そら、記事を書いたとたん、天皇について真実を書くといつもの妨害ページになる。gooの仕業としか思えない。今新しく起きた妨害は、投稿時刻を現在時刻にしてあるのに勝手に何もしないで「予約受付」になっていることである。今7:23:39をもう一度現在時刻で投稿する。すべてgooに損害賠償を要求するつもりだ
大喪の礼と鳴り物禁止(1)
前回の1989年の代替わり行事が、初めて東京で行う代替わりだった。大体江戸時代に将軍が天皇制を抑えて代わりに、「家康を神様にしようとしたから権現様」である。天皇の生活費は石高で大名並みに幕府から出ているのに、幕府が大々的な代替わりをさせるはずがない。
明治天皇の即位までは江戸時代である。だから退位・即位法だと言って憲法違反で89年と現在進行中の憲法違反の大々的な代替わり行事はやっていない!大正天皇の死後、明治憲法下で天皇主権の元首についての一回だけの即位儀式として、伊勢神宮のお参りを入れた代替わり行事のなかに、「光格天皇が復活させたという平安時代の大嘗祭」を取り入れたのであろう。宗教行事の代替わりを89年に史上最大規模でやったことが、憲法違反なのである。
その憲法違反を2019年に、古代より明治憲法期より89年の昭和天皇の代替わりよりも大々的に、天皇の希望で退位即位儀式として、日本国憲法違反の神式儀式を税金でやっている最中である。 天皇主権下で昭和初年の天皇を神にする即位行事は京都で行って、世界中から外国元首をたくさん呼んでない。だから89年や今よりはるかに安上がりだった。
世界一の経済大国だった89年に、その恩恵を国民から奪って、年金で暮らせなくした一因が天皇代替わりに国交のある国全部の元首を呼んだことである。各国は日本円の力が世界一だったから援助に期待して、投資を引き上げられないようにしぶしぶ参加したのである。
89-90年国民をだまして歴史上初めての世界各国の元首を呼ぶ大喪の礼を伝統のようにマスコミが報道した。しかし学者や作家が嘘を暴いて国民からたくさん批判が出た。私が代替わり行事批判で使っている本や資料や以前見た放送大学の89年代替わり直後の授業の日本人のDNAや伊勢神宮神話がどこの民族と同じか?とか。科学博物館の「日本人はどこから来たか」の展示などはその一環である。
昭和天皇は第二次大戦の連合国側の国民が89年当時も「東京裁判にかけなかったマッカーサーが悪い」と思っていた敵国の元首だった。だからパターン死の行軍のアメリカ軍や、従軍慰安婦にされたオランダ女性や、「戦場にかける橋」のビルマイギリス軍のように各国が日本のジュネーブ条約違反の捕虜の扱いを恨みに思っていた。
捕虜虐待の原因が日本軍の「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱めを得ず」からきているからであった。日本兵は「捕虜になったら残った家族は村八分で生きていけない」から、中国や朝鮮や連合軍の捕虜を軽蔑して、人殺しの練習に使ったり、731部隊が朝鮮人捕虜の人体実験を「マルタ」扱いで残虐な殺し方をしたのである。
ところがユダヤ人やパルチザンやレジスタンスに対しては同じく人体実験やアウシュビッツなどの民族絶滅作戦をしたナチスドイツも「ジュネーブ協定」で捕虜待遇に配慮していたのであった。
戦後ドイツが復興して輸出品がアメリカに押し寄せた時、ハリウッドが作ったナチス批判の戦争映画である「大脱走」や「地上最大の作戦」を見れば、結構自由に捕虜収容所で暮らしていたから、日本の捕虜の扱いと比べて、戦争帰りの日本人はびっくりしたのであった。
日本は第一次大戦後ドイツ人捕虜と「ベートーベンの第9」エピソードのように、最初から捕虜をすべて否定していたのではないと思う。むしろ戦国時代は兵士皆殺しでなく大将が切腹すれば兵士や婦女子は助かる国だった。
おかしくなったのは天皇制が海外侵略してからである。乃木希典が指揮した「203高地」の肉弾戦のような、兵士を人間と扱わない、馬や銃剣以下の存在とするようになったからである。明治以降、戦前の教育勅語と戦陣訓で「天皇の名さえ出せば、赤紙一つで若者を絶対服従でいくらでも兵士にさせることができるような教育が50年行われた結果」であった。これは以前ブログに書いた。
日本人が89年の代替わりの時、「主権在民の憲法を一人一人の国民が自分のために守る気概」を一部の人しかもっていなかったから、「平成が人工的な災害と経済悪化といじめや高齢者弱者失業者の棄民の30年間」となったのである。
共産党が赤旗で88年から9年にかけて毎日「昭和初年の代替わりで、何が禁止でどういうことをやった」と戦前の紹介をしなければ、政府が毎朝即赤旗の記事に合わせて何かを禁止することを、半年間戦後民主主義の主権者である私たち国民が強制されることはなかった。
赤旗が、一番肝心な「昭和天皇の代替わりは、京都でやって東京ではない。自衛隊ヘリでおみこしを、新幹線で担ぎ手を運んで東京で代替わりをしたら莫大は経費が掛かるから反対」と言ったらそれで違憲の代替わりはなかったと思う。
「江戸時代は公家諸法度で、天皇の死んだときの自粛が江戸後期は5日だったことや将軍は江戸後期50日で将軍の1/10だった」と真実を赤旗に書くだけで、各マスコミは記事を後追いして、全国各地の祭りや祝賀行事が88年-9年皆なくなることはなかったはずである。
そして今回の即位退位法でも、共産党志位が主権在民の否定の先鞭をつけた。奈良天皇制の即位の儀式を『続日本記全現代語訳』文武天皇の項でみよ!「大喪の礼がいつごろできたのか?」については、先にこのブログで水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』文春新書で「和風諡号と殯宮儀礼の成立」p221-225の項を紹介した。
水谷は、同書p221で古代の「継体の次の天皇あたりから、和風諡(し)号が行われた」という、和田の研究を紹介している。その和風諡号を含めて同書のp225にある「亡き天皇の殯(もがり)の場で『日嗣』=『皇祖らの即位の次第』が口頭で唱えられた」と書かれていることが、「大喪の礼と即位儀式としての大嘗祭」のセットの始まりではないか?と素人読みしたが、死人の天皇と一緒に寝る大喪の礼で天皇を受け継ぎ?何年も後に即位するとき大嘗祭でもてなす?よくわからないが憲法の「信教の自由」に反することはわかる。
「本当のことは秘儀だということで天皇しか知らない」とか、いや「天皇が神を招待して食事をする会」であるとか、諸説あるらしいが深入りする気もない。「大喪の礼と大嘗祭のセット行事を殯宮でやる」ことで、王朝が異なる継体大王以前の「倭の五王つまり仁徳や雄略など」の王朝を、継体朝が受け継ぐことの正当性を主張するために作った儀式ではないか?と素人は思う。
要するに、「天皇職の宗教的な国民に内容も知らされない内輪の引継ぎ行事費用を、我々の税金で払うことが違憲である」ことさえわかれば国民は満足である。
大嘗祭は室町幕府で二百二十年途絶し、江戸中期に1738年東山天皇が略式で再興したらしい。次の中御門天皇のときは行われず、その次の桜町天皇のときから大嘗祭の名前は続いている。光格天皇はその大嘗祭を、即位して8年後のほかの復古調と同じく、光格が17歳の時の復古調ターニングポイントの1787年に、10世紀の「貞観・延喜」式の大嘗祭の復活を残っている資料からやったということらしい(『幕末の天皇』p95)。
おい!即位から8年後だぞ!だったらこれ即位のための儀式といえるか?大嘗祭などしなくても、歴史上ずっと天皇は代替わりしてきたし、大嘗祭だけが江戸期の復活で、今回の退位即位行事として毎回テレビのトップニュースでやっている平安期の服装で、三種の神器をもって伊勢神宮のお参りをする行事が持統天皇以後、明治期までやってなかったことも前に紹介したが次に再度紹介する。
大嘗祭が一番重要な天皇代替わり行事なら、8年後でなく 天皇が即位したときになぜしないのか?大嘗祭が天皇の代替わりに必須アイテムではない証拠である.
逆に天皇退位に次いで即位行事として大嘗祭をやらなくとも、8年後でもかまわない。なぜなら前天皇がモデルとして挙げた光格大嘗祭が8年後なのだから。平安時代の10世紀ごろの大嘗祭を光格が即位後8年たって、うるさい関白が引退して側近たちに祭り上げられて復活した事は、「天皇家の宗教行事」であって、昭和天皇のように経費を投資か貯金するか、内廷費から節約して天皇家の家計費ですべて賄うべきものである。「憲法違反の退位・即位行事大嘗祭」を国税でやってはいけないのである。
前回の代替わりに何ケ国来たのか?何ケ国を招待して、その見返りにどういう経済的利益を与えたか?今度はその時より2割多い200ケ国を呼んで、どれだけ税金を使うつもりか?天皇一族の宮殿を4軒も税金で作り直す必要は仁徳天皇に学べばなかった。
仁徳天皇は即位して、民が貧しい間は税を取らず贅沢な宮殿を望まなかった。2018年現在、国民の20%が年収200万円以下で、熱中症でなくなる6畳一間のアパート住民や住居のない浮浪者やネットカフェ住民に心を配ることなく、御殿を新しくしたぶんだけで、89年よりはるかに税金の支出が大きいであろう。
そして仁徳が税をなくした代わりに、上皇と天皇と二倍の税金を使う。消費税をこれから増税する。天皇が退位を望まなければいずれも不要な税金である。
その違いを比較して税金で賄う退位即位経費を圧縮するのは議員の仕事だぞ!与野党関係なく自分で調べよ国政調査権を持つ国会議員各位。我々の代表国会議員が、日本国民でない天皇の「明治憲法の臣民」のつもりで、明治憲法より大々的な大ウソ退位即位法を通したことがわかる。
「昭和天皇を戦犯にせよ」という1945年当時の世界中の声を無視して、日本国の武装解除永久非武装と天皇のシンボル化を条件に、マッカーサーは天皇側からの助命提案を受け入れたのである。それで日本国憲法1条と9条ができた。
だから、「天皇が何かを日本国の行政や立法や司法権に要求してはならん」のが日本憲法制定時の解釈である。 「天皇は元首でなく唯のシンボルである」というのが、ヨーロッパの王様、たとえばイギリス女王が英国と英連邦の元首で、「君臨すれども統治せず」の君主国であるのとはとは異なる、日本国憲法の特徴である。
89年の代替わり行事で165か国の世界の首脳を集めた時と同じく「200か国の首脳を即位退位行事で集める条件として、裏で政府が莫大な援助を約束」したり、「天皇の希望で国会だけで天皇と上皇として従来の2倍の皇室経費と家族全部の家の改築費と信教の自由に反する代替わり費用を決議することは違憲である」と、天皇の命を助けてしまった私の国民に対する責任であるから、やむを得ず明らかにしている。
それもこれも、国会議員がみな「立法府のすべきこと」をまるで知らない、フランス革命やアメリカ独立戦争や日本の自由民権について、歴史や啓蒙思想の本の一つも読んだことないと疑われる議員」だからである。
国王や行政に対抗して主権者国民の代表として税の不公平と無駄遣いを批判し、憲法の範囲内で立法府が国の方針を決めて、行政が憲法の範囲内で運営されているか監視をするために体を張ることが議員の仕事である。
ところが自ら主権者の代表の誇りを捨て、「天皇の希望で法律を制定する」とは、「主権在民の代表である議員が、「国民主権を王様にわたすがごとき議員の仕事の否定」ある。憲法1条の「主権在民」こそ、他のどの条文より守るべき日本国憲法の本質である。
憲法1条「主権在民」を否定する退位即位法に賛成する議員が大多数であることが、現在の公職選挙法が違憲である最大の証拠である。
大喪の礼と鳴り物禁止(1)
前回の1989年の代替わり行事が、初めて東京で行う代替わりだった。大体江戸時代に将軍が天皇制を抑えて代わりに、「家康を神様にしようとしたから権現様」である。天皇の生活費は石高で大名並みに幕府から出ているのに、幕府が大々的な代替わりをさせるはずがない。
明治天皇の即位までは江戸時代である。だから退位・即位法だと言って憲法違反で89年と現在進行中の憲法違反の大々的な代替わり行事はやっていない!大正天皇の死後、明治憲法下で天皇主権の元首についての一回だけの即位儀式として、伊勢神宮のお参りを入れた代替わり行事のなかに、「光格天皇が復活させたという平安時代の大嘗祭」を取り入れたのであろう。宗教行事の代替わりを89年に史上最大規模でやったことが、憲法違反なのである。
その憲法違反を2019年に、古代より明治憲法期より89年の昭和天皇の代替わりよりも大々的に、天皇の希望で退位即位儀式として、日本国憲法違反の神式儀式を税金でやっている最中である。 天皇主権下で昭和初年の天皇を神にする即位行事は京都で行って、世界中から外国元首をたくさん呼んでない。だから89年や今よりはるかに安上がりだった。
世界一の経済大国だった89年に、その恩恵を国民から奪って、年金で暮らせなくした一因が天皇代替わりに国交のある国全部の元首を呼んだことである。各国は日本円の力が世界一だったから援助に期待して、投資を引き上げられないようにしぶしぶ参加したのである。
89-90年国民をだまして歴史上初めての世界各国の元首を呼ぶ大喪の礼を伝統のようにマスコミが報道した。しかし学者や作家が嘘を暴いて国民からたくさん批判が出た。私が代替わり行事批判で使っている本や資料や以前見た放送大学の89年代替わり直後の授業の日本人のDNAや伊勢神宮神話がどこの民族と同じか?とか。科学博物館の「日本人はどこから来たか」の展示などはその一環である。
昭和天皇は第二次大戦の連合国側の国民が89年当時も「東京裁判にかけなかったマッカーサーが悪い」と思っていた敵国の元首だった。だからパターン死の行軍のアメリカ軍や、従軍慰安婦にされたオランダ女性や、「戦場にかける橋」のビルマイギリス軍のように各国が日本のジュネーブ条約違反の捕虜の扱いを恨みに思っていた。
捕虜虐待の原因が日本軍の「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱めを得ず」からきているからであった。日本兵は「捕虜になったら残った家族は村八分で生きていけない」から、中国や朝鮮や連合軍の捕虜を軽蔑して、人殺しの練習に使ったり、731部隊が朝鮮人捕虜の人体実験を「マルタ」扱いで残虐な殺し方をしたのである。
ところがユダヤ人やパルチザンやレジスタンスに対しては同じく人体実験やアウシュビッツなどの民族絶滅作戦をしたナチスドイツも「ジュネーブ協定」で捕虜待遇に配慮していたのであった。
戦後ドイツが復興して輸出品がアメリカに押し寄せた時、ハリウッドが作ったナチス批判の戦争映画である「大脱走」や「地上最大の作戦」を見れば、結構自由に捕虜収容所で暮らしていたから、日本の捕虜の扱いと比べて、戦争帰りの日本人はびっくりしたのであった。
日本は第一次大戦後ドイツ人捕虜と「ベートーベンの第9」エピソードのように、最初から捕虜をすべて否定していたのではないと思う。むしろ戦国時代は兵士皆殺しでなく大将が切腹すれば兵士や婦女子は助かる国だった。
おかしくなったのは天皇制が海外侵略してからである。乃木希典が指揮した「203高地」の肉弾戦のような、兵士を人間と扱わない、馬や銃剣以下の存在とするようになったからである。明治以降、戦前の教育勅語と戦陣訓で「天皇の名さえ出せば、赤紙一つで若者を絶対服従でいくらでも兵士にさせることができるような教育が50年行われた結果」であった。これは以前ブログに書いた。
日本人が89年の代替わりの時、「主権在民の憲法を一人一人の国民が自分のために守る気概」を一部の人しかもっていなかったから、「平成が人工的な災害と経済悪化といじめや高齢者弱者失業者の棄民の30年間」となったのである。
共産党が赤旗で88年から9年にかけて毎日「昭和初年の代替わりで、何が禁止でどういうことをやった」と戦前の紹介をしなければ、政府が毎朝即赤旗の記事に合わせて何かを禁止することを、半年間戦後民主主義の主権者である私たち国民が強制されることはなかった。
赤旗が、一番肝心な「昭和天皇の代替わりは、京都でやって東京ではない。自衛隊ヘリでおみこしを、新幹線で担ぎ手を運んで東京で代替わりをしたら莫大は経費が掛かるから反対」と言ったらそれで違憲の代替わりはなかったと思う。
「江戸時代は公家諸法度で、天皇の死んだときの自粛が江戸後期は5日だったことや将軍は江戸後期50日で将軍の1/10だった」と真実を赤旗に書くだけで、各マスコミは記事を後追いして、全国各地の祭りや祝賀行事が88年-9年皆なくなることはなかったはずである。
そして今回の即位退位法でも、共産党志位が主権在民の否定の先鞭をつけた。奈良天皇制の即位の儀式を『続日本記全現代語訳』文武天皇の項でみよ!「大喪の礼がいつごろできたのか?」については、先にこのブログで水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』文春新書で「和風諡号と殯宮儀礼の成立」p221-225の項を紹介した。
水谷は、同書p221で古代の「継体の次の天皇あたりから、和風諡(し)号が行われた」という、和田の研究を紹介している。その和風諡号を含めて同書のp225にある「亡き天皇の殯(もがり)の場で『日嗣』=『皇祖らの即位の次第』が口頭で唱えられた」と書かれていることが、「大喪の礼と即位儀式としての大嘗祭」のセットの始まりではないか?と素人読みしたが、死人の天皇と一緒に寝る大喪の礼で天皇を受け継ぎ?何年も後に即位するとき大嘗祭でもてなす?よくわからないが憲法の「信教の自由」に反することはわかる。
「本当のことは秘儀だということで天皇しか知らない」とか、いや「天皇が神を招待して食事をする会」であるとか、諸説あるらしいが深入りする気もない。「大喪の礼と大嘗祭のセット行事を殯宮でやる」ことで、王朝が異なる継体大王以前の「倭の五王つまり仁徳や雄略など」の王朝を、継体朝が受け継ぐことの正当性を主張するために作った儀式ではないか?と素人は思う。
要するに、「天皇職の宗教的な国民に内容も知らされない内輪の引継ぎ行事費用を、我々の税金で払うことが違憲である」ことさえわかれば国民は満足である。
大嘗祭は室町幕府で二百二十年途絶し、江戸中期に1738年東山天皇が略式で再興したらしい。次の中御門天皇のときは行われず、その次の桜町天皇のときから大嘗祭の名前は続いている。光格天皇はその大嘗祭を、即位して8年後のほかの復古調と同じく、光格が17歳の時の復古調ターニングポイントの1787年に、10世紀の「貞観・延喜」式の大嘗祭の復活を残っている資料からやったということらしい(『幕末の天皇』p95)。
おい!即位から8年後だぞ!だったらこれ即位のための儀式といえるか?大嘗祭などしなくても、歴史上ずっと天皇は代替わりしてきたし、大嘗祭だけが江戸期の復活で、今回の退位即位行事として毎回テレビのトップニュースでやっている平安期の服装で、三種の神器をもって伊勢神宮のお参りをする行事が持統天皇以後、明治期までやってなかったことも前に紹介したが次に再度紹介する。
大嘗祭が一番重要な天皇代替わり行事なら、8年後でなく 天皇が即位したときになぜしないのか?大嘗祭が天皇の代替わりに必須アイテムではない証拠である.
逆に天皇退位に次いで即位行事として大嘗祭をやらなくとも、8年後でもかまわない。なぜなら前天皇がモデルとして挙げた光格大嘗祭が8年後なのだから。平安時代の10世紀ごろの大嘗祭を光格が即位後8年たって、うるさい関白が引退して側近たちに祭り上げられて復活した事は、「天皇家の宗教行事」であって、昭和天皇のように経費を投資か貯金するか、内廷費から節約して天皇家の家計費ですべて賄うべきものである。「憲法違反の退位・即位行事大嘗祭」を国税でやってはいけないのである。
前回の代替わりに何ケ国来たのか?何ケ国を招待して、その見返りにどういう経済的利益を与えたか?今度はその時より2割多い200ケ国を呼んで、どれだけ税金を使うつもりか?天皇一族の宮殿を4軒も税金で作り直す必要は仁徳天皇に学べばなかった。
仁徳天皇は即位して、民が貧しい間は税を取らず贅沢な宮殿を望まなかった。2018年現在、国民の20%が年収200万円以下で、熱中症でなくなる6畳一間のアパート住民や住居のない浮浪者やネットカフェ住民に心を配ることなく、御殿を新しくしたぶんだけで、89年よりはるかに税金の支出が大きいであろう。
そして仁徳が税をなくした代わりに、上皇と天皇と二倍の税金を使う。消費税をこれから増税する。天皇が退位を望まなければいずれも不要な税金である。
その違いを比較して税金で賄う退位即位経費を圧縮するのは議員の仕事だぞ!与野党関係なく自分で調べよ国政調査権を持つ国会議員各位。我々の代表国会議員が、日本国民でない天皇の「明治憲法の臣民」のつもりで、明治憲法より大々的な大ウソ退位即位法を通したことがわかる。
「昭和天皇を戦犯にせよ」という1945年当時の世界中の声を無視して、日本国の武装解除永久非武装と天皇のシンボル化を条件に、マッカーサーは天皇側からの助命提案を受け入れたのである。それで日本国憲法1条と9条ができた。
だから、「天皇が何かを日本国の行政や立法や司法権に要求してはならん」のが日本憲法制定時の解釈である。 「天皇は元首でなく唯のシンボルである」というのが、ヨーロッパの王様、たとえばイギリス女王が英国と英連邦の元首で、「君臨すれども統治せず」の君主国であるのとはとは異なる、日本国憲法の特徴である。
89年の代替わり行事で165か国の世界の首脳を集めた時と同じく「200か国の首脳を即位退位行事で集める条件として、裏で政府が莫大な援助を約束」したり、「天皇の希望で国会だけで天皇と上皇として従来の2倍の皇室経費と家族全部の家の改築費と信教の自由に反する代替わり費用を決議することは違憲である」と、天皇の命を助けてしまった私の国民に対する責任であるから、やむを得ず明らかにしている。
それもこれも、国会議員がみな「立法府のすべきこと」をまるで知らない、フランス革命やアメリカ独立戦争や日本の自由民権について、歴史や啓蒙思想の本の一つも読んだことないと疑われる議員」だからである。
国王や行政に対抗して主権者国民の代表として税の不公平と無駄遣いを批判し、憲法の範囲内で立法府が国の方針を決めて、行政が憲法の範囲内で運営されているか監視をするために体を張ることが議員の仕事である。
ところが自ら主権者の代表の誇りを捨て、「天皇の希望で法律を制定する」とは、「主権在民の代表である議員が、「国民主権を王様にわたすがごとき議員の仕事の否定」ある。憲法1条の「主権在民」こそ、他のどの条文より守るべき日本国憲法の本質である。
憲法1条「主権在民」を否定する退位即位法に賛成する議員が大多数であることが、現在の公職選挙法が違憲である最大の証拠である。