梅庭」の井戸「亀ヶ井(かめがい)」と、地名が混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、それが転じて「亀戸(かめいど)」となったとされる。

江戸名所図会めぐりは昔の観光地の回りみたいにして昔を偲ぶというのが目的ですが、古いだけではやっていけないようで、神社でもいといろと新しいものができてきます。

こちらは2016年に建立された「勝石」です。

 

右手にはいろいろな末社が並んでいます。

手前から「熊野神社・三峯神社・水神社」「福神社」「稲足神社」「天祖神社」です。

★熊野神社

 

総本社で曽ては「蟻の熊野詣で」の諺通り、貴賎老若男女をとわず全国から参詣者が集り、信仰絶大にして盛況を極めました。当社は元梅屋敷隣の北の方に位置し、熊野入りと称して、亀戸村の水利を司っていました。大正13年、北十間川が拡張されるのに伴い、香取神社の境内に移転鎮祭しました。

 

★三峯神社

 

御由緒:享保年間(1716~35)の創立。有名な亀戸梅屋敷園主安藤喜右衛門が園内にお祀していたのを、明治の末年に香取神社に移しました。火防、盗難除のご利益あらたかで、梅屋敷講を受継いだ亀戸三峯講の多くの崇敬者も増え、近年本社参拝も盛んです。

 

★水神社

 

御由緒:天明6年(1787)香取神社13代神職香取正武がその年の洪水を記念し、災害防止、氏子住民の安体を祈願して石祀をもって建設しました。江戸名所図絵にもみえます。わたし彩(いろ)江戸名所図会より拝殿の左ほぼ中央におるのが水神です。

★稲足神社

御由緒:寛文9年(1670)創立。明治以前は普門院の主管であったが、明治元年香取神社の奉仕となる。明治35年香取神社隣接地に所在していたが境内に移転。琴平神社は宝暦年間香取12代神職香取正幸の鎮祭する処で、稲足神社は元渡辺稲荷神社と称え明治12年当社に合祀。

御神徳:産業発展・家運隆昌

★福神社

御由緒:元々御本社の相殿に奉仕されていた大国主神と併せて明治年間に至り、七福神のうちの恵比寿神・大国神として境内に鎮祭しました。当時の社殿石燈篭は小山富蔵氏寄進造営です。

御神徳:富徳円満・商売繁昌の守護神

★天祖神社(入神明宮)

御由緒:香取神社改築に伴い移転され、境内神社として祀られるようになりました。当神社の創立には江東区内では最も古く、口伝によるとこの地が四辺海に囲まれていた頃、漁船がしばしば風浪の危難に会う毎に、伊勢の大神を祈念すると災害を免れたという事で、太平榎塚に小祀を営み鎮祭されたといいます。

江戸名所図絵に描かれている神明宮は当社です。 尚、境内から多量のおもり(石器)が出土(明治40年)し、考古学的にも有益な資料とみることができます。現在香取神社にて保存しています。

 江戸名所図会より

 もともとあった場所です。ここから香取神社に移されました。

 

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猿江恩賜公園の紅葉(2017年12月2日)

2017年12月02日 23時20分45秒 | 公園散策

猿江恩賜公園も紅葉の真只中です。特に南側の日本庭園の池の周りのもみじがきれいに色付いていました。ミニ木倉にはアオサギが飛来していました。友人の朗読会の例会に行く途中で猿江恩賜公園の南側の公園を通り抜けてみました。

池の上の人口の水路の所です。

このまわりのもみじです。

下に見える木戸のところに猿江貯木場の石碑が建っています

★ランドマーク猿江貯木場:江戸時代、八百八町に材木の供給を担っていた深川木場が起源となり、この場所は享保18年(1733年)頃、幕府が設けた江戸城の建築材を貯材する貯木場でした。

 明治維新後は宮内庁の貯材所となり隣接する横十間川を利用して材木を運搬していました。 明治時代より長期備蓄材として水中貯木をしていた丸太は大正の大震災にも焼けなかったといわれています。

 昭和48年、貯木場の移転を機に、約250年の歴史に幕を閉じました。(公園のHPより)

池の下流のハゼの木です。

北側のミニ木倉には

アオサギです。池の掃除をするので水を落としていたのでそれを聞きつけてか、飛来していました。

★ランドマークミニ木倉:貯木場を再現し、下町の掘割がある風情を残す作りとなっています。 使用されている約千個の切石は実際の水中貯木の際の丸太の「重し」を再利用したものです。 水面の広さは約1,600m2、水深は70cm~1mです。

 初夏から秋にはスイレンが咲き、涼しげな装いになります。 風の無い日には水面の木々に建物が写しだされ、さながら大きな鏡のようです。(公園のHPより)

5本の木はイタリアンポプラというようです。

池の脇に皇帝ダリアが咲いています。

最初見た時は丈の高さにびっくりしました。1年でこの高さまで成長して花を咲かせます。

ここをリハビリウォーキングで歩いています。

真っ赤になった満天星(ドウダン)ツツジもあります。

南地区に行く出口のところ(池の脇です)

いつも遠くから眺めている東京スカイツリーですが

12月1日に近くに行く機会がありました。真下から撮りました。

こちらは吾妻橋のアサヒビールのビルの所から撮ったものです。スカイツリーも紅葉している?

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神宮外苑銀杏並木再訪(2017年11月30日)

2017年12月01日 10時34分02秒 | 近郊散策

外苑前に食品衛生センターに用事があったので、20日ぶりに神宮外苑の銀杏並木を訪れて見ました。葉はかなり落ちていましたがライトアップさていて昼間とは違った景色を見ることができました。

今回も青山一丁目駅から向かいました。車道まで出られるようになっていました。

絵画館方面に進みます。側道は銀杏落ち葉で埋まっていました。秩父宮ラグビー場への道路を過ぎると通行止めになっています。

車道の真ん中で撮ることができます。

ここから戻りました。

歩いて外苑西通りまで行きました。

会議終了後は千駄ヶ谷駅まで歩きました。青山一丁目から外苑前、外苑西通りから千駄ヶ谷駅まで歩いたことになりました。ちょうど3kmほどになります。

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