さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』

2018年10月27日 | 現代短歌
 若い頃はコンフォルミズム(順応主義)というのは恥だと思っていたから、いろいろと無理を重ねたものだけれども、どうも身に付かないことは続かないようで、そのうちに地が出て来る。鈴木さんの歌集をめくりながら、ああ、このタイプの人か、と思って共感するところが多かった。たとえば、

異国にてリメイクされた映画では失われているわたくしの役

見えなくてもそばにいるよと囁かれプロンプターの言いなりになる

 こういう歌をみると、思わず微笑したくなる。作者はきっと争いごとが嫌いだ。そのくせ結構打たれる場所に出て行って痛い思いをする。そうしてあとで時間をかけて反省をすることになるのだが、これは損な質(たち)だ。しかも最後まで自意識が徹底するから、受身で居ながら解放されない。歌でも作って発散していないと、それはやってられないさぁ。

イソジンのうがい薬の褐色でひとり残らず殺せる気が、した

やわらかな鞭で打たれているように驟雨のなかではじっとしてます

 この調子で歌が自分の性格物語の周囲をくるぐる回っているだけでは、世界が狭くなってしまうから、そこは修辞の力と、詩的な瞬発力でカバーしてみせる。それだけの力量が作者には備わっている。引いてみよう。

雪どけの光みたいに銀色のスプーンのなかへ逃げこめたなら

水鳥を数えているうちひっそりとたたまれるだろうわたしの花野

わたしが、と思わず胸にあてた手がピンマイクを打ち爆音となる

つぎつぎと水面に届く気泡あり。声のない叱責はつづく、今も

「一時間経ったら起こせ」と言ったきりあなたは隣で内海になる

今のうち眠っておけよと声がする晩夏へ向かう青い護送車

 ページの逆順に引いてみた。これらはどれも才気の感じられる歌で、先に引いた歌よりも読み手の共感を誘う部分が拡がっている。

 あえて全体に難点を言うとするなら、無理に固定した点と言うか、静止した境域を場面なり時間なりのなかに求めるきらいがあり、そこに私は抑圧のようなものを感じるのだ。たぶんゆるやかな制作順なのだろう。特に最初の三つの章は、初期のものらしく言葉が先走っている感じの歌が目について、初見では同情して読めなかった。理詰めだなあ、自分で答を出すのがはやすぎるなあ、と文句を言いながら読んでいた。だいぶ時間が経って、こちらが構えないで読めるいい歌が多いことに遅まきながら気がついたのだけれど、批評会にも都合で出られなかったので、この文章を書くことにした。本書は刊行が2017年3月だから、だいぶ時間がたってしまった。この人はいま流行りの詠風から脱して少し古い所を学んだら厚みも出ていい作者になるだろうと思っている。