さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

塩谷風月『月は見ている』

2020年02月09日 | 現代短歌
 あとがきに、「十数年前に、過労で心身を壊し、職と家庭を失った。「未来」の二〇〇五年度年間賞受賞の連絡を電話で頂いたのは、忘れもしない、精神病院に入院する日の朝だった。」とある。だから、この歌集の前半に出て来る子供の歌は、家庭が壊れる前の歌なのだ。それで、私は最近の作である第Ⅲ部から読み始めた。その方が昨年はじめて会った作者の表情と近いものが感じ取れるだろうし、技術的にも難がないだろうからと思ったからである。解説は黒瀬珂瀾が書いていて、私は常から自分でよみはじめる時は解説の文章は読まないようにしているが、めくってみると、末尾の方に「本歌集のメインは八年の沈黙を経てのⅢ章であるとも言える。」という一文があるのが目に留まった。

  幸せな二人がそっとささやいた「ね、ロキソニン」「うん、ロキソニン」

 この歌の二人が誰かということは、問題にならない。それは読者が想像すればいい。行きずりの会話だったとしたら、二人は「幸せ」なわけがない。ロキソニンは、代表的な痛み止めの薬の名前で、これを知らない人はあまりいないはずだ。作者にはその痛みが十分にわかっている。自分もその痛みを薬で麻痺させなければ生きていけないような場所にいるから、
「うん、ロキソニン」と応答者のように返すことができる。

  鈴をつけた靴を履いてる女だろう真夜中の路を遠ざかりゆく

  紐をかけられる所は少なくて探して初めてわかる 微笑む

  アメリカと戦争したって嘘やんなほんまやったらどっち勝ったん

  靴底の擦り切れきった足音が近づいてきて煙草をねだる

  コンビニのレジ打つ少女に良いお年をと言えば笑みたり李という少女

 隣の部屋の物音が聞こえて来る安アパートに住む人々や、ホームレスとすれ違うような都市の雑踏にまぎれて在ることに慰藉を感じている作者の姿が、しーんとした孤独感をたたえた歌の言葉の背後に見えてくる。

  諦めに似た何かだと呟いたスリムなジーパン引き上げながら

  哀しみを14〇字で書きなさい友の訃報をTwitterで知る

  失くしたひとばかりが夜を過ぎてゆく。吸い殻の火が一度起きて死ぬ

  あの医者も君も正しいことを言う万力のようなやさしいちから

 引用はこのぐらいにしておきたいが、この歌集を読んでみたいと思う人はきっといるにちがいない。おしまいに。

  洗い物めんどくさくて木の椀でコーヒーを飲むうふふふ武将

  ああ、今だ。あなたの顔の色がすっと薄くなってきれいな怒り

当代の若手歌人には通過儀礼のようになっている修辞的な歌の圧力圏から自分の体重だけで脱出しているとでも言おうか。それなりに苦労して勉強してきた修辞のセンスを振りかざさないところがいい。また、そんなゆとりもないのだ。だから〈ウタ〉なのだ。たとえて言うと今は山崎方代が現代に生きていたらこういう歌を作らないといけない時代なのだと思う。でも、もうここには、あんまり書きすぎるのはやめようと思う。みんなでいろいろな読み方をしたらいい。いい歌集が出た。塩谷さん、おめでとう。