さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

安部洋子『続・西方の湖』

2021年10月03日 | 現代短歌
  島根県松江の歌人で、宍道湖の自然をうつくしく歌い続けてきた安部洋子さんの新しい歌集『続・西方の湖』が出た。あとがきには、昭和ひとけた生まれだから最後の歌集という思いがにじむ。私はずっと安部洋子さんの歌をみなさんに推奨してきたつもりである。だから、今度の新しい歌集は実にうれしい。あとがきをみて、陶潜の「帰去来の辞」を思い出したことである。「やんぬるかな。かたちを宇内に寓する、また幾時ぞ。」「清流にむかいて、おもむろにうそぶき、詩を賦す。いささか化に乗じて、もって尽くるに帰し、かの天命をたのしみて何をかうたがわん。」これは、まさしく安部洋子さんの現在のすがたである。何首か引いておこう。

  宍道湖は猪の疾駆する沼とありのちの世生きて幻影を追う

  消滅とは救いのごとくあらんかと汽水の流れのきらめきを見つ

 私とて消滅のときを思わないではないが、安部さんのお年になると、それは真実日々の感覚にしみとおる感覚であろう。汽水のきらめきに消えてゆくいのち、というようなことを思うと、自ずから浄められてゆくものがある。

  限りなく水皴を畳む湖の放つ光に圧されてしまう

  泡沫の美しさも知る汽水湖のほとりに生れ不埒に生きて

  落日は少し身軽くすべり込むこんこんとやがて眠らん湖に

 安部さんが「不埒に生き」たとはとても思われないが、人として生きること自体がすでに不埒なのだという感覚は、なんとなく伝わる。

  突き抜けて見たきものかな青空の底の星屑の流れの中を

  日暮れの空ひしめきて渡る黒き鳥のこころ翳らす羽音を聞きぬ

 滅びの感覚を抱きしめてうたうこと。多くの詩歌人がその道を踏んだ。だから、私はこの歌集を嘉したいと思うのである。

  かたちなく日月は過ぎてゆきながら光はつねに湖の面に消ゆ

  さまざまに終うる人間のからくりも湖は見とどけときに荒立つ

  おりおりに歪む心と思うなり湖底へ届かぬ光のありて

 このおしまいに引いた一首には、リアリズムの系譜に生きた歌人ならではの、はじらいがちな自省がある。