短歌の世界は、中澤系、笹井宏之という夭折者の系譜に、またもう一人の若い作者の名前を付け加えなければならなくなった。安井高志、私はこの人の作品を特に注意して見てきたわけではない。しかし、こうして一冊にまとめられたものをみると、この人が並々ならぬ才能の持ち主であったことがわかる。そうして、何と切なく痛々しい歌であることよ。さらにこの歌数の多いこと。どれも生前の遺書のようにも見える歌ばかりで、幸いに多くの友情の花輪に飾られて、生き難いこの世を何とか歌をたよりにして生き延びるよう腕の下に手を差し入れて支えつつ、はげましてくれる仲間にもめぐまれていたらしい。その点については、作者はむしろ倖せであったろう。しかし、いかにも無念である。自分が何かを言うと、あとからその発言に自分で傷ついてしまうような人というのは、いるものだ。私は安井高志がそのような繊細な羞恥にまみれた人であったろうと思う。
遠い目の灰色ガラスの水の底むすめはひとり歌をうしなう
霧のなかに歌がきこえる繭のなか滅びをまってるバレリーナたち
朝摘みのぶとうと共に収穫された娘たち 霧に果てたい
巻末の年譜、御母堂によって記されたとおぼしい伝記的な事実は、この歌を読む参考になるのかもしれない。
「1985年千葉県生まれ。幼時より少年少女合唱団に入団。中学3年時、ハンガリーのコダーイ国際合唱コンクール金賞受賞、上野音楽堂にて記念コンサートを開催、ハンガリーでボーイソプラノを失う。」
この「ハンガリーでボーイソプラノを失う。」という一句が、掲出歌の「むすめはひとり歌をうしなう」という詩句と関連しているように思われた。誰にも理解してもらえない孤独な喪失経験のようなものが、ここにはあらわれている。「むすめ」というのは、だから韜晦なのにちがいない。
ハッカ水飲ましておくれお姉さん恨みが綺麗な星になるなら
ヒトカタを葬るためにみずうみへ向かう 夜汽車のかすかな響き
花嫁の体がちぎれていってしまう彼女がひかりになった海岸
人形の夜は続くよもう二度と歌わぬように濡れたハンカチ
いい歌がいっぱいあって、でもこれらの自己滅却願望をぎりぎりのところで詩的に救抜しようとする作品群は、痛々しく、危うい。これも血で書かれた文字と言うべきだろう。だから、生きていくためにはこういう歌を書いてはいけなかったのかもしれない。言っても詮無いことだが、滅びに抗して生きつづけてほしかった。これを読んであげることが、せめてもの死者への花の手向けとなるだろうか。編者の方々の御尽力に心から敬意を表したい。
遠い目の灰色ガラスの水の底むすめはひとり歌をうしなう
霧のなかに歌がきこえる繭のなか滅びをまってるバレリーナたち
朝摘みのぶとうと共に収穫された娘たち 霧に果てたい
巻末の年譜、御母堂によって記されたとおぼしい伝記的な事実は、この歌を読む参考になるのかもしれない。
「1985年千葉県生まれ。幼時より少年少女合唱団に入団。中学3年時、ハンガリーのコダーイ国際合唱コンクール金賞受賞、上野音楽堂にて記念コンサートを開催、ハンガリーでボーイソプラノを失う。」
この「ハンガリーでボーイソプラノを失う。」という一句が、掲出歌の「むすめはひとり歌をうしなう」という詩句と関連しているように思われた。誰にも理解してもらえない孤独な喪失経験のようなものが、ここにはあらわれている。「むすめ」というのは、だから韜晦なのにちがいない。
ハッカ水飲ましておくれお姉さん恨みが綺麗な星になるなら
ヒトカタを葬るためにみずうみへ向かう 夜汽車のかすかな響き
花嫁の体がちぎれていってしまう彼女がひかりになった海岸
人形の夜は続くよもう二度と歌わぬように濡れたハンカチ
いい歌がいっぱいあって、でもこれらの自己滅却願望をぎりぎりのところで詩的に救抜しようとする作品群は、痛々しく、危うい。これも血で書かれた文字と言うべきだろう。だから、生きていくためにはこういう歌を書いてはいけなかったのかもしれない。言っても詮無いことだが、滅びに抗して生きつづけてほしかった。これを読んであげることが、せめてもの死者への花の手向けとなるだろうか。編者の方々の御尽力に心から敬意を表したい。