星河安友子さんの三冊目の歌集である。こういうものを読むと、今後これだけ品位の高い緊密な歌を作れる人が、どれだけ短歌の世界に出てくるだろうかと、暗然とした気持ちになるのである。巻頭の二首を引く。
蔵の扉に餅花一枝添へたれば仕舞ひしものの眠り想ひぬ
※「扉」に「と」と振り仮名。
祖母と母をまねてまろめしまゆ玉のまろみが指に 春のあけぼの
餅花は、どんど焼きで団子を焼いた覚えのある人には親しいものだろう。お団子を手に丸めて作ったやさしいしあわせな思い出が、春のあけがたの夢に出てきたのだろう。
作者は、一時中断はあったが、「未来」短歌会で岡井隆の背中をみて歌を作ってきた一人である。岡井隆は、多くの女性歌人を育てた。星川さんなどは、その最初の方の世代に属する。初期の前衛短歌に触発され、青春の思いをそこに託した痕跡は、次のような一連の歌からもうかがわれる。
〈チエホフ祭〉掲げ現るる青年に陽炎ゆるる少女の胸は
事実の上なる柱のかなしさや組み立てらるる修司の虚構
荒野人老いていづこに詠ひゐむ五十数年過ぎ去りにけり
〈チエホフ祭〉は、いうまでもなく寺山修司が中井英夫の推挙によって「短歌研究」に登場したときの著名な連作のタイトルである。中井の添削や改稿指示の跡が著しい原稿が公開された時の驚きは忘れがたい。良き編集者(プロデューサー)にめぐまれた寺山は幸運だった。〈チエホフ祭〉の掲載された「短歌研究」を持って作者の前に現れた文学青年の思い出も半世紀前のことだ。
故郷は雪降りてゐむ帰れざる歳月ありて古利根恋し
七草の粥を夜に食む白米にまじりて蘇るみどりの息吹き
※「蘇る」に「かへ(る)」と振り仮名。
中島飛行場空爆のテレビ見てゐたり消灯となる病院の夜に
病棟が音立て震ふ夜の地震ナースの白き足走りたり
現在の作者は、足をわるくして立つことができない。この歌集には、通院、入院、療養の歌が多く詠まれているのだが、そうした歌のなかに混じるふとした嘱目の把握に何とも言えない切れがある。「ナースの白き足走りたり」。端的で、うまい。「アララギ」・「未来」の写実の系譜の人たちが、しばしば口にした「単純化」というのは、こういうものを言うのだ。
ドア一枚開けば介護世界あり 臥する生活思はざりけり
カロリーの少なき食と暗き灯と「老い」の付録はなべて同じか
横たはる女の体 夕ぐれはひかりのレース一枚かむる
三首めの歌は、土屋文明の『韮靑集』にある、夕陽を浴びながら寝ている自己の姿を玉中の虫にたとえた著名歌を思い浮かべながら、諧謔をもって自身の寝姿を詠んだものである。今はしらないが、かつて「未来」短歌会において土屋文明の歌は共有の知的財産だった。ここには独特の諧謔が読み取れるだろう。その前の歌の「『老い』の付録」という言い方にも、強靭なリアリズムの方法に学んだ者に特有の、精神の抵抗力と、毅然とした意思が読み取れる。詩歌人としての自恃と誇りを保ちながら、典雅に人生の終盤の闘いを続けている孤独な作者の営みに励まされる人も、きっといるにちがいない。
蔵の扉に餅花一枝添へたれば仕舞ひしものの眠り想ひぬ
※「扉」に「と」と振り仮名。
祖母と母をまねてまろめしまゆ玉のまろみが指に 春のあけぼの
餅花は、どんど焼きで団子を焼いた覚えのある人には親しいものだろう。お団子を手に丸めて作ったやさしいしあわせな思い出が、春のあけがたの夢に出てきたのだろう。
作者は、一時中断はあったが、「未来」短歌会で岡井隆の背中をみて歌を作ってきた一人である。岡井隆は、多くの女性歌人を育てた。星川さんなどは、その最初の方の世代に属する。初期の前衛短歌に触発され、青春の思いをそこに託した痕跡は、次のような一連の歌からもうかがわれる。
〈チエホフ祭〉掲げ現るる青年に陽炎ゆるる少女の胸は
事実の上なる柱のかなしさや組み立てらるる修司の虚構
荒野人老いていづこに詠ひゐむ五十数年過ぎ去りにけり
〈チエホフ祭〉は、いうまでもなく寺山修司が中井英夫の推挙によって「短歌研究」に登場したときの著名な連作のタイトルである。中井の添削や改稿指示の跡が著しい原稿が公開された時の驚きは忘れがたい。良き編集者(プロデューサー)にめぐまれた寺山は幸運だった。〈チエホフ祭〉の掲載された「短歌研究」を持って作者の前に現れた文学青年の思い出も半世紀前のことだ。
故郷は雪降りてゐむ帰れざる歳月ありて古利根恋し
七草の粥を夜に食む白米にまじりて蘇るみどりの息吹き
※「蘇る」に「かへ(る)」と振り仮名。
中島飛行場空爆のテレビ見てゐたり消灯となる病院の夜に
病棟が音立て震ふ夜の地震ナースの白き足走りたり
現在の作者は、足をわるくして立つことができない。この歌集には、通院、入院、療養の歌が多く詠まれているのだが、そうした歌のなかに混じるふとした嘱目の把握に何とも言えない切れがある。「ナースの白き足走りたり」。端的で、うまい。「アララギ」・「未来」の写実の系譜の人たちが、しばしば口にした「単純化」というのは、こういうものを言うのだ。
ドア一枚開けば介護世界あり 臥する生活思はざりけり
カロリーの少なき食と暗き灯と「老い」の付録はなべて同じか
横たはる女の体 夕ぐれはひかりのレース一枚かむる
三首めの歌は、土屋文明の『韮靑集』にある、夕陽を浴びながら寝ている自己の姿を玉中の虫にたとえた著名歌を思い浮かべながら、諧謔をもって自身の寝姿を詠んだものである。今はしらないが、かつて「未来」短歌会において土屋文明の歌は共有の知的財産だった。ここには独特の諧謔が読み取れるだろう。その前の歌の「『老い』の付録」という言い方にも、強靭なリアリズムの方法に学んだ者に特有の、精神の抵抗力と、毅然とした意思が読み取れる。詩歌人としての自恃と誇りを保ちながら、典雅に人生の終盤の闘いを続けている孤独な作者の営みに励まされる人も、きっといるにちがいない。