さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日高尭子『水衣集』

2025年01月07日 | 新・現代短歌
 この歌集は二〇二一年一〇月刊なのだけれども、私にとってはつい最近という感じがしている。

   百歳にて死にける母はさらさらと空の族となり春をはる    日高尭子

「族」は「うから」と読む。百歳の大往生をもろ手をあげて言祝いでいるわけではない。それは、下句の調べで伝わる。「空の族となり春をはる」は、分かち書きすると、次のような感じになる。
 
  百歳にて
  死にける母は さらさらと
  空の族と
  なり、春をはる。

 四句目が句跨(くまたが)りである。ここに屈折が表現されている。前後の作品をみる。

  いのち老いて母はさびしい縫ひぐるみ さはつてほしいさはつてほしい

  人の死をわすれ、わすれ、生きてゆくことしの春のわが忘初

   ※「忘初」に「わすれぞめ」と振り仮名。

 人の老いをみとる営みの歌の絶唱と思う。

  自然災害の歌もある。

  生皮を剝ぐごとく地を叩き降る暴雨を見たりこの夏と秋
  
  未知 狂雨 原初か未来かわからない暴雨が山を打ち拉ぎゆく

 言葉が実に的確に用いられている作品と思う。こういうデッサン力は、一朝にして身に付くものではない。

 今日はこれで寝ようと思うので、おしまいに一首引く。

  人を思ふこころが今日のわれを支ふ 崖の水仙みな海をむく
 
 お正月以来能登に関する報道が多かった。この歌は房総の鋸山などがうたわれている一連にあるのだけれども、被災地とそれ以外の場所をつなぐ言葉は、みなこのような情景なのではないかと思われた。